画像サイズ: 640×402 (94kB) | ブレンナー峠を通って、メラーノへ 1
さて、その翌日は、インスブルッグを発って、列車で南下し、ブレンナー峠を越えてイタリア領の「南チロル」へ行きます。
まずぱ「ブレンナー峠越え」です。 昔から、たくさんの北ヨーロパの人たちが「レモンの花咲く南の国」へ行きましたが、南へ行くには、南北ヨーロッパを分断している「峻険なヨーロッパ・アルプス」のどこかの峠を超えなければなりません。今だってそうです。
グラン・サン・ベルナール峠 (2,473m)、ゴッタルド峠(2,106 m)、モン・スニ峠 (2,083m) 、シンプロン峠(2005m)―――と、どれも2000メートル以上あり、とてもじゃないけれど簡単には越えられません。とくに、グラン・サン・ベルナール峠を越すのは命がけでした。 たくさんの遭難者の救助に活躍したのが救助犬でありました。救助犬は猛吹雪の中をも厭わず樽に詰めたブランデーや食料や気付け薬を首にぶら下げて遭難者へ送り届けていたのです。 なお「お騒がせ人間」のナポレオン・ボナパルトご一行さまは、この峠で、ワイン21000本とたくさんの食料を調達して勘定を踏み倒しました。
そういう峠の中で、比較的低いのが、ブレンナー峠でした。ブレンナー峠は、イタリア語ではブレンネロ峠 Passo del Brenneroですが、オーストリアとイタリアとの国境にある峠(1375m)です。この峠の道はインスブルックから南に伸びる、ものすごく深い谷に沿っています。 ここも「分水嶺」ですが、スケールが大きい大分水嶺です。 北は、Sillジル川〜Innイン川〜Donauドナウ川を経て「黒海」Black-Seaへ 南は、Eisackイザルコ川〜Adigeアデイジ川を経て「Adria海(地中海)」へと流れていきます。 私が小学校時代を過ごした兵庫県の生野町も、日本海と、瀬戸内海との分水嶺にありました。 とにかく、分水嶺には夢があります。 古代ローマ軍団はここを通って北へ向かい、カルタゴのハンニバル将軍も現在のフランスから、象を先頭に立ててアルプスを越えた、ということになっていますが未だに定説ではないらしいのです。象さんも、いくら戦争用として訓練されていたにしても大変でしたね。ご苦労さんでした。
列車は、谷底を走っています。 更に、その下の方を、川が流れていで、辺りはむせ返るような若葉の季節です。 今度は上を眺めますと、これまた、山並みが高くそびえています。
そして、はるか、上の方に、ヨーロッパ随一の高さを誇るヨーロッパ橋“オイロパ・ブリュッケ”(高さ190m)イタリア語Europa Ponte が見えます。長い割には橋桁も道路も細いのです。高所恐怖症の方はお覚悟を。 それでも、この辺りで「バンジージャンプを楽しむ方」も大勢おられるそうです。 写真は撮れませんでした。窓は開かないし、下り坂で結構スピードを出しているし。何より列車は谷底みたいなところを走っていますから。
国境の「ブレンナー駅」では、しばらく停車します。機関車の付け替えもしなくてはなりません。オーストリアは交流15,000ボルト、イタリアは直流3,000ボルトですから。
それと、近頃は「テロ警戒」もあり、停車中に、武装したオーストリアの武装警官が数人で廊下を通り抜けます。その後、イタリア側の武装警官が、ぞろぞろ廊下を歩きます。 |