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[No.4189] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 49 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/17(Mon) 06:40
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 49
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 ラグーナを航行する

 三日目から「River Countess号」は、ベネツィアを離れます。
 この日の午前中は「お出かけ」はなし。前日の強行軍の疲れを癒してもらう意味もあったのでしょう。
 そういう意味でも、よく考えられたスケジュールです。

 まず、ラグーナ・ヴェネタ(ベネト地区のラグーン)のなかを通って南下し、キオッジャへ行きます。我々はデッキに上がって外の景色を楽しみます。デッキでは、オーディオでラグーン地域に詳しい方の解説を聴くことも出来ます。

 この辺りは、これからわれわれが行く「ポー川」からの土砂が堆積して、少しずつ埋め立てられ、浅瀬というか沼地化していったのです。
 ラグーンには、有名観光地化していないたくさんの島があります。
 そもそも、そういう浅瀬だから「ベネツィア島」という「特別な島」も作れたのでしょう。

 いわゆる観光地でない島は、ゴルフ場として使われているものもありますし、流行らない工場しかなくて過疎化に悩んでいる島もあるようです。
 また、福祉施設として使われているところもあるようです。
 或る島には大きな精神病院があった。しかし、イタリアは国の方針として「精神病院を廃止して患者は帰宅させる。あとは地域で面倒をみる」ということにしましたので建物がまるまる空いてしまった。いま、その建物は老人ホームになっているそうです。
 そんなことで停泊地のキオッジャまでの楽しい船旅を楽しみました。


[No.4190] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 49 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/17(Mon) 06:44
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 49
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 こういごちゃごちゃした浅瀬を比較的大きな船が航行するのは大変なのだそうです。


[No.4193] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 50 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/18(Tue) 12:14
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 パドヴァ その1

 午後は、ベネツィアから37キロくらい北のほうにある「パドヴァ」へバスで行きました。
 「パドヴァ」は古い歴史のある、やや格調の高い街なのです。
 まず全員「サンアントニオ聖堂」へ。
 外からご覧いただいても分かるように、キューポラはビザンチン様式、鐘楼はイスラム形式。その他、ロマネスク・ゴシックなどの建築様式がミックスされているものすごく大きな聖堂です。
 ここに祀られているパドヴァの守護聖人の聖アントニオさんは、40才で亡くなりましたが(14世紀当時では、特に早死ではなかったのでしょうが)ポルトガルの首都リスボンに生まれた方で、数々の奇跡を行った方として有名です。
 ここはドナテッロの彫刻や14世紀のフレスコ画などの美術品が展示されていて、たくさんの美術ファンが訪れるところです。とくにドナテッロの作品は素晴らしいしティントレットの作品もあります。

 がそれだけでなく、フランスのルルドなどのように「病気を癒やすお寺」として、今も巡礼の方々が訪れる聖地でもあります。
 巣鴨のとげ抜き地蔵のように現世のご利益をもとめて来られる方もおられるのでしょうが、もっと切実な気持ちで来られている方もあるわけです。
 そういう方向けに「おロウソク」なども売られていました。
 「奇跡」とか「大聖人」について違和感を覚える異邦人がいるのは当然ですが、私は「すごく人間的でいいな」なんて思ってしまいます。


[No.4194] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 50 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/18(Tue) 12:14
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この大盛堂の中庭の「木蓮」も有名なのです。


[No.4195] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 51 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/19(Wed) 06:43
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 51
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 迷子になる
 
 さて、内部の見学が済み少し自由時間があったのですが、ここでマーチャンが集合時刻を勘違いしてしまった。まだまだ時間がある、「楽勝」とばかり売店で飲み物を買う行列に並んでいた。気がついてみると周囲に同じグループのひとが誰もいない。大慌てで外に出てみると、遥か彼方に UniWorld の看板が見えた。走って近寄ってみると残念ながら「健脚組」の人たちなのです。

 もう仕方ないと「じつは『足弱組』なのですが、ハグレました。どうしたらいいでしょうか」と聞きました。「健脚組」のスタッフの方がお大急ぎで、『足弱組』のスタッフにケータイで連絡をしてくれて「あちらさんも探していたみたいよ。いいですか。この広場の隅にタクシースタンドがあるのが見えますか。タクシーに乗って『パドヴァ大学正門』まで行きなさい。そして降りたところで待っていて」とおっしゃいます。
 それでも心配だったらしく「健脚組」のスタッフの方はタクシーの場所まで来られて運転席の窓ガラスを叩いて「間違いなく、パドヴァ大学で降ろしてあげてね」と念を押していました。  
 タクシーが5−6分で大学につきますと『足弱組』のスタッフが待ち構えていて、グループの皆さんのところへ連行しました。みなさん笑いながら手を振っていました。

 あらあら、やっちゃったのねーーーというところでしょうか。


[No.4196] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 51 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/19(Wed) 06:48
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 51
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 ここで、みなさんとハグレました。


[No.4197] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 52 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/20(Thu) 08:23
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 52
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 パドヴァ大学

 というわけで、また、足弱組のみなさんとご一緒に見物を続けました。

 実は、繁栄していたベネツィアに大学ができたのはやっと150年前。
 一方、パドヴァ大学は、ボローニャ大学に次いでイタリアで二番目に古い大学なのです。
 単に古いだけじゃないのです。この大学の歴史には、有名人がたくさん登場します。
 筆頭は、あのガリレオ・ガリレイ。1592年から18年間パドヴァ大学の教授でした。そして幾何学、数学、天文学なんかを教えたのですね。ガリレオ先生、画期的な数々の発見をしことも高く評価すべきですが「実験結果を数学的に記述し分析するという手法」すなわち近代的な学問の仕方を採用したはじめての学者なのですって。ですから「科学の父」と呼ばれているのですね。

 例の「それでも地球は回っている」という有名なコメントですが、もともと、ガリレオは敬虔なローマン・カトリック教徒だったのですね。しかし、よくある話ですが、人間関係に関しては不得手で、ついには彼のことを快く思わない連中によって、彼の支持した地動説を口実にして異端審問で追及されるような事態になったのだそうです。どうやら、然るべき場所で「それでも地球は回っている」と言ったわけではないらしいのですが、彼の気持ちはこの通りだったのでしょう。
 こういう個性的な先生がパドヴァ大学で長く教えていられたのも、パドヴァ大学に自由に学問をする気風があったからでしょう。

 このほか、政争に敗れてフィレンツェを追放されたダンテも、詩人ペトラルカもここで教えていたことかあるのですね。  
 また大学内には1594年に作られた世界で最も古い解剖学教室があるだけあって医学部は名門と言われています。
 近くは、鬼才といわれた異色の指揮者、ジュゼッペ・シノーポリさんもここの医学部のご出身です(もとは精神科医)。2001年にベルリンドイツ・オペラで「アイーダ」を指揮中に心臓発作で倒れてオーケストラピットで亡くなりましたが。

 パドヴァは、この大学が街の中央に鎮座ましましている大学街なのです。


[No.4198] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 52 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/20(Thu) 08:39
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 52
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高いところにある、こういう「レリーフ」を見ますと、それがラテン語だったりすると、やたらありがたがるクセがあります。


[No.4207] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 52 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/23(Sun) 23:31
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 52
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> 高いところにある、こういう「レリーフ」を見ますと、それがラテン語だったりすると、やたらありがたがるクセがあります。

ダンテなどのプラークは建物内部にあるらしいが、見学は時間が決まっていて、しかも案内人付きだそうで、忙しい人には無理のようだ。入り口のこれだが、何せ古いし、ラテン語なのでよく分からない。

 しかし(あっしの写真についてだが、)卒業生の生国くらいはなんとか、分かる。

左上から、ドイツ、ボヘミア、ポーランド
左下から、プロバンス、ブルゴーニュ、イギリス、スペイン、 と読めるがさて、


[No.4199] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/21(Fri) 06:57
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53
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 ただものではない コーヒー屋さん

 さて、ご一行様は、パドヴァ大学からシニョーリ広場へ。
 ガイドさんは「はい、あちらに時計塔が見えますね。あの時計塔が、次の集合場所です」とおっしゃいます。今度こそ、間違えないようにと、まず「時計塔」へ行き、近くにある建物などを観察しました。
 何しろ、このあたりには「広場」が多いのです。
 市民のお買い物スポットなのですね。「シニョーリ広場」のほか「エルベ広場」「フルッタ(果物)広場」。これがお互いに接するように並んでいますし、似ているのです。

 さて、パドヴァには「大学」「寺院」以外に、もう一つ人気の観光スポットがあります。
 それが「カフェ・ペドロッキ」という、由緒正しき、やんごとなきコーヒーショップなのです。
 まるで宮殿みたいな建物にびっくりしますよ。

 ここは、創業1831年、パドヴァのシンボルともいうべき、最も歴史あるカフェなのです。
 おそらくパドヴァ大学の先生たちが、ここでコーヒーを啜りながら、新聞や、本を読んだり、おしゃべりをしたのでしょうね。
 あのフランスの作家でモンチャンに負けないくらいの「イタキチ」のスタンダール氏が「イタリアで一番美味しいカフェ」と絶賛したといわれているコーヒー屋さんなのです。 ま、コーヒーショップの聖地みたいな存在ですね。

 長い間パドヴァ市の管轄(市営)だったのですが、一年前からミラノのホテルが経営することになったのですが、多少の改装はしたものの、以前とそう変わっていないそうです。

 注文はセルフです。500円くらいですが日本だって500円のコーヒーは珍しくはありません。
 やはり美味しい。なんと申しましょうか、熱いコーヒーの上に冷たいクリームを浮かべてチョコレート・パウダーを散らしたもの。熱いような冷たいような、コーヒーのようなココアのようなお味でした。
 
 はい。今回は、間違いなく「正しい集合時刻に、正しいミーティングスポット」へ行くことが出来、みなさんとご一緒に船に戻ることができました。


[No.4200] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/21(Fri) 07:02
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53
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 注文は「セルフ方式」。しかし「食器」は貫禄があります。

 コーヒーは、いくら高級品でも、紙コップやプラスティク・コップから飲むのでは興ざめですね。


[No.4201] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/21(Fri) 23:19
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53
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> ただものではない コーヒー屋さん

> さて、ご一行様は、パドヴァ大学からシニョーリ広場へ。

 ガイドさんは「はい、あちらに時計塔が見えますね。あの時計塔が、次の集合場所です」とおっしゃいます。今度こそ、間違えないようにと、まず「時計塔」へ行き、近くにある建物などを観察しました。

 何しろ、このあたりには「広場」が多いのです。
 市民のお買い物スポットなのですね。「シニョーリ広場」のほか「エルベ広場」「フルッタ(果物)広場」。これがお互いに接するように並んでいますし、似ているのです。


この塔というものが、曲者でね。「この辺に塔がありますか?」なんて、聞こうものなら相手に「何塔?と云うのは、この街には塔なんてものは少なくともトオ以上はあるからね」なんて切り返されちゃう紋ね。(-_-;)塔の名前を記憶しておくことが必須。

> さて、パドヴァには「大学」「寺院」以外に、もう一つ人気の観光スポットがあります。
それが「カフェ・ペドロッキ」という、由緒正しき、やんごとなきコーヒーショップなのです。
まるで宮殿みたいな建物にびっくりしますよ。

 「イタリア紀行」の訳者によると、スタンダールが足を運んだ頃と今の建物は全く違う由。精力的なスタンダールの場合はあっしらのばやいと違って、「毎晩、午前三時に」お「夜食」だそうで、驚く。また、サテンではなく「たいへんすばらしいレストラン」と書いている。

> ここは、創業1831年、パドヴァのシンボルともいうべき、最も歴史あるカフェなのです。
おそらくパドヴァ大学の先生たちが、ここでコーヒーを啜りながら、新聞や、本を読んだり、おしゃべりをしたのでしょうね。
あのフランスの作家でモンチャンに負けないくらいの「イタキチ」のスタンダール氏が「イタリアで一番美味しいカフェ」と絶賛したといわれているコーヒー屋さんなのです。 ま、コーヒーショップの聖地みたいな存在ですね。

 きょう、町の図書館から、スタンダールの本、臼田紘訳「イタリア紀行」を借りてきてざっと見た。オドロイタのはこの騎兵士官殿は、3か月もの暇をもらってイタリア全土を歩き回り、忙しい中、恋のアヴァンチュールも少なからず、こなしている。額賀元長官どころのハナシじゃない。だいたいスケールが違う。ところで、

 コーヒーが発見されると、イタリアでも1700年代から1800年代にコーヒーを飲む習慣が広がり始めたということです。現在の店舗の場所を決めたのが、ベルガモの出で、フランチェスコ・ペドロッキというひと。ここは大学にも、市役所にも、市場にも、芝居小屋にも郵便局(現在は銀行)にも近くまさにベストロケーション。

> 長い間パドヴァ市の管轄(市営)だったのですが、一年前からミラノのホテルが経営することになったのですが、多少の改装はしたものの、以前とそう変わっていないそうです。

> 注文はセルフです。500円くらいですが日本だって500円のコーヒーは珍しくはありません。
やはり美味しい。なんと申しましょうか、熱いコーヒーの上に冷たいクリームを浮かべてチョコレート・パウダーを散らしたもの。熱いような冷たいような、コーヒーのようなココアのようなお味でした。
 
> はい。今回は、間違いなく「正しい集合時刻に、正しいミーティングスポット」へ行くことが出来、みなさんとご一緒に船に戻ることができました。

  ちょっと調べてみるとけっこう複雑。このフランチェスコの息子、アントニオが店の儲けを有効に活用して,いろいろと拡張したらしい。で、1852年アントニオが死んだ。彼は誰か信用のおける人に後を継いでもらいたかった。そこで、ボーイの息子のカッペッラートを養子にした。これが、1891年に死んだ。その後、パードヴァに経営が引き継がれた、が、死の数か月前に書かれた公文書によると、本人はパードヴァの市民に引き継いでもらいたかったようだ。そんな経緯があったようだ。

 ちかくに(2階の一部と書くものもある)『リソルジメント博物館』というのがあって、そこに、創立者アントニオと後継者カッペラートの肖像画がある由。


[No.4202] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/21(Fri) 23:49
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 53
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>  注文はセルフです。500円くらいですが日本だって500円のコーヒーは珍しくはありません。←カウンターの飲めば、少し安くなる。

  『謎のコーヒー』の謎がやっと解けた。tuttopadovaというサイトによれば、あのグリーンの入ったコーヒー「カッフェ・ペドロッキ」は、エスプレッソにミントのシロップで風味づけした、泡状のラッテを載せたものだそうです。

 そのほか、この店には、常連だった作家スタンダールにちなんだ「ザバイオーネ・スタンダール」というのも、あったよし。


[No.4203] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 54 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/22(Sat) 08:26
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 54
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 おしゃれな街 フェラーラ その1


 夜のうちに、船は「ポー川」デルタを遡って「ポレゼッラ」の港に着いていました。
 4日目のエクスカージョンは「ボローニャ」と「フェラーラ」のどちらかだったのですが、我々は「フェラーラ」へ行きました。あんまり日本からの観光客が行くところではありませんが、なかなかおしゃれな街です。とくに「ギャル」「元ギャル」にはおすすめの街です。

 15世紀の終わり頃、この辺りを収めていた「エステ家(エステティシャン・チェーンで財力を蓄えたわけではありません)の宮廷文化」が花開いたのです。
 その時期から「美しい町並み」を持つ品格ある街づくりを目指していたのです。
 という訳で1995年には早くも「フェラーラのルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯」がユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

 まず、エステ家の居城「エステンセ城」。掘割で囲まれた堅牢強固なお城ですが、これは、増税につぐ増税に反発した市民からエステ家を守るためだったと言われています。「理想都市」の構築にはお金も要りますよね。 
 大砲も、地下牢もあります。でも、やはり美しいお城でした。お城に続いて「市役所」があります。

 お城の脇には、ご当地出身の「サボナローラ」の像が。
 この方は、あえて誤解をも恐れずに言いますとわが街、藤沢市とご縁の深い「日蓮聖人」みたいな方。フィレンツェのサン・マルコ修道院の院長になった宗教家なのですが、説教壇から炎の如き過激な言葉で「メディチ家」も「当時のローマ法王」も激しく批判した。
 そして、もう一つの「業績?」が「ゼイタクは敵だ」のスローガンのもとに美術品を集めて焼き払ったことです。もし、とことんこれをやられたら後のフィレンツェの観光事業は成り立たなかったかも知れません。あのほんわかした「プリマベーラ」を描いたボッティチェッリも震え上がっていたそうですから。
 最後は激しい拷問の末、火あぶりの刑に処せられたーーーという超過激な方です。


[No.4204] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 54 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/22(Sat) 09:43
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 これが、件の サボナローラさんの像です。


[No.4205] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 55 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/23(Sun) 06:56
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 55
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 おしゃれな街 フェラーラ その2

 サン・ジョルジョ大聖堂

 文字通りの大聖堂です。12〜13世紀に造られたロマネスク・ゴシック様式。ファサードがすばらしい。イタリアしい華やかさがあります。像の上の部分の彫刻も手が込んでいます。
 お堂の中もイタリアらしく、というかフェラーラらしきというべきか洗練されているように感じました。

 このお堂の特徴は、奥行きが長いこと。
 しかも、面白いのは1階がアーケードになっていてブランド物などのお店が並んでいることです。
 普通は「お寺参りの後は、門前町でのお買い物をお楽しみください」ということになるでしょう。それが、あなた、お堂でお買い物ができちゃうのですね。結構割り切っているのだなと、と感心しました。でも、あれだけ大きな建物の維持費を考えるとグッド・アイディアかもしれませんね。

 ところで、地元には、この観光スポット群から見えるところに、もう一つショッピング・ストリートがあるのです。写真でご覧いただけるように、通り全体が「色とりどりの傘」で、デザインされているのです。イタリアらしい、ちょっと行ってみたくなる楽しいデザインですね。もちろん行ってみました。さすが「歴史上初のルネッサンス都市計画に基づいた都市」であることをもって世界遺産に登録された街だけのことはあります。
 ごく普通の商店街で、スマホ屋さん、洋品店、スポーツ用品店、電気屋さんなどが並んでいましたが、まあ、そこそこの人出で賑わっていました。


[No.4206] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 55 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/23(Sun) 06:57
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 55
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 雨傘通り商店街 です。


[No.4208] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/24(Mon) 08:20
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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 キオッジャ 知られていない町の縁日 1

 5日目に停泊中していた「ポー川デルタ」の、ポレゼッラ河岸は、のどかな場所でした。
 「みなさん、ここで船を降りて有名観光地へ急がないで、この辺りでお散歩やサイクリンクや釣りを楽しんではいかが」という看板も出ていました。そうですよね。そういう日があってもいいですよね。でも、我々は、キオッジャへ行きました。

 キオッジャは、ベネツィアからラグーを少し南に下ったあたりにあります。古くから漁業と塩田で栄えた街です。今は「町おこし」で頑張っています。
 島と陸地が橋でつながっていることなど、なんとなくベネツィアに似ていますが、こちらは島のなかをクルマが通れます。
 
 たまたまこの日はキオッジャの聖堂のお祭りの日で、とても賑やかだったのですが、着いた時点では有名な魚市場は店じまいをはじめていました。

 写真は「絵葉書」なのですが、この絵葉書、先ず、真ん中に大きな地図を載せています。
 地図を載せないと、わかってもらえない町なのですね。

 絵葉書といえば、このごろ有名観光地で、絵葉書を見かけることが少なくなりました。
 また、カフェ・テラスで老夫婦が孫へ送る絵葉書に便りを書いている風景をみかけることも少なくなりました。老いも若きも、何処の国から来た観光客も「スマホでパチリッ」と撮った写真をそのまま、ご家族や友人にへ送って「ハイ、おしまい」なのです。ちょっと味気ないですね


[No.4209] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/24(Mon) 08:37
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絵葉書というか、宣伝ビラというか


[No.4210] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/24(Mon) 21:47
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1
 
>  たまたまこの日はキオッジャの聖堂のお祭りの日で、とても賑やかだったのですが、着いた時点では有名な魚市場は店じまいをはじめていました。


とにかくこの日はこのあいだの旅行で、一番暑い日で、写真を写すことより、日陰探しに夢中だった。店の数は相当多く、品物も豊富だったが、似たような商品も多かった。


[No.4211] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/24(Mon) 23:22
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1
>
>  5日目に停泊中していた「ポー川デルタ」の、ポレゼッラ河岸は、のどかな場所でした。
>  「みなさん、ここで船を降りて有名観光地へ急がないで、この辺りでお散歩やサイクリンクや釣りを楽しんではいかが」という看板も出ていました。そうですよね。そういう日があってもいいですよね。でも、我々は、キオッジャへ行きました。

キオッジャがあまり旅行者に人気がないので、マーチャンがキオッジャにすこし立腹している様子なので、この辺でマーチャンの写真を探し出して、ご機嫌を取り結ぶこととする。あっ、これってマーチャンも読んでいるので、こういうこと書いちゃあマズかったかな。イッケネー。(^^♪

 これはお祭りの入り口で、ここから屋台が海の方へ向かって、延々と続きます。


[No.4212] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/24(Mon) 23:30
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1

  むかし「白銀は招くよ!」なんて映画があったけれど、これはいうなれば「くま紋は招くよ!」かな。


[No.4213] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/24(Mon) 23:37
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1

>  5日目に停泊中していた「ポー川デルタ」の、ポレゼッラ河岸は、のどかな場所でした。


 お菓子が多かったですが、小鳥を売る店も出て…。


[No.4215] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/25(Tue) 09:18
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1

21世紀の今日ではほとんど無名に近いが、この街の歴史は意外に古く、あの大プリニウス(西紀1世紀)の「博物誌」にすでにその名が登場するという。ただ、この当時は、キオッジャではなく、(フォッサ・)クローディアと云ったらしい。

 ちなみに、町の名は、クローディア、クルーザ、クルージャ、キオッザ、キオッジャと五変化している。


[No.4216] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/25(Tue) 09:35
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1


 このにぎやかな通りの行き止まりは、もう、キオッジャの港です。


[No.4217] Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/08/25(Tue) 16:02
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Re: モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 56
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>  キオッジャ 知られていない町の縁日 1

お昼を食べた料理屋は、キオッジャの船着場の近くにあり、ガイドさんのお勧めだが、たしかに海の見えるという点ではよかったが、お味の方はそれ程でもなかった。

 一方、前にある白い橋はけっこう旅行者に人気があり、カップルがやって来るとよく、欄干の脇に立ち、代わる代わる撮りあっていた。左右に、かわいいライオンの彫像のあるせいであろう。

 この橋を渡ったところには教会があるが、見学している暇はなかった。
 


[No.4214] モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 57 投稿者:マーチャン  投稿日:2015/08/25(Tue) 06:44
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モンチャン、マーチャンの北イタリア珍道中 57
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キオッジャ 知られていない田舎町の縁日 2

 その日は、異例の猛暑のヨーロッパでも特別暑い日でした。
 ツァーはほとんど自由時間だったのですが、暑すぎて、なかなか楽しむことに集中できません。
 しかもこの町には樹木がなく、従って「木陰」もないのです。
 また、大きな街と違い、冷房完備のショッピングモールもないので逃げこむこともできません。

 お祭りは、観光客向けのものではなく「わが町のお祭り」です。
 それでも、お縁日に集まってきた家族連れで、大通りにはそこそこの人出はありました。
 はい、もう日本の縁日と変わりありません。屋台では焼きたての「海老」をほうばる人もいますし、夜店ならぬ昼店は、写真でご覧頂きますように、ちょっと恥ずかしいくらいのお子様モードです。
 いえ、棉アメや、金魚すくいはありませんよ。
  
 普段のヨーロッパの陽気ですと、6月がこんなに暑いことはないのですが。でも夏祭りは夜祭りに限りますね。

 お昼は、このツァーについている地元の魚貝料理なのですが、テントがあっても容赦なく照りつけてくる炎帝の勢いに、みなさん名物のワインも、お魚料理も、あまり箸が進まない様子でした。