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[No.4248] 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/16(Fri) 11:34
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突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2
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チョット気になるのは、この街には新興宗教の空気が濃厚に漂っていることだ。誰一人知らない者のない、悪名高き「オウム」、色々な話題であっしらを存分に愉しませてくれた「幸福の科学」など、いろいろな実話、伝説が底流に犇めいている。しかし、現在は
そうしたものは、外来者にはマッタク感じられない。

 おそらく、住民についても、今では、根っからの西荻マンは大分減っているのかも知れない。他県からの流入者が、むしろ西荻を活性化しているとも云える。それは、駅や、商店の店頭に置かれた数種類のチラシにも、表れている。たとえば、駅コンコースに置かれた「西荻まち歩きマップ2015」を広げてみると、裏は商店の名簿になっている。これが、ざっと見渡しただけでも、200店舗以上あり、まず、この数にオドロク。それから、屋号には奇抜なものが多い。

 古書店で「古書西荻モンガ堂」とは何だ。モンガは紋が、なのか、はたまた紋賀なのか。それから「のるぶりんか」たあ何だ。「とりとり」は何を商っているのか。「blue water flowers]という、ミステリー作家でも、思わず首をかしげたくなるような謎めいた名の店もある。

 「ハナトオカシト」という、何となく分かったような気分にさせてくれる、多角経営の店もある。むかしのヨロズヤ的発想にも似ているが、危険分散の意味もあってか、総じてこの辺りでは、多角経営の店が多い。また、

 つい笑ってしまうようなのもある。いわく「ぐーちょきパン屋」などは、どうか。「文具と雑貨の店トナリノ」と云う屋号があるかと思えば、「食とセラピーていねいに」という店もある。あっしは、まだ探検していないが「ニヒル牛」なんという、思わせぶりな名もある。

 後で思ったのは、この街にローマ字や英語、平仮名などがあふれているのは、外国人経営の店の多いせいもあるようだ。あっしらの街でも、近頃は、インド系の人たちの働く店が増えつつあるが、この街はその点、ハンパではない。


 ざっと見たところ、チベット、ブラジル、南仏、イタリアン、ターキッシュ、タイ、ベトナム、モロッコなど、世界中の文化が、そこかしこで花開いている。ここはまさに、国際都市。西の「新大久保」といっても過言ではない。もちろん、昔ながらの、蕎麦屋、和菓子屋、茶屋も健在である。

(つづく)


[No.4249] Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/16(Fri) 14:39
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Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2
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以前、福島県のキャッチコピーで「うつくしま、ふくしま」というのがあり、しばらく感心していたことがあるが、杉並区のキーワードは「なみじゃない、杉並!」というのだそうで、区の広報「すぎなみ」にも、そのように書いてあった。

このコピーを考え出したのは、眞木準というライターで、この人は全日空、キャノン、サントリー、伊勢丹、資生堂など一流企業のコピーを数多く手掛けている。だが、2009年6月、惜しくも60歳でこの世を去っている。


[No.4250] Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/16(Fri) 16:30
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Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2
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中央線沿線には一時、文士や画家が集まり大いに栄えた時代があった。この辺に住むものが、とくに多かったせいであろう。その一人、井伏鱒二は「荻窪日記」を書き残している。

 彼らは集まると、将棋やマージャンに打ち興じた。西荻に「こけし屋」が出来ると、こけし屋は、現在のカルチャーセンター化し、集まった近所のひと達に講義をしたりもしたようだ。しかし、彼ら文士や画家の、主たる目的は、ここで飲み食いをすることだったと思う。

 ここには、錚々たる連中が集まったらしい。「こけし屋」のHPによると、文士や画家が数多く「こけし屋」に集まり「カルヴァドスの会」と云うのを立ち上げている。初代会長は有名な石黒敬七氏。

 会の名は、映画「凱旋門」のなかで、バーグマンが飲むお酒の名前から来ている。旗挙げでは他に、井伏鱒二や徳川夢声、東郷青児、それに、のらくろの田河水泡までいたらしい。ほかに会社重役、商店主なども、駆け付けたようだ。作家の上林暁というのは、当時阿佐ヶ谷に住んでいた。また、ドイツ文学の高橋健二さんが絵を描き、それが今も残っていたのにはビックリ。

 2代目会長は新宿の主のような、あの紀伊国屋書店社長の田辺茂一だったという。このカルヴァドスの前身に「こけし会」というのがあったそうだ。ここでも、向学心に燃える主婦や学生などを相手に、一流の先生方の講義が行われた。たとえば、「こけし屋」の畳敷きの教室で☆、金田一京助先生の「アイヌ文学の発見」の講義があったときは、満員札留めの(^^♪盛況であったとか。


 常連の画家、鈴木信太郎氏の描いた包装紙の絵が、今でも、同店の店頭に掲げられる赤い幟、パンフレットや包み紙、ペイパーバッグなどで大活躍しているのは、嬉しい限りである。(つづく)

 ☆今は無い。


[No.4251] Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/16(Fri) 16:54
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Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2
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鈴木信太郎さんは偉いですね。病気で左半身が思うように動かなくなったというのに、ひたすら画業に専念、ついに日本芸術院会員になり、また勳三等の勲章や、文化功労章まで手にするという、この精進ぶりはただ、スゴイとしか、云いようがない。

 これは同店の小型パンフレットにみる、信太郎さんの絵。


[No.4255] Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/22(Thu) 20:56
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Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2
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>  これは「こけし屋」の、小型パンフレットにみる、信太郎さんの絵である。

 どういうわけか、ちかごろ、何か書くというと、その後に、かならず僅かのインターバルを置いて、それに関連したものが立ち現れて来るのだ。ただ困るのは、すぐ出てこないことで、いい加減トウの立ったころに、ひょっくりと現れるのが、あっしには気にいらない。というのは、つまり

 この鈴木信太郎と云う絵描きのことだが、きのう上野の美術館でゲットした、何枚かのパンフレットのなかに、この画家の展覧会(横浜の「そごう美術館」。会期が10月10日から11月15日までになっていた)のものがあったのだ。べつにこちらで要求したわけではなく、マッタクの偶然なのだ。

 フシギと云うか、何というか。


[No.4252] Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2015/10/18(Sun) 11:58
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Re: 突然ですが、紋次郎が西荻に現れました〜2
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そこで、いつものように、良く調べもせず闇雲に歩き出したのだが、少し行くと、道路の左手になにか骨董屋のような店を発見。屋号は「アンティーク時」というのだそうな。さっそく入ってみると、あるわあるわ、サントリーの『アンクルトリス』がらみの品々が。


 おっ、これはスゴイと、自身骨董品に近く、売り物の骨董品には特別の親近感を抱くあっしこと、唐辛子紋次郎は、注意深く陳列棚に近づいた。


 う〜ん、さすが柳原良平だ。紋次郎の財布では、とても歯が立たない。例の「洋酒マメ天国」が36冊(箱入り全巻揃い)で、あっしの方に盛んに流し目を送って来る。しかし、35000円では、いくら色仕掛けで来ても、とても無理だ。後で調べると、このあたりが、通り相場のようだ。

 ほかに、グラスやコースターなど、いろいろあったが、一点で3000円を下回るものは何一つなかった。で、ここは見学だけにして、店頭の唐辛子をあしらった小皿を、一枚だけ買って早々に店を出た。


 その向かいは、盛林堂書房という古書店で、『まち歩きマップ』によれば、創業66年の老舗だ。店主はわりと若いようだが、かなり自信家に見える。

 中々のやり手らしく、書籍の販売だけでなく、出版までも手掛けているらしい。ここでは、比較的安い豆本の類を2冊ほど。古本好きの紋次郎は、この店なら、また来てもいいな、と思った。

 あっしはどうも生まれついての方向音痴らしく、もともと井荻会館というところで、年にたった2度だけ開かれるという骨董市というものに、行きたくてこの『旅』を思い立ったのに、その反対の方角へ行ってしまったらしく、なかなか目的地へは辿り着けなかった。そのお蔭で、小さい発見もまあ、いくらかはあった。たとえば、駅前の「ぺぱむら」と云う店。工作用の紙製品を扱っているが、若い女の客も多い。ぺぱ、はおそらく、ペイパーの『ぺ』であろう。

 「ムラ」は小さな店なので、村と洒落たか、あるいは、苗字が村井とか村上あたりで、そう付けたのかも知れぬ。(つづく)