画像サイズ: 498×610 (73kB) | あっしも、モネは日本びいきなので、その点が気に入ったところもないわけではないが、やはりあの、睡蓮へのこだわりと云うか、異常なまでの執念(その数およそ、200点)に惹かれるのだ。
そして、この展覧会で初めて知ったのは、あの華麗な画面が出来る前、かれは、何とカリカチュアを描いていたというのだ。そして、もし、ウジェーヌ・ブーダンの誘いがなかったら、一生戯画を描いて終わっていたかもしれない。
やはり、画家には、大なり小なりの変貌が必要なのかも。たとえ、ピカソほどではなくても。
今までモネについての生半可な知識しか無かったあっしは、今回都立美術館で、かれのカリカチュア作品に接したときほど、オドロイタことはない。ところで、
自分の住まっている街で、倉敷で、パリで、モネを何度か観たあっしも、これは見ていなかったという作品群、いや、というより、逆にこれだけは、もう痛々しくて、とても見ていられない、むしろ見たくなかった作品群が、最後の最後に、あっしらを待ち受けていた。
それは、最晩年にモネが白内障に苦しみながらも、なお絵筆を捨てず、描き続けた、愛して止まなかった、そのジヴェルニーの自邸の庭の風景。目が見えないので、カタチは取れているのに、色使いが滅茶滅茶で、とても正視に堪えない。ウィッキーでは『抽象画』と云うが、あっしには、そうは思えない。
たとえば、「日本の橋」は、ただの赤い橋になっている。私事だが、母は晩年、赤しか 識別できなかった。街で赤信号を見ると、しきりに「赤い、赤い」と云ったが、他の色にはマッタク反応しなかった。
画家に対する最大の刑罰、最大の不幸だ、目の見えないということは。自分でそれを分かっていながら、決して筆を折ろうとしなかったモネの姿には、しかし、神々しささえ感じられる。これこそ、真の芸術家の魂ではないだろうか。これらの絵の前に立った時、
あっしは深い感動に包まれ、思わず心中で、嗚咽せざるを得なかった。モネを見に来てよかった。他のどんな展覧会を見るより、モネに会いに行ってほんとうに良かったと、心に刻みこみ、後ろ髪を引かれるような思いで、上野公園を後にした。これは、去る10月21日のことである。(おわり)
写真は交友のあったルノアールによるモネの、ごく自然な日常を描いた肖像画である。 |