画像サイズ: 603×443 (70kB) | この旅は、その年の2年前に行ったミュンヘンでの老牧師さんとの出会いからはじまった。
その日は、「フレスコ画に彩られたオーバーアマガワ」「リンダーホーフ城」をみて来るつもりだった。 しかし、当時からローカル線は本数が少なかった。なんとかミュンヘン6時45分発の列車に乗りたい。しかし、いくら朝の早いドイツでも、朝食は6時半から。ああ折角の朝食が食べられない。でも、ダメモトでレセプションのオネエサンに頼んで見た。「じゃ、6時にご用意しましょう」と言ってくれた。
翌朝、広い食堂の隅のテーブル2つに明かりが灯り、コーヒーカップとお皿が置いてあった。 そして、隅のテーブルには、すでに誰かが座っていた。挨拶をするとその方は「お一人なら、こっちのテーブルへいらっしゃいませんか。ご一緒にいただきましょうよ」と声をかけてくれた。そして「自分は、アメリカ東海岸のコネチカット州でルーテル派の教会の牧師をしています」と自己紹介をした。「仕事でヨーロッパへ来たついでに「キリストの受難劇」で有名なオーバーアマガワへ行きたいと思いまして」と説明してくれました。 「ああ、コーヒーのお代わりはいかがですか。お注ぎしましょう」といってくれ、話を続けた。 「私は、日本の方が好きなのです。小さい時に母が亡くなりまして、私は乳母に育てられたのですが、その乳母が日系人だったのですね。立派な人でした。毎年、母の命日には、花輪を持って一緒に母の墓に参ってくれました。 いえ。私は、スエーデン系です。が偶然ですが、娘が、いま、ニューヨークで日系企業の日本人社長の秘書をしています。どうも、日本にご縁があるようです」 ―――などと、僅か30分の食事時間にいろいろな話をした。
そして、住所を交換して分かれた。 そのあと、手紙のやり取りをつづけていたが、あるときの手紙に「あなたは、ヨーロッパが好きなようだが、一度アメリカへ来てみなさい。粗末な家ではあるがよかったら牧師館に泊まってくれてもいい。ヨーロッパから、アメリカから、そしてアジアから世界を見ると、立体的に世界が見えるかもしれないから」とあった。またとない機会である。翌年、厚かましくも夏に休暇をとって数日間、牧師館にステイした。
私は、英語はダメなのだが、「牧師さん」や「小学校の先生」などは、ゆっくり、はっきり話をして、都度、相手の反応を見ながら、別な言葉に置き換えたりしながら話をすすめてくださる。これはとても助かるのである。 日本人だって同様である。「日本語会話入門」の類を持って恐る恐る「ハシマンシュラインヘの行き方がわかりません」という外国の方へ「アンタねぇ。行っちゃったんだよ、バスは。あっちだよ。歩いていきな」なんて平気で言う。こういう人と話していると語学に自信がなくなる。
牧師さんの教会は、コネチカット州のスタンフォード。我が藤沢市とよく似ている。ニューヨークから50数キロ。郊外の住宅地であり、工業都市でもあるが、アメリカとしては比較的治安の良い街でもある。 |