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[No.4735] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 25 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/05(Fri) 06:34
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(続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 25
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 ボルツァーノとその周辺 3

 ボルツァーノの街へ下ってみますと、下界は暑いのです。
 ところで、ボルツァーノの街に戻ったら、モンジロウ氏のご希望で行くことになっていたのが「アルト・アディジェ考古学博物館」。
 ここに展示されている、紀元前3000年頃の世界最古の凍結ミイラ「アイスマン・エッツィー」に出会うためです。
 私は、アイスマンのことは知らなかったのですが、この日は暑さに閉口していたので、アイスクリームでも、アイスマンでも、熱中症防止に役立つとものは何でもと思い、ここを探訪することにしました。

 この博物館は、1998年3月28日に開かれて、現在までに160万以上の人たちが、アイスマンお目当てで、訪れたということです。といっても「覗き窓」みたいなところから「ちょこっと」みられるだけですが。(私には、よく見えませんでした)ただ、アイスマン君やその時代についての解説は楽しくわかりやすいもので、楽しかったです。

 南チロルの氷河に閉じ込められてミイラとなったアイスマン君、1991年、身に付けていた衣服や装備と一緒に、偶然発見されたのです。これは考古学上センセーショナルな出来事となり、
世界中の学者が、寄ってたかって、やれ「着ているものの素材、縫製や方法や、編み方」とか「携行品の弓矢、銅の柄がついた斧、鞘の付いた石の短剣、容器、背負いかご、骨でできた錐(きり)など」に至るまで、詳しく調べあげたのです。さらに「皮膚のサンプルを採取して」調査したりもしています。何にも悪いことをした訳でもないのにーーー。もちろん「学術的に貴重な標本」としてなのでしょうが、彼の「個人情報」は、とことん調べあげられて公開されてしまったのです。
 このアイスマンを発掘した人たちが全員変死してしまったというのもわかります。
 まさに「祟りじゃ、祟りじゃ」です。

 地球温暖化で氷河はだんだん後退しつつあります。
 「消える氷河」も、出てくるかもしれません。そうなれば、もっともっと、いろいろなものが出てくるかもしれませんね。私が40年前に、グロスグロックナーの氷河のクレバスに落としたカメラもでてくるかも。

 帰路、ホテルの場所がわからなくなり、ここでまた4−50分歩きまわることになりました。
 さすがに、疲れました。
 その晩はホテルのテラスで優雅にディナーをいただきました。
 ホテルと街の話は、次回にさせてくださいね。

 写真は「考古学博物館の建物」です。


[No.4736] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 25 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/05(Fri) 06:35
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Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 25
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 「アイスマン君(ミイラではありません)とのツーショット」


[No.4737] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 25 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/05(Fri) 14:24
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>  ボルツァーノとその周辺 3
>
>  ボルツァーノの街へ下ってみますと、下界は暑いのです。
>  ところで、ボルツァーノの街に戻ったら、モンジロウ氏のご希望で行くことになっていたのが「アルト・アディジェ考古学博物館」。

これが開館7年後に名古屋の『愛・地球博』へ来たというのはスゴイ。会場にも、そのときのものと思われる日本の新聞の一部が、拡大して四角い柱に貼ってあった。

 おっ、これは!日本語だと、驚いたのを覚えている。


[No.4739] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 26 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/06(Sat) 06:53
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(続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 26
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 ボルツァーノとその周辺 4

 さて「ボルツァーノ」で2泊した、ホテルは「Hotel-Luna-Mondschein」と申します。
 当館は、名前をご覧いただくとお分かりのように、イタリア語の方もドイツ語の方も大歓迎です。日本語名は「月月ホテル」です。
 ここもまた、創業は中世という古〜い伝統を誇るホテルなのです。
 「1798年以来、マイヤー家での家族営業ホテルでやっています。以来、世代から世代へと引き継いできた「おもてなしの心」はこの一家に遺伝的に受け継がれているのです」とウェブサイトで「あるじ」が申しております。
 ここは、四つ星なのです。さすが廊下なども広くって、お部屋もゆったりしていました。

 そのうえ、このホテルには、広い公園のようなお庭があり、この一部がレストランとして使われています。(ちなみに、この街には、こういうお庭のあるホテルがいくつかあります)

 レストランのお食事も、本格的で、都会的で洗練されていました。ワインも、なかなか美味しいものを取り揃えております。
 


[No.4740] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 26 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/06(Sat) 07:00
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Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 26
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写真のツーショットのほうは、隣のテーブルでお食事をしておられたご夫妻のご主人のほうが撮ってくださったものです。スイスのチューリッヒからーーーとのことでしたが、スイスの方だったら「山と牧場と湖」なんて珍しくなさそうなのですが、そうでもないらしいです。
 先方から気さくに声をかけて来られました。


[No.4743] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 27 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/07(Sun) 06:32
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(続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 27
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 ボルツァーノとその周辺 5

 この日は、朝から曇っていましたが、どうしても行きたかったSIUSI 高原へバスとロープウエイを乗り継いで行くことにしていたのです。もう、すっかり「山の魅力」に取り憑かれて、毎日、山に会いたくなったのでした。霧で隠れていても「それでもひと目会いたい」と、出かけたわけです。

 シウジ高原へ行くには、まず、ボルツァーノからゴンドラ乗り場のあるオルティセイの町へバスで行かねばなりません。
 バスの発着所と、切符売り場の場所はボルツァーの街の「ツーリスト・インフォーメーション」で前夜、予め聞いて置きましたので問題なく行けました。切符を買うと、窓口のオネエサンは「7番乗り場から乗ってください」というのです。
 公園の中にある、切符売り場の周囲には、バス乗り場がたくさんありました。もちろん、7番乗り場もあるのです。しかしどうも、それらしいバスが来ない。他のバスの運ちゃんに聞いてやっと分かったのは「我々の乗るバスは切符売り場の裏側にある「長距離バス専用のバスターミナルの7番場乗り場」から出るということなのです。「新宿バスタ」ならぬ「ボルツァーノ・バスタ」が別に存在するのです。
 ことはが通じないと、こういう細かなところは、なかなか伝わらないのですね。

 「ま、後は順調だったの」と聞かれれば、そうでもないのです。バスを降りたら、今度は「ロープウエイ乗り場探し」に少しばかり時間を費やしました。
 シウジ高原へ行くゴンドラ乗り場へは、オルティセイのバス停からではなく、途中の大通り沿いのバス停からのほうが、うんと近いのです。もっとも、この件は、ドイツ語の分かる人も知らなくて間違ったと、ウェブにも出ていました。「えー、ロープウエイに乗る方は、ここでお降りになったほうがご便利です」とバスでアナウンスすればいいのに。

 ロープウエイの頂上駅は、標高1857m。小雨が降ったり止んだりしています。
 傘をさすほどではないのですが寒い。
 周囲の山々は霧に覆われ、憧れの「サッソルンゴ」を拝むことは出来ませんでした。

 しかし「おお牧場は緑」で「キンボウゲ」の黄色い花がいっぱいでしょう。
 気分はよかったですよ。牛も数頭、首に着けたカウベルをカランコロンと鳴らしてくれます。
 でも、現在は、ここで大々的に牧場経営をしているわけではなく、観光客サービスで当番牧場がお客さんのために交代で自分の牛を連れて来ているのかもしれません。だってこんな山の上で牧場経営をするのは大変ですもの。牛さんは、ロープウエイには乗れませんから、麓の牧場から連れてくるのは大変です。コストがかかります。
 モンジロウ氏は、ウシのための電気柵に触れて飛び上がっていましたが、それでも生きていました。


[No.4744] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 27 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/07(Sun) 06:33
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Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 27
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 霧の中のお散歩もいいものです。


[No.4748] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/08(Mon) 06:53
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 (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28
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 ボルツァーノとその周辺 6

 同じ道を通ってボルツァーノに戻りました。

 寒いので、100円ショップで買って、リュクサックの隅に入れておいた「非常用アルミシート」を着ました。これは暖かいですね。公園の石のベンチに座るときは、畳んで座布団がわりにするとか、旅のお供として、とても役立ちます。(シーツくらいの大きさです)

 オルティセイでバスに乗る前に、ロープウエイ駅のレストランで昼食。私は「クヌーデル」をいただきました。チロルの田舎料理で、ゆでて潰したジャガイモをベースに、パサパサになったパンをほぐしたもの、ソーセージの切れっ端、菜っ葉、チーズなどの残り物を加えて団子にしてゆでて食べたり、スープに入れたりする、素朴な料理です。吹雪の夜、家族で食卓を囲んで食べていたのでしょう。私も直ぐ温まって、お腹がいっぱいになりました。

 さて、ボルツァーノの街ですが、駅の前が広い公園になっています。公園には、こんな蛙の置物があったりします。その先が旧市街。
 中心はヴァルター広場です。
 広場の名は中世ドイツの吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデにちなんだものだそうです。彼の像もあります。しかし、どういうご縁で、この広場に彼の名前がつけられているのかはわかりません。
 広場の周囲には、商店街、レストランなどがあり、市民や観光客でいっぱいです。
 大聖堂は、14−15世紀のゴシック建築ですが、屋根が素晴らしいです。

 夕食は、広場近くの「アイーダ」というレストランで「イタメシ」。巨大なピザをいだきました。美味しかったですよ。
 アイーダの作者、ジュゼッペ・ベルディーさんは、失敗と成功を繰り返し、波乱に富んだ生涯のうちに、たくさんの素晴らしいオペラを世に出した大作曲家ですが、彼に関しても、ヴァルター広場やボルツァーノとの接点が見いだせません。ま、どうでもいいことですが。


[No.4749] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/08(Mon) 06:56
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Re:  (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28
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 チロルの名物料理「クヌーデル」です。


[No.4750] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/08(Mon) 10:42
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>  チロルの名物料理「クヌーデル」です。

手元の辞書には、クヌーデル、クロースの両方が載っている。クロースはただ団子の意味で、クネ―デルは、肉、ジャガイモ、パンなどで作る団子とある。

 この式のものは、ドイツ、オーストリアのほか、チェコなどでも食べられているらしい。日本人にはお馴染みのニョッキも、団子である。あっしは殆ど食べたことはないが、ここで一つお笑いを。

 ニョッキは辞書に載っていなかった。スパゲッティも、英和なら出て来るが、伊英では出てこない。スパゲットならでる。

 ニョッキも、ニョッコ☆ならでるが、ニョッキは雨後のタケノコではないから、いくら待っていても、出てこない。

 ☆このことばには、バカ紋の意味もあるので、共食いにならないよう、注意して、食べないようにしている。

wikiに、チロル風クヌーデルのレシピ(ドイツ語)と云うのがあったが、あいにく、『只今閉鎖中』であった。

 ジャガイモが南米から入る前は、どこも、小麦粉でやっていたらしい。このクヌーデルと云うことばは、イディッシュ語と関係があるらしいので、もしかしたらユダヤ料理が元かもしれない、と思う。


[No.4751] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/08(Mon) 15:23
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Re:  (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28
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>  ボルツァーノとその周辺 6

>  広場の周囲には、商店街、レストランなどがあり、市民や観光客でいっぱいです。
>  大聖堂は、14−15世紀のゴシック建築ですが、屋根が素晴らしいです。

この大聖堂。ラテン系ではカテドラルといいますが、ドイツ系などではドムというようです。例のチロル通の津田正夫さんによれば、赤い砂岩を使った,チュートン風のゴシック建築で、屋根は『青と金のタイル』で葺いてあるといった風に記述している。

 あっしが、この式の屋根を見たのは、クロアチアのザグレブで、その時は、今まで見たことない屋根瓦に、強い衝撃を受けた。


[No.4752] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/08(Mon) 17:23
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>  ボルツァーノとその周辺 6

>  中心はヴァルター広場です。
>  広場の名は中世ドイツの吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデにちなんだものだそうです。彼の像もあります。しかし、どういうご縁で、この広場に彼の名前がつけられているのかはわかりません。


  この広場についての、あっしの解釈。

ボーツェンのヴァルター広場に立つヴァルターの銅像。かれはいわゆる吟遊詩人で、ドイツ語ではミンネゼンガー。

 フォーゲル(ワイデ)の名の通り、一生を殆ど宮廷を渡り歩くことで過ごし、なかなか安定した生活に入ることがかなわなかった。

 銅像のミンネゼンガーは、愛を歌う詩人なので、七弦琴を手にしている。

 ところで、このヴァルター、なぜ彼の像がボーツェンにという疑問は、津田氏も述べているが、はっきりした出生地こそ分からないが、ボーツェンから25キロしか離れていない山中で生まれたとすれば、何百キロも離れているわけではない。いわゆる、地元の偉人ではないか。

 日本でも、成田空港はかつて「新東京国際空港」と呼ばれたし、千葉県浦安市にある「東京ディズニーランド」は、今でも、その名を使っている。

 家の近くでは、ユーカリ樹がないのに、ユーカリが丘という町がある。ということだ。

 寄り道は止めて本題に戻ると、津田氏の場合は何回も行くので余計説明が複雑になる。しかも、見聞が古い。著書のほとんどが、1938年ころの見聞で、その後出版直前に又行くが、これが1966年。しかも、悪いことに

 この広場の名が何回も変わるし、氏がしつこく(^^♪、何回も同じ所に☆行くので又、著者を始め読者のみんなが、きりきり舞いさせられるのではないか。

  ☆ 今なら広場の名は、もう当分変わらないだろうし、ふつうの日本人は津田氏のように、そう何回も同じ町には行かない。


[No.4763] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 28 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/10(Wed) 09:29
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>  ボルツァーノとその周辺 6

>  夕食は、広場近くの「アイーダ」というレストランで「イタメシ」。巨大なピザをいだきました。美味しかったですよ。
>  アイーダの作者、ジュゼッペ・ベルディーさんは、失敗と成功を繰り返し、波乱に富んだ生涯のうちに、たくさんの素晴らしいオペラを世に出した大作曲家ですが、彼に関しても、ヴァルター広場やボルツァーノとの接点が見いだせません。ま、どうでもいいことですが。

  このイタ飯屋についての、あっしの解釈。

 あっしは旅行中、いつもそう余裕がないので、『接点』までは考えることがない。いま、思うのだが、この辺はドイツ語を使う人こそ多いが、一応イタリア領だ。

 しかも、今イタリア料理が世界を席巻している。自分が地元民であり、店を出そうと思って、屋号を選ぶ際、ベートーベン、モーツアルト、ではウィーンやザルツの方が相応しい。

 世界中から観光客も大勢来ることだし、なんとか地元を売り込もうと思ったら、常識的に見て、まず郷土の音楽家ヴァルターが頭に浮かぶのは当然だ。子供の時から、この銅像の下で、毎日のように鬼ごっこをして遊んだりしたのだから。しかも、

 自分の親が、もしイタリア系だったら。

 おじいさんのルイジが、機嫌のいいとき、よく聞かせてくれたヴェルディオペラのアリアがふっと、頭をかすめる「これだ、これだ」てえわけで屋号を「アイーダ」と決める。

 至極トーゼンのように思うが…。そういえば、あのとき、ウェイトレスだか、店の経営者だか知らないが、料理を運んできたひとが、イタリア語のようなものを話したような記憶がある。


[No.4759] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 05:31
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(続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29
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 ドロミテ山塊の東側 2

 今回の旅で、滞在した町はどの町もアルプスの雪解け水を湛えた川が、町のなかを流れていました。
 インスブルックにはイン川が、メラーノにはアディジェ川が、ボルツアーノにはイザルコ川が街の風景を印象深いものにしていましたが、この日着いたリエンツの町も中央をイーゼル川が流れていました。この川の水は、北へ向けて旅をして、我々が帰路二日間を過ごす予定のドイツのミュンヘンまで行き、のちに方向転換して、ドナウ川と合流します。川というものにはロマンがありますね。

 この川沿いの町、リエンツは、落ち着いた、上品な町です。
 といっても、決して寂れている訳ではなく、ハウプト広場(町の中心の広場)の辺りは大勢の人で賑わっていました。
 ランチをいただいた、広場に面した軽食堂のテラスで注文したパンの大きさ。モンジロウ氏に半分食べてもらったのですが、一人じゃ食べきれません。ヨーロッパでも、大都会と、地方の町では、食べ物のサイズが違うように感じました。
 
 食後のお散歩がてら「ブルック城」へ行こうと出かけたのですが、遠い上に、当日市内で開催された「市民自転車レース」のための交通規制のために遠回りさせられたりして、思ったより時間がかかり、途中で引き返してきました。

 しかし、川沿いの遊歩道は歩くのが楽しくなるような、いつまでも歩いていたくなるような場所でした。

 また、名所旧跡もいいですが、たまには町中の茶店で、ソフトクリームを舐めながら、地元民を眺めているのも楽しいです。日曜日だからでしょうか。6人家族がオトウサンに連れられてやってきて、家族一同でソフトクリームを食べている、それを眺めているオトウサンの嬉しそうな表情。

 自転車レースに出場しているパパが、なかなか家の近くの通過点にやってこない。もう殆どの人が通過したのにパパはどうしたのだろう。やがて汗で濡れた真っ赤な顔をしたパパが近づくと、坊やが必死で手を振る、こんな風景をながめているもの楽しいものです。

 その晩泊まったホテルについては、後ほどお話しますね。


[No.4760] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 05:32
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Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29
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 公園の展示物です。巨大な「蝶々」です。


[No.4764] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/10(Wed) 12:48
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Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 29
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>  ドロミテ山塊の東側 2
>  この川沿いの町、リエンツは、落ち着いた、上品な町です。
 
>  食後のお散歩がてら「ブルック城」へ行こうと出かけたのですが、遠い上に、当日市内で開催された「市民自転車レース」のための交通規制のために遠回りさせられたりして、思ったより時間がかかり、途中で引き返してきました。

あっしはホテルを探す途中で、その自転車レースなるものを発見しました。大体が狭いうえに、道路の真ん中に、自転車レーンなんぞをつくる紋だから、写真で見る通り、いきおい両側の歩道が狭くなり、こちとらは、歩くのにタイヘン苦労しました。

 前方の赤い建物はホテルと思われますが、その右側は、有名なイタリアのベネトンのようです。

 


[No.4761] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 30 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 06:15
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(続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 30
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 ドロミテ山塊の東側 3

 もんチャン、リエンツのホテルのお話は、後回しにして、早くドビヤッコから、「ドロミテの真珠」いわれている「ミズリーナ湖」へ行きましょうよ。
 そうそう、ここは暑くても、ドビヤッコ は 標高1265mで、ミズリーナ湖は標高1765mよ。厚着をして行きましょうね。

 というわけで、我々は、また、超鈍行列車に乗って、コトコトと昨日きた道を後戻り。一時間半掛けて、ドビヤッコ駅に着きました。
 40年前とは大違い。あの寒村のなかの寒村というイメージの残っているドビヤッコの町。駅前には、小さいながらバスターミナルもできていました。
 そして、あまり待つこともなく、ミズリーナ湖の近くを通るバスがやって来ました。

 出発したバスは、いきなり深い山あいに入っていきます。
 右も左も、前も後ろも絶壁のような山塊が。
 つづら折りのイロハ坂のような道をバスはどんどん進んでいきます。

 途中、二度くらい「イタリア国旗」を見ました。そうなのです。ここは、イタリアとオーストリアの国境地帯なのですが、バスは、2つの国を行き来しながら、進んでいくのです。
 30分も走りますと、少し開けた場所に出ました。運転手さんはこちらを振り向いて「ここだよ」と教えてくれました。
 下車しますと、今度は、運転手さんは右手を指差しながら「あっちだよ」と教えてくれました。 
 バス停からは湖なんか見えません。しかし、教えてもらった方向へ10分も歩きますと湖が見えてきました。
 道端には、こんな可憐な花が咲いていました。高山植物でしょうか。

 美しい、本当に美しい湖でした。
 そして、周囲は、ドロミテ山塊に取り囲まれているのです。
 ドロミテの山の面白いところは「見る位置」によって姿が変わることです。
 富士山だって、駿河湾側からみるのと、山梨県側から見るのでは形が違うのですが、何日も掛けて、ドロミテの山々をあちこちから眺めた我々の実感です。

 なお、この湖からひとつ山を越しますと「コルティーナ・ダンペッツォ」という冬季オリンピックの開かれた町があります。ここは賑やかな街で高級ホテルもいくつかあります。
 ちなみに、このあたりでは、イタリア語でもドイツ語でもない「レト・ロマンス語系の古い言葉、もちろん少数言語の「ラディン語」を話す人を祖先に持つ人たち」が多いのだそうです。もちろん、今は、特に観光ビジネスに携わっている人たちは、イタリア語、ドイツ語はおろか英語もお上手ですし、日本語のできる方もおられます。(スイスでも、そうらしいですが、昔は、山岳地帯の深い谷間に住んでいる人たちは、となり村との交流もほんどないので、村のなかの人たちだけに通じる独自の言葉を話していても困らなかったのですって)

 (次回は、この湖の説明をしますね。)


[No.4762] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 30 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/10(Wed) 06:26
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Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 30
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 ドロミテの真珠」いわれている「ミズリーナ湖」
 お花も可愛いらしかった。


[No.4766] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 31 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/11(Thu) 06:09
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 (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 31
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チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 31 ドロミテ山塊の東側 4

 湖の周囲は2.6 km、ぐるっと、湖の周囲に遊歩道が巡っています。長細い湖ですかが、見る場所で、湖や山並みの印象が変わります。
 やはり辺りの山々で「主役を張っている三連峰」が目立ちます。これもあとで確認したのですが、これこそ、有名な「トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード(2999m)」なのです。前回「逆さ富士?」みたいな写真でご覧に入れた、あれです。目立ちます。
 モンちゃんは、行きたかったらしいのです。一節には、登山道はそれほど険しくなく「乳母車」を押している家族連れも歩いているようなのです。展望台までならば1時間で行けるそうです。モンちゃんの体力ならば登れるでしょう。マーチャンはどうかな?
 いずれにせよ「天候の急変」もあり得ます。数日前のように「疲れたからタクシーを呼んでもらう」のは難しいでしょう。「乳母車」の乗せてもらうのは、なお難しいです。
 野原の先に見えているのはソラピス山3205mです。

 水はコバルト色で澄んでいますが、空気はもっと澄んでいます。
 この立派な建物、てっきり四つ星ホテルだとおもったのですが、後で調べたら、実は、イタリアでただひとつの気管支喘息の子供のための施設なのですね。そう言われてみれば、子供のためのささやかな遊園地があって遊具が置いてありました。いま、考えてみると「親元を離れて厳しい自然の中で療養に励む子供たち用」だったのですね。
 これも、後でわかったのですが、1956年の冬季オリンピックが、この山ひとつ先の「コルティナダンペッツォオ」で開催されたことは、前回お話しましたが、このオリンピックでスピードスケートの会場となったのが、このミズリーナ湖なのですね。 
 当時はスケートリンクなんてなかった。スケートは湖や池でするものだったのですね。もっとも、オリンピックのスピードスケートが自然の氷の上で行われたのは、この時が最後だったそうですが。
 この「コルティナダンペッツォオリンピック」ではスキーの猪谷千春さんが日本人としてはじめて冬季五輪メダリストとなりました。覚えておられる方もあると思います。


[No.4767] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 31 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/11(Thu) 06:15
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Re:  (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 31
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左側の建物が、イタリアでただひとつの気管支喘息の子供のための施設です。

冬は淋しいでしょうね。


[No.4769] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 32 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/12(Fri) 06:52
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 (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 32
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 ドロミテ山塊の東側 5

 さて、宿のことも聞いてくださいね。
 一泊目に泊まったのは、ホテル・トラウベ(葡萄ホテル)Vergeiner's Hotel Traubeです。マーチャンの好きな1860年創業の家族経営の小規模なホテルです。スタッフはフレンドリーでなんとなく寛げるホテルです。
 重々しい鉄の扉の葡萄のデザインも、鉄の装飾看板も、年代モノです。
 入り口脇から地下へ下ると、なかなかいいレストランがあります。バッカスさんもお待ちですし、今夜はもちろん、ここでワインです。葡萄酒です。
 はい、ディナーはイタメシです。
 この地下室の酒蔵に続いたレストラン、宿泊客ばかりでなく、外部から食べに来る人も少なくありません。
 たしかに、お酒も、お料理もよかったですし、お給仕のオニイサンも楽しい人でした。
 本当は、ここに2泊するつもりだったのですが、葡萄ホテルは、翌日は貸切になるので、泊まれないとのこと。他を探したら「五つ星のホテルGrandhotel Lienz」しか空いていなかったのです。
 いくら、田舎町とはいえ、そんな御大層なホテルに、洋風の行儀作法もわきまえない、もんチャン・マーチャン・コンビが泊まるのは如何なものかとも思いましたが、ほかに選択肢がないので、結局泊まることになました。
 せっかくなので、ディナーも「五つ星ディナー」をいただくことにしました。
 ダイニングルーム入り口で、迎えにきたウエイターさんに案内された、川に面した窓際のテーブルには「Willkommen Fam Wakamiya」と書かれた陶製のプレートと、洋風の「お通し」が待っていました。
 ご大層ホテルで、もう一つ「えっ」と思ったのは「宿泊のご案内」に「当ホテルでは『ターンダウン』につきましては、お客様のご要望かある場合のみ行っております。必要な方はお知らせください」とあるのです。
 Turndown とは、私の知っている範囲では「拒む」「蹴飛ばす」等の意味と理解していたのですが、ホテルの「ターンダウンサービス」とは、客室スタッフが、ベッド・スプレッド(ベッドの一番上にかける布製のカバー)があれば外し、アッパー・シーツを折り返えす、併せて、カーテンを閉めたり―――簡単に言えば「お休みの準備」を行ってくれるサービスのことなのですって。
 高級ホテルに於いては馴染みのあるサービスらしいのですが、わざわざ来てもらうほどのことではなので自分たちでやりますーーーという人も多いので、一応ご希望を伺うという意味なのですね。へぇ、知らなかったぁ。
 もちろん、我々は、そんな「余計なおせっかい」は、頼みませんでした。


[No.4770] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 32 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/12(Fri) 06:57
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Re:  (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 32
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 「五つ星ホテル」のディナーのテーブルです。
 ダイニングルーム入り口で、迎えにきたウエイターさんに案内された、
 川に面した窓際のテーブルには「Willkommen Fam Wakamiya」と書かれた
 陶製のプレートと、洋風の「お通し」が待っていました。


[No.4772] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 32 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/12(Fri) 20:53
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>  「五つ星ホテル」のディナーのテーブルです。
>  ダイニングルーム入り口で、迎えにきたウエイターさんに案内された、
>  川に面した窓際のテーブルには「Willkommen Fam Wakamiya」と書かれた
>  陶製のプレートと、洋風の「お通し」が待っていました。


Willkommenのほかに、Herzlich (熱烈)歓迎、つーのも、書いてあったよ。


[No.4773] Re: (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 32 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/12(Fri) 22:11
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>  ドロミテ山塊の東側 5
>
>  さて、宿のことも聞いてくださいね。
>  一泊目に泊まったのは、ホテル・トラウベ(葡萄ホテル)Vergeiner's Hotel Traubeです。マーチャンの好きな1860年創業の家族経営の小規模なホテルです。スタッフはフレンドリーでなんとなく寛げるホテルです。

このホテルは、フェアガイナー一家が創業。社史は古く、1860年は、日本で云えば万延元年に当たるそうですね。ここはオランダの皇后が、カフェ=レジデンツ☆として贔屓にしていたともあります。

 カフェ=レジデンツと云えば、ウィーンのシェーンブルン宮殿のが有名ですね。


[No.4775] (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 33 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/13(Sat) 06:30
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 (続々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 33
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 ドロミテ山塊の東側 6

 さて、この日は郵便バスで、リエンツから、グロスグロックナーの北側へ抜けて、超ローカル列車で「ツェル・アム・ゼー」へ行くことにしました。
 グロスグロックナー(3,798m) は富士山よりは少し高いですが、オーストリアとしても最高峰です。ここは、もうドロミテ山系ではありませんが。
 40年前は、フランツ・ヨーゼフ峠の展望台を通る郵便バスがあったのですが、2−3年前に廃止になりました。(クルマ社会でバスに乗る人が減ったのでしょう)。
 しかし、西側から、グロスグロックナーを越えて(長いトンネルも抜けて)北上するポストバスがあると知って(オーストリア政府観光局のFacebookで問い合わせて情報をいただきました
)、有名観光路線ではありませんが、それも面白いと思って乗ることにしました。でも有名観光路線でない乗り物を「エトランゼ」が乗りこなすのはなかなか大変です。
 バス停が見つかっても「だれも待っていないけれど、本当に、このバス停でいいのかな」と不安になってきたりします。
 出発間近になりますと乗客が少し集まりました。「子ども連れのおかあさん」など地元民が多かったです。
 バスは定刻通りにやってきて、われわれを乗せると、のどかな牧草地をのんびりと走り出しました。ローカルバスの役目も持っているらしく、幾つものバス停でまめに停まります。
 村々を抜けて、いよいよ山岳地帯に入りますとバス停はありません。つづら折りの道をぐんぐん登っていきます。長いトンネルに入る前には、貫禄あるグロスグロックナーが目の前に迫ってきます。しかし、天気は悪いし、バスは結構スピードを出しますので、ろくに写真は撮れませんでした。
 長いトンネルを抜けますと、鉄道の駅がある「ミッターシェル」に着きます。70分のバス旅です。
 ここからは、列車で ツェル・アム・ゼーへ向かうのですが、客室の椅子は、ご覧のような小学校なみの大きさです。
 でも。車窓の眺めは素晴らしです。
 途中で、高校生が乗ってきたり降りたりしていました。通学路線でもあるのですね。
 そうこうしているうちに列車は「ツェル・アム・ゼー」駅に着きました。1時間の旅でした。
 ところが、ツェル・アム・ゼーの駅についたらスーツケースがありません。女車掌さんに聞きますと「荷物は、ホームにおろしておいてあげたわ」と仰せられる。実は、この車体はステップが高くて、スーツケースを持ち上げるのは結構難儀なのです。
 三セクか、四セクで辛うじて運営している超ローカル路線かもしれませんがこの親切に感激。どこの国に、お客さんのスーツケースを降ろしてくれる鉄道会社がありますでしょうか。やはり「ゲミュートリッヒカイト」の国です。
 こういう「親切との出会い」があるから、旅はやめられないのです。