[掲示板へもどる]
一括表示

[No.4777] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/14(Sun) 05:58
[関連記事

(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34
画像サイズ: 960×539 (62kB)
 ドロミテ山塊の東側 7

 「ツェル・アム・ゼー駅」は、急行も停まる大きな駅です。我々の乗ってきた、超ローカル線は一番端のホームに止まりました。
 ツェル・アム・ゼーは、ツェラー湖(Zeller See)という大きな湖の湖畔の街です。ここもスキーリゾートです。そしてここも周囲に高い山がたくさんあって展望台へはロープウエイで上がれます。残念ながら天候がイマイチだったので、行かれませんでした。
 例により、ホテルの場所探しがはじまりました。
 後でわかったことなのですが、駅の出口は「湖水口」と「山側口」と2つあったのですね。  
 反対側の出口から出てしまったので、遠回りをしてしまいました。
 ここでも、地元の方に伺って湖水の方へ通りぬけをする近道を教えていただきました。ちょっと戸惑っていたら若い女性の方が、親切にホテルまで送ってくださいました。湖水口から出れば、駅の隣みたいに近かったのですが。
 ただ、遠回りをしたことで、いろいろな気付きがありました。たとえば、我が国では看板に外国語が書かれている場合は「英語・中国語・韓国語」が多いのですが、この国では「アラビア語」の看板をあちこちで見かけました。やはり地理的な要因でしょうか。
 また、山側は商店街になっていて、おしゃれなブティックなども見かけました。
 「道に迷う」ということは、大切なことです。はい、人生と同じです。「ノートラブル旅行」なんてスパイスの効いていないスープみたいなものです。もっとも、我らが旅は、スパイスが少し効き過ぎていましたがーーー。
 ホテルは「Hotel Seehof」といいます。まあ「海(湖)の家」でしょうか。
 庶民が気軽に泊まれる宿です。それでも、一応バルコニーがついていて、ここからすこし首をひねれば「湖」が見えます。
 大きな食堂もありましたので、ここで夕食をいただきました。デザトートもしっかりいただきました。
 テレビでサッカーをやっていました。オーストリアとオランダの対戦でした。オーストリアが勝っていたときは、テレビに向かって「オッ」などと声を出していましたが「負け戦」になると、テレビなんて見ないで、そっぽを向いていました。どこの国でも同じですね。


[No.4778] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/14(Sun) 06:00
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34
画像サイズ: 539×960 (74kB)
 アラビア語の看板です。


[No.4780] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/14(Sun) 13:53
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34
画像サイズ: 510×382 (82kB)
>  ドロミテ山塊の東側 7

今振り返ってみると、オーストリア、ドイツを通じて、アラビア系のひとはほとんど見かけなかったが、この街はどういうわけか、アラビア系の住民も少しいるのか、アラビア語の看板がとくに目立った。

 写真は駅の真ん前だが、ATMコーナーに、アラビア語があふれている。写真右は喫茶店というか、軽食堂だが、ここにも、アラビア文字が、がんばっている。さすがに薬局や、中心街、インフォーメーションを示す標識などには、マッタク出てこない。


[No.4781] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/14(Sun) 14:22
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34
画像サイズ: 457×610 (86kB)
>  ドロミテ山塊の東側 7
>
>  「ツェル・アム・ゼー駅」は、急行も停まる大きな駅です。我々の乗ってきた、超ローカル線は一番端のホームに止まりました。
^
 これなんか、アラビア語しか書いてない。上に髯があるので、たぶん床屋だと思うが…。

 縦にたくさん文字が並んでいるのは、髪型によって値段が違うのであろう。


[No.4782] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/14(Sun) 17:54
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 34
画像サイズ: 510×382 (96kB)
>  ドロミテ山塊の東側 7
>
>  「ツェル・アム・ゼー駅」は、急行も停まる大きな駅です。我々の乗ってきた、超ローカル線は一番端のホームに止まりました。

これが、その「ツェル・アム・ゼー駅」です。写真奥の柵のようなものの先に湖があり、あっしらの泊まる宿もあったのです。

 ところが、あっしらは、そんなこととは露知らず、出口は一つと勝手に決めて、写真手前の方から、駅舎を出てしまったのです。まさか、向こう側に出る地下道があるとは、考えもしませんでした。


[No.4784] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 35 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/15(Mon) 06:44
[関連記事

(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 35
画像サイズ: 359×640 (92kB)
 ドロミテ山塊の東側 8

 湖畔に沿って、そぞろ歩き用の遊歩道(プロムナード)があります。まだ夏休みになっていないのに、ぞろぞろと人が歩いています。シニアが多いように見受けられました。
 「山の淋しい湖に、ひとり一人来たのも かなしい心」という歌がありましたが、日本にも外国にもそういう淋しい湖はないですね。
 我らが泊まっていたホテル「湖(うみ)の家」の、すぐ目と鼻の先に、結構な豪華ホテル「グランドホテル・ツェル・アム・ゼー」がありますから、周囲には土産物屋さんもたくさんあります。
 マーチャンは、民族衣装のエプロンを買いました。これだったら日本で身につけていても違和感はないと思いまして。
 駅の方向には湖沿いに公園があります。エリザベート・パークです。はい、エリザベートさんは、皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世の奥様です。旅と、エステに異常にこだわったエリザベートさんは、もちろん、ツェル・アム・ゼーもお気に召していて何度も来られたと伺っております。
 
 いまも、オーストリアの方々はハプスブルグ帝国を偲ぶのがお好きです。
 グロスグロックナーの峠も「フランツ・ヨーゼフ峠(ヘーエ)」であり、ウィーンには「フランツヨーゼフ駅」があるとか。そんなにお好きだったら、共和国なんかにならないで、帝国のままでいても良かったのではないかしら。
 ちなみに、オーストリア共和国の国家は Land der Berge, Land am Strome 山岳の国、大河の国(一応、モーツアルト作曲ということになっていますが)ですが、この日までの10間、オーストリアを中心に歩きまわって実感しました。本当に「山、また山」の国でした。

 ところで、公園にこんな樹木がありました。これ、何の木でしょう?
 そんなことで一応湖水散歩を終わって宿に戻ったのですが、残念だったのは、お話したように、天候がイマイチだったので、街の裏手の山であるシュミッテンヘーエ(Schmittenhohe)2000m へケーブルカーでいくという計画を断念せざるを得なかったことです。
 自然が相手の旅です。まあ、すべて予定通りに行かないというのは、仕方ないです。
 てなことで、翌朝、ミュンヘンに向けて出発しました。
 今これを書いている最中に「ミュンヘンの乱射事件」のことを知りました。胸が痛みます。


[No.4785] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 35 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/15(Mon) 06:57
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 35
画像サイズ: 640×375 (90kB)

 写真の続きです。


[No.4788] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/16(Tue) 06:26
[関連記事

 (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36
画像サイズ: 960×539 (46kB)
 ドロミテ山塊の東側 9

 この日(6月15日)は、ツェル・アム・ゼー駅を8時45分に出発、北チロルを通るローカル線でヴェルグルまで行き、そこで国際特急に乗り、ミュンヘンに向かいました。
 これが、ローカル線の乗り納めです。なぜか、この期に及んで、空が晴れてきたのであります。
 しかし、この「晴れ」には大いに意味があるのです。この路線は「ザンクト・ヨハン」「キッツビュール」などのチロルの山の麓の町を通って行くのです。車窓から、なかなか結構な眺めが楽しめるのです。少し雲がかかっている山々が窓いっぱいに見られたのです。
 ヴェルグルで、50分くらいの待ち合わせのあと「ユーロシティー オーストリア・ドイツ国際特急」に乗り換え、一時間あまりの旅でミュンヘンに着きます。
 ヴェルグルの少し先のクーフシュタインが国境の駅となります。
 ドイツ領に入る時も、オーストリア側と、ドイツ側の銃を持った兵士がそれぞれ数人、コンパートメントの端の通路を、ぞろぞろ歩きながら検査していました。
 面白いのは「山、また山」のオーストリア領から、ドイツ領へ入ると、とたんに山並みが後退して、平野が広がって来るということです。
 そして、12時過ぎに、ミュンヘン中央駅に、無事到着し、この旅の第一日に泊まったのと同じ「ホテル・エデン・ヴォルフ」に旅装を解きました。
 ミュンヘンには2泊して、バイエルンの初夏を大いに楽しみました。


[No.4789] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/16(Tue) 06:27
[関連記事

Re:  (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36
画像サイズ: 960×539 (68kB)
 ご機嫌のモンジロウ氏でした。


[No.4790] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/16(Tue) 09:49
[関連記事

Re:  (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36
画像サイズ: 367×490 (69kB)
>  ドロミテ山塊の東側 9

>  この日(6月15日)は、ツェル・アム・ゼー駅を8時45分に出発、北チロルを通るローカル線でヴェルグルまで行き、そこで国際特急に乗り、ミュンヘンに向かいました。

ゼーの町を歩くと、外壁がいろいろに装飾された家がよく目に着いた。そういえばドイツのボーデン・ゼーでもそう云う建物を見た。


[No.4791] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/16(Tue) 10:36
[関連記事

Re:  (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36
画像サイズ: 382×510 (66kB)
>  ドロミテ山塊の東側 9

看板にシュー・ハオスとある。シューの家だから、靴を商っているのだろう。それにしては、看板が渋い。

1968年創業なので、そう古くはないが、そろそろ半世紀にはなる。

 4階まであるようなので、靴屋ではなく、シューハオスと云う名の人が経営するホテルでもあろうか。


[No.4792] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/16(Tue) 11:03
[関連記事

Re:  (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36
画像サイズ: 690×517 (83kB)
>  ドロミテ山塊の東側 9

これはどうやら、家紋を表しているらしく、シュミット家の先祖というのは、なにしろ1493年に遡るというから、相当の名家なのだろう。

 1493年といえば、日本では明応2年で、明応の政変で足利将軍が追放されたころ。また、北条早雲が伊豆に攻めこんだりした時代だ。


[No.4803] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/18(Thu) 17:55
[関連記事

Re:  (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 36
画像サイズ: 321×430 (64kB)
>  ドロミテ山塊の東側 9
>
>  この日(6月15日)は、ツェル・アム・ゼー駅を8時45分に出発、北チロルを通るローカル線でヴェルグルまで行き、そこで国際特急に乗り、ミュンヘンに向かいました。

ヴェルグル。こんな町、こんな駅はふだん目にする事は少ないと思うので一枚。

 オーストリア、ク−フシュタインにあるヴェルグルは、小さい町だが、交通の要衝であり、昭和の大恐慌時、当時の町長ウンターグッゲンベルガーが、ドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルの提案した自由貨幣をヴェルグルの町に採用し、つまり地域通貨として流通させ、町おこしに成功。

経済学者をはじめ、各方面から称賛を浴びたことは、記憶されていい。

 たしか町のメインストリートにもそうした事績が書いてあったように思うが、乗り換えで、持ち時間も少なかったので写しそこなった。


[No.4794] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 37 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/17(Wed) 06:32
[関連記事

(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 37
画像サイズ: 694×470 (62kB)

 ミュンヘン 1

 ホテルに荷物を置くと、直ぐに出かけました。はい、まだお昼を食べていなかったのです。
 ホテルからダウンタウンへ向かって斜め前にレストランがありました。さっそくそこのテラス席に腰を下ろしました。ちょっと雨粒が「ポツン」と落ちてきたら、お姉さんたちが、大慌てで、各テーブルから、テーブルクロスを剥がし始めました。そして、我々の方を見ながら「階段へ」といっているようでした。我々がレストランの二階席に着く頃には「ピカッ・ゴロゴロ・ザーッ」と昼間の夕立が降ってきました。ランチをいただいてデザートまで済まして外へ出た頃には、小ぶりになってきました。
 と、お店の前に「観光バス」が停まっていたのです。東京のスカイバスと同じタイプでした。
 まだ雨が降るかも知らず、観光バスで、とりあえず、街を一周するのも悪く無いと思いそれに乗りました。
 1時間の最短距離コースで、何故か日本語のオーディオが聞こえず、ドイツ語でしたので、地図をみながら街を眺めたのですが、自分が今どこを通っているのか、よくわからないことも多かったのです。
バスは駅を北上して、ブリエナー通りへと右折します。この辺りは、美術館などが固まってあります。Karolinen広場、 Odeon広場(ここには、ルードヴィッヒ一世の像があります) 、 オベリスクのあるKarolinen広場 と過ぎて、イーザル川をぐるっと渡って市の中心部に戻り、Isartor広場から Sendlinger 門を見て Karles広場へ。この辺りで、バスはお客さんを降ろします。旧市街は、バスが入れない・ホコテンなので、歩いて見物し、次のバスで中央駅へもどるという仕組みです。
 記憶に残っているのは、この短いツァーの間に、ナチスの関係の施設のそばを二箇所も通ったこと。解説からも「ナチス」という単語が何回も聞こえたことです。ミュンヘン・南ドイツは、ナチスと縁の深いところですが、それにしてもーーーと感じました。
 お天気のこともあって、やむを得なかったのですが、街の見物は、道に迷ったりして効率が悪くても歩くに限ると思いました。歩きながら気になったところで、立ち止まってゆっくり眺める、これが見物の醍醐味。その結果「必見スポット」を見逃しても、街の印象をしっかり記憶に留められる、ということを再確認した、バス・ツァーでした。
 我々は、ここから、旧市街の中心地「マリーエン・プラッツ」やその周辺を見物してホテルへ戻りました。


[No.4799] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/18(Thu) 06:24
[関連記事

(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38
画像サイズ: 640×359 (93kB)
 ミュンヘン 2

 さて、今回の旅行最後の一日は、超多忙でした。
 モンジロウ氏ご執心の、世界的に有名な「アルテ・ピナコテーク」にはぜひ行きたい。ここは、朝10時に開きます。
 マリーエンプラッツの新市庁舎の塔の仕掛け時計グロッケンシュピールGlockenspielも見たい・聴きたいーーーこれは12時にはじまります。
 旧市内の名所も見たい、と計画は盛りだくさん。
 「アルテ・ピナコテーク」は、ヴィッテルスバッハ家が16世紀から集めた名画が一堂に並ぶ、ヨーロッパの代表的な美術館のひとつです。
 ところで「一度は行きたいヨーロッパの代表的な美術館」ですが、人によって違うようですが大方のご意見では、「ルーブル美術館」「バチカン美術館」「スペイン・プラド美術館」「フィレンツェ・ウフィツィ美術館」「パリ・オルセー美術館」「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」「アムステルダム国立美術館」「ウィーン・美術史美術館」でしょうか。これに、この「アルテ・ピナコテーク」も加えてもいいように私は思います。
 ただ、目下改装工事中ですので「フランドル、ルーベンスホール、オランダ、イタリア」は見られるのですが、そのゾーン以外は、閉鎖中です。
 それはそれとして、まず広大な敷地と建物に驚かされます。なお、ミュンヘンのこの辺りには、「アルテ・ピナコテーク」に加えて、印象派などの作品のある「ノイエ・ピナコテーク」、現代美術のための「モダン・ピナコテーク」もあるのですからすごいです。
 私の印象に残っていのは「ルーベンス・花輪の聖母」「ルーベンス・四人の使徒」「フィリッポ・リッピ・受胎告知」でしょうか。ルーベンスはもともと好きなのです。
 写真撮影は可ですが、フラッシュはご法度。ところで、マーチャンのカメラ、オフにしておいたはずのフラッシュが警備員さんの目の前で「ピカッ」と派手に光った。こっちに寄ってくる警備員さんに向けて「すみません。直ぐ切ります」と言ったのですが、慌てふためいて「オフ」にしたつもりが何故かまたもう一度「オン」を押してしまった。その後は、私の歩くところ・歩くところ、警備員さんがついてまわるーーー本当に申し訳ないことをしました。ごめんなさい。
 さて、マリーエンプラッツの新市庁舎の塔の仕掛け時計ですが、急いで行って早く着きすぎたため、少し待ちました。新市庁舎といっても、写真でご覧いただけるように古色蒼然としています。
 身動きもできないほど混むこともあるそうですが、この日は、それほどでもありません。真正面でよく見えるのですが、時計は塔の上でしょう。ビデオカメラを構えて、ずっと見上げていたら首が痛くなりました。
 でも、人形も音声もなかなか楽しめましたよ。
 この10分間の人形劇は、1568年に行われたバイエルン大公ヴィルヘルム5世とロートリンゲン(ロレーヌ)公女レナーテとの結婚式の様子を表しているのですって。馬上槍試合では、バイエルンの青と白の旗を馬に付けた騎士が勝つことになっているそうです。そのあとビール樽を作る職人たちがくるくると踊りだすのですね。グロッケンシュピールの音楽もいいです。
 動いている32体の人形は、等身大と言われていますが、オペラグラスでも持ってこないかぎり、ドラマの進行まではわかりません。
 でも、まぁ、満足しました。


[No.4800] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/18(Thu) 06:26
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38
画像サイズ: 539×960 (91kB)
 新市庁舎の塔の仕掛け時計です


[No.4802] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/18(Thu) 17:29
[関連記事

Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38
画像サイズ: 510×382 (77kB)
>  ミュンヘン 2

これに、この「アルテ・ピナコテーク」も加えてもいいように私は思います。
>  ただ、目下改装工事中ですので「フランドル、ルーベンスホール、オランダ、イタリア」は見られるのですが、そのゾーン以外は、閉鎖中です。


ヨーロッパの建物の改装工事などは、この絵画館だけでなく、カテドラルなどでも、非常に日数が掛かるので、旅行者は注意が必要です。このアルテ・ピナコテークなども、2014年からやっていますが、未だに終わっていません。


[No.4804] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 38 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/18(Thu) 21:04
[関連記事

唐辛子 紋次郎さん みなさん

> ヨーロッパの建物の改装工事などは、この絵画館だけでなく、カテドラルなどでも、非常に日数が掛かるので、旅行者は注意が必要です。このアルテ・ピナコテークなども、2014年からやっていますが、未だに終わっていません。

 横浜駅西口も同様です。

 この10年間、ずっと工事中です。

 多分、私の目の黒いうちには完成しないと思います。

 平成の「サグラダ・ファミリア」と呼ばれています。


[No.4806] (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 39 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/19(Fri) 06:41
[関連記事

 (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 39
画像サイズ: 564×640 (92kB)
 ミュンヘン 3

 さて、ミュンヘンといえばビールです。最初の晩、どこか美味しいビールを飲ませる所へ行こう、という話になりました。
 ところで「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー、旨いビールの味」というのは、テレビ普及期のCMです。私は、この三都市は、同緯度だと思い込んでいましたが、実際にはミュンヘンは北緯48度、札幌とミルウォーキーはともに北緯43度です。
 まあ、何れにせよ、美味しいビールを味わいたい。
 ミュンヘンのビアホールというと、旧市街にある「ホフブロイハウス」が有名です。なにしろ、あちらは国立ホフブロイハウス醸造会社が直営する、ビアホールなのですから。そして日本のツアー御用達です。
 ところで、あるブログを読んでいたら「「Ayinger」というビールがお勧め。ミュンヘン市内に、ここの経営するビアホールがある」と書いてあったのです。地図で調べたら、なんと、我らがホテルの隣の隣くらいのところにあるのです。こりゃ行ってみなくては。
 二人が着いたのが早かったせいか、我々以外にあまりお客さんが入っていない、あら、閑散としているわね、などと話していると、さにあらず。団体さんが、ぞろぞろと入ってくるではないですか。団体さんは、ヨーロッパ系、アジア系を問わず、すごい人数です。おそらく、食堂が、お庭とか、地下室とか、あちこちにあるのでしょう。やっぱり「名門店」なのでした。しかし、日本人らしき団体はあまり見かけませんでした。(そもそも、ビアホールには「美味しいビールを味わう」という目的以外に「盛り上がる」という目的があります。一人じゃ盛り上がれない。やはり団体で来るのがいいのでしょう)
 はい、ここでは、モンジロウ氏お勧めの黒ビールをいただきました。おつまみも、大皿に乗りきれないような長いソーゼージにジャガイモのサラダが乗っていて、パンかごにも、さまざまなパンがダイナミックに積み上げられていました。
 黒ビールは、豊かな香りがあって、甘味も少しありました。
 酔っ払っても大丈夫。隣の隣のホテルに帰ればいいのですから。
 翌日、新市庁舎のグロッケンシュピールを聞いた後、近くの食堂でランチを頂いたのですが、ここのビールも美味しかった。Franziskaner という、これまた有名なビールなのですね。


[No.4807] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 39 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/19(Fri) 14:33
[関連記事

>  ミュンヘン 3
>  ミュンヘンのビアホールというと、旧市街にある「ホフブロイハウス」が有名です。なにしろ、あちらは国立ホフブロイハウス醸造会社が直営する、ビアホールなのですから。そして日本のツアー御用達です。
>  ところで、あるブログを読んでいたら「「Ayinger」というビールがお勧め。ミュンヘン市内に、ここの経営するビアホールがある」と書いてあったのです。地図で調べたら、なんと、我らがホテルの隣の隣くらいのところにあるのです。こりゃ行ってみなくては。

この「アインガー」というブランド、日本でもけっこうポピュラーになって来たらしい。きのうテレビ、(NHKだと思ったが)をつけたら、ビアホールの光景が映し出され、若者が大勢で楽しそうにビールで乾杯していた。そのグラスにも「アインガー」の名があった。


[No.4808] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 39 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/19(Fri) 14:54
[関連記事

>  ミュンヘン 3
>
>  さて、ミュンヘンといえばビールです。最初の晩、どこか美味しいビールを飲ませる所へ行こう、という話になりました。
>  ところで「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー、旨いビールの味」というのは、テレビ普及期のCMです。私は、この三都市は、同緯度だと思い込んでいましたが、実際にはミュンヘンは北緯48度、札幌とミルウォーキーはともに北緯43度です。

ビールの三大名産地というのは、コピーをつくったサッポロビールと、作詞作曲した山本直純の責任では?あっ、歌ったボニージャックスにも責任の一端が…。(-_-;)

 あるひとは、ビールの三大は、ベルギー、チェコ、ドイツだと云っていますが…。


[No.4809] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 39 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/19(Fri) 15:32
[関連記事

>  ミュンヘン 3

>  翌日、新市庁舎のグロッケンシュピールを聞いた後、近くの食堂でランチを頂いたのですが、ここのビールも美味しかった。Franziskaner という、これまた有名なビールなのですね。

この塔は全体図で見ると、建物の真ん中ではなく、かなり左に寄ったところにある。塔の高さが90メータ近くあるので、この人形(一体が1.4メーター)も広場から見上げると、とても小さく見える。

 なお、庁舎のホールに、姉妹都市のレリーフがあるが、札幌のは左上から二番目にあるが、ミルウォーキーのは入っていない。

 https://de.wikipedia.org/wiki/Neues_Rathaus_(M%C3%BCnchen)#/media/File:M%C3%BCnchens_Partnerst%C3%A4dte.jpg


[No.4810] Re: (続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 39 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/19(Fri) 15:47
[関連記事

> >  ミュンヘン 3

姉妹都市、出ませんか。では、このアドレスをクリッケンしたら、その後、出た画面のNeues Rathaus (München)をつついてみて下さい。プルダウンした先の、Geschichteのすぐ下に、すぐ見つかります。右から一つ目です。


[No.4812] 最終回(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 40 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/20(Sat) 06:39
[関連記事

最終回(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 40
画像サイズ: 960×539 (39kB)

 無事帰宅しました。

 帰路は、往路と同じように、アエロフロートのモスクワ経由で無事帰宅しました。
 85才と81才のコンビが、公共の交通機関を使って歩き回った旅でしたが、とても楽しく充実した日々でした。「あそこにも、行きたかった」「あれを見逃した」というものはいっぱいあります。でも、人生と同じです。限られた時間ですもの。
 マーチャンにとっては、チロルは40年前の旅の「おさらい」でもありました。
 あのとき、ウィーンから乗った列車の中でお友達になった、高校の老校長さんが「オーストリアは、何もかもなくしてしまいチッポケな国になりました。しかし、まだ、あなたがこれから行かれるチロルには美しい自然と、優しい人の心が残っているはずです」と言っておられたのを思い出しました。

 40年前に比べて、道路は整備され、ロープウエイやケーブルカーも増えて、我々ハイシニアでも、ドロミテ山塊などを見られるようになりました。ただ、そのお陰て「俗化」したことも事実です。
 でも、多くの自然の風物に接することができ、親切な皆さんに助けられての旅でした。
 
 ミュンヘン市内の写真を少しばかり掲載させていただきます。
 (ミュンヘン最後の晩にいただいたパスタは、素晴らしく美味しかったです。ドイツも「ソーセージとジャガイモ料理」ばかり食べている国ではなくなったようです)
お土産は、旅行記を書くためのたくさんの資料です。
 長期間に渡る、不細工な旅行記をお読みいただき、ありがとうございました。
 しばらくお休みをいただき、次の連載の準備をいたします。
 今後とも、ご贔屓にお願い申し上げます。


[No.4813] Re: 最終回(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 40 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/20(Sat) 06:43
[関連記事

Re: 最終回(続々々)チロル・ドロミテ、ローカル線の旅 40
画像サイズ: 960×539 (46kB)

 お土産は、旅行記を書くためのたくさんの資料です。