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[No.608] 「嵐が丘」を読む 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/16(Fri) 20:42
[関連記事

中岡洋編:「嵐が丘」を読む
http://www.kaibunsha.co.jp/books/view/80

「嵐が丘」の作者はエミリ・ブロンテとされているが
諸説あって、姉のシャーロット説と兄ブランウェル説があるという。
 エミリは五人姉妹の四女。姉がマリア、エリザベス、シャーロット、妹がアン。

若い娘が、あんなに人間の激しい愛憎が書けるはずがない。
姉シャーロットの「ジェーン・エア」なら
みんなが安心して読める小説だ。
女流作家は「ジェーン・エア」は書けても
「嵐が丘」は書けないというのが、まあ常識だろう。

でも
源氏物語の作者みたいに、女性でも男女の心理描写は得意なのだ。
 源氏物語は男の心理もよく書けているから、作者は男性ではないかという説もある。

さて
推理小説「レベッカ」を読んだら
「ジェーン・エア」を思い出した。
シチュエーションは非常に似ているのだが
まったく違う作品となっているのだ。

私の推理だが
「レベッカ」の作者は
「ジェーン・エア」を読んで
別の事実があるかもしれないと考えて
第二の「ジェーン・エア」を創作したのかもしれない。
  少なくとも「ジェーン・エア」は創作のヒントになった。


[No.611] Re: 「嵐が丘」を読む 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/17(Sat) 06:00
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> 中岡洋編:「嵐が丘」を読む
> http://www.kaibunsha.co.jp/books/view/80

この本を読むと
作者エミリ・ブロンテはキリスト教や聖書を否定しているように思われる。
ジョウゼフじいさんの口を借りて、キリスト教を皮肉っているようだ。

ロックウッドがネリーから聞いた話として物語は展開する。
つまり、ネリーという語り手が物語りを述べているのである。
ネリーが見たこと、感じたことを話しているので
真実とのギャップがあるのかもしれない。

しかし、話の中の重要な人物ヒースクリフが直接ロックウッドの前に現れて
ネリーの話と矛盾がないことがロックウッドにもわかる。
もしかすると、ロックウッドはネリーの話す物語の中に
後から加わる登場人物になるかもしれないのだ。
 話の展開で、ロックウッドは自分は傍観者のままで終わったことを知り、この地から去っていくことになるのだが。

話の導入部では
ロックウッドが悪天候のため、ネリーの配慮で
樫の木のベッドのある部屋で偶然キャサリンの日記を見つけて
本文に関係のない書き込みが記憶のすみに残り
その後に怖い夢(亡霊キャサリンの手)にうなされる。
この意外な展開は、この物語が大部分はネリーの語りからなっているが
その物語と現実のロックウッドの体験、さらには
ロックウッドの怖い話を聞いたヒースクリフの意外な行動とが
過去の話と現在の状況を結びつけ
時間の流れとそこに生きてきた人間のいとなみをリアルに感じさせる
エミリ・ブロンテの高等テクニックなのであろう。

ヒースクリフ、ジョウゼフは人間嫌い、他人のことなど配慮する気はない。
どこか自閉症的である。それは作者のエミリ・ブロンテもその要素があったから
人間嫌いのヒースクリフを描けたのであろう。

ロックウッドやネリーは人間社会になんとか生きていける常識人だ。
エミリ・ブロンテも常識的に生きることは知っていたから
なんとか我慢しながら当時の社会を生きていたのだろうか。