[掲示板へもどる]
一括表示

[No.4815] ロシアとバルト3ヶ国の旅 1 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/20(Sat) 22:22
[関連記事

ロシアとバルト3ヶ国の旅 1
画像サイズ: 617×2611 (92kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 1

ロシアはともかく、バルト三国など国名も首都名も知らない遠い存在なので思い切って行ってみようということになり、行ってきました。
丁度10年前の話です。

行程を「写真2」に示しました。
(写真はクリックすると大きくなります)


1.「出発」

成田空港12時丁度発 エアロフロート582便で、モスクワに向かいました。(写真3)
ロシアの飛行機なので、機内での映画やゲームなどの設備はなく、食事の時以外はほとんど寝ていたと思います。
午後5時30分モスクワ空港に到着。(写真4)
12時出発でしたから、時差6時間がありますので、11時間30分のフライトでした。
モスクワがら国内線でサンクトペテルブルクに移動しました。(写真5、写真6:プルコヴォ空港)
空港からバスでホテルに移動し、ホテル・アングレテールに着いたのは、午後10時10分でした。

(写真 7:サンクトペテルブルクのメイン通り「モスクワ通り」 ) 

ビデオは下記をクリックして下さい。

「出発」
http://www.youtube.com/watch?v=jQJeP7hPYKE

                   多摩のけん


[No.4816] 2日目「サンクトペテルブルク」1 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/20(Sat) 22:39
[関連記事

2日目「サンクトペテルブルク」1
画像サイズ: 614×2336 (89kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 2

2.「サンクトペテルブルク」1

2日目
朝食後、ホテルの周辺を散策しました。ホテルの前には「聖イサク寺院」がありました。(写真1)
(写真はクリックすると、大きくなります)

この寺院は1818年から40年の歳月をかけて建てられたロシア正教の聖堂だそうです。
寺院のそばの観光土産の露店には、ロシア民芸品のマトリョーシカが並んでいました。(写真2)
マトリョーシカは、日本のこけし人形にヒントを得て造られた木製の人形で、こけし人形に似た人形の中をくり抜き、その中に少し小さ目の人形をいれた通常4〜5個入が1セットになっているようです。
わが家にあるのを調べたら高さ10cm、太さ4.5cmで5個入っていました。
しかも、色は違いますが3セットありました。
 
サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝によって、18世紀初頭に人工的に作られた街で、ロシア帝国の首都でした。
それだけに都市美にあふれた街でした。

「エルミタージュ美術館」
サンクトペテルブルクは、何と言っても「エルミタージュ美術館」です。
エルミタージュ美術館のあるエルミタージュ宮殿は、1762年に建てられたバロック様式の宮殿です。
エルミタージュ美術館は、1764年にエカテリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが起源といわれている歴史の古い美術館で、所蔵数は絵、画15,000点、彫刻12,000点、コインその他を含めると270万点以上と言われています。
1992年に世界遺産に登録されました。

(写真3.エルミタージュ宮殿、写真4.宮殿のロビーの階段、
 写真5.ダ・ヴィンチ「リッタのマドンナ」(1480年頃)、写真6.時計「バウリンの孔雀」18世紀製作)

ビデオは下記をクリックして下さい。
 
「エルミタール美術館」
http://www.youtube.com/watch?v=fkLegQ6RDJE

「サンクトペテルブルク寸描」
http://www.youtube.com/watch?v=-_sgcEDh1xE

午後から、バスで市内観光しましたが、車窓観光というのは映像にならないので、ほとんど記憶に残っていません。


[No.4825] Re: 2日目「サンクトペテルブルク」1 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/22(Mon) 22:30
[関連記事

> ロシアとバルト3ヶ国の旅 2

> エルミタージュ美術館は、1764年にエカテリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが起源といわれている歴史の古い美術館で、所蔵数は絵、画15,000点、彫刻12,000点、コインその他を含めると270万点以上と言われています。
> 1992年に世界遺産に登録されました。

「リッタの聖母」。この作品はかなり問題のある作品のようですね。現在では、ダ・ヴィンチ本人でなく、工房の弟子がその大半を描いたという説が支配的のようです。作者はジョヴァンニ・ボルトラッフィオ、マルコ・ドッジョルノのどちらか。

 もっとも、あっしなど割とルネッサンスの絵画を見る機会があるのですが、弟子と云ったって、師匠より上手いのはざらにいます。

 もっとへっぽこな画家の弟子なら、大したことはないでしょうが、何と云ったって、あの天才ダヴィンチの弟子ですよ。

 この作品は、暗殺されたロシアのアレクサンドル2世が、イタリアはミラノのリッタ公爵家から、莫大な代金を払って手に入れたようですね。

 また最初は、モスクアに展示してあったのが、第2次大戦終結直後に、サンクト・ペテルブルクへ移されたとも云います。

 折角の見学にケチをつけるわけではありませんが、ショウジキこんな感想を持ったのでご勘弁のほどを。<(_ _)>

 もっとも、日本語版のウィッキーは、所蔵するエルミタージュは、真作だと云っていると書いているので、それが正しいのかも。


[No.4828] Re: 2日目「サンクトペテルブルク」1 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/23(Tue) 21:07
[関連記事

紋次郎さん

>「リッタの聖母」。この作品はかなり問題のある作品のようですね。現在では、ダ・ヴィンチ本人でなく、工房の弟子がその大半を描いたという説が支配的のようです。作者はジョヴァンニ・ボルトラッフィオ、マルコ・ドッジョルノのどちらか。

>もっとも、あっしなど割とルネッサンスの絵画を見る機会があるのですが、弟子と云ったって、師匠より上手いのはざらにいます。

>もっとへっぽこな画家の弟子なら、大したことはないでしょうが、何と云ったって、あの天才ダヴィンチの弟子ですよ。

>この作品は、暗殺されたロシアのアレクサンドル2世が、イタリアはミラノのリッタ公爵家から、莫大な代金を払って手に入れたようですね。

>また最初は、モスクアに展示してあったのが、第2次大戦終結直後に、サンクト・ペテルブルクへ移されたとも云います。

>折角の見学にケチをつけるわけではありませんが、ショウジキこんな感想を持ったのでご勘弁のほどを。<(_ _)>

>もっとも、日本語版のウィッキーは、所蔵するエルミタージュは、真作だと云っていると書いているので、それが正しいのかも。

   さすがに詳しいですね。
   私など、美術品の観賞より、如何にしたらビデオの「よい映像が撮影できるか」
   が、何よりの関心事です。(^_^.)

   しかし、「リッタの聖母」は、ダ・ヴィンチの作というので、撮影後キチンと
   見ました。(観賞ではない!)

   単純人間だから、「贋作」など毛頭思いませんでした。(毛頭はないけれど)

                              多摩のけん


[No.4817] 3日目「サンクトペテルブルク」2 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/20(Sat) 22:52
[関連記事

3日目「サンクトペテルブルク」2
画像サイズ: 612×2440 (89kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 3

3.「サンクトペテルブルク」2

3日目
前日に続いて、この日もサンクトペテルブルクを観光しました。

「ピョートル大帝・夏の宮殿」
この宮殿は、バルト海に面した小高い丘の上にあるすばらしい宮殿で、大帝はバルト海から船で来たそうです。
宮殿の内部は、白と金を基調にしており、豪華でした。絵画コレクションのためのギャラリーの間がありました。
また、東洋への憧れが強く、中国の陶器や中国の間がありました。
庭園は幾何学的に整えられていました。

宮殿の素晴らしさにもまして宮殿正面の噴水は印象に残りました。
(写真1.宮殿正面、写真2.夕餉の間、写真3.宮殿正面の噴水)
※写真をクリックすると大きくなります。

ビデオは下記をクリックして下さい。

「ピョートル大帝・夏の宮殿」
http://www.youtube.com/watch?v=x11flSyLNMw

「エカテリーナ宮殿」
 エカテリーナ宮殿は、女帝の宮殿らしく、外観が白とスカイブルーを基調にしてエレガンスに富んでおり、部屋も女性らしい装飾でした。
権威の象徴「双頭の鷲」の紋のあるゲートにまもられた中に、その宮殿はありました。
薄いスカイブルーと白の淡いコントラストが女帝らしい優雅な雰囲気を漂わせていました。
宮殿の内部は、白を基調にしており、階段の壁には大きな壺やウィーナスの像などが飾られていました。
しかし、女帝の生活空間になると、金箔がふんだんに使われ、豪華な部屋が多く並んでいました。
(写真4.宮殿正面、写真5.宮殿側面、写真6.大玉座の間)

ビデオは下記をクリックして下さい。

「エカテリーナ宮殿」
http://www.youtube.com/watch?v=Rt-eJJoqILE

                       多摩のけん


[No.4820] 4日目 エストニア へ 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/21(Sun) 23:23
[関連記事

4日目 エストニア へ
画像サイズ: 600×3335 (90kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 4

4日目

エストニア へ

「国境の城」
ロシアからエストニアに移動しました。約360km、6時間の移動です。
ロシアとエストニアの国境はナルヴァ川ですが、ナルヴァ川を挟んで、両国の要塞が対峙していました。
国境に免税店がありました。
ナルヴァ川に架かる橋の中央で、出国、入国の手続きをして、エストニアの城(ナルヴァ城)に入りましたが、大砲がロシア側に向けられていて、「これが国境なのだ。」と実感しました。
ナルヴァ城は13世紀に造られたそうです。
城内は意外に広く、昼食は城内のレストランでとりました。
もともと国防のための城でしょうが、今は観光施設のようです。

昼食をとっている間に、ロシアから来たバスは帰り、新たにエストニアのバスが来ていました。
もちろん、トランクなどの荷物は積みかえられていました。

(写真1.移動コース、写真2.国境の免税店、写真3.国境、写真4.国境の橋、写真5.国境の川「ナルヴァ川」、写真6.アストニアの城「ナルヴァ城」、写真7.ロシアの城)
 ※写真をクリックすると大きくなります。 

ビデオは下記をクリックして下さい。
「国境の城」
http://www.youtube.com/watch?v=JetvPKX70ZU

「エストニア野外博物館」
エストニア野外博物館は、海の見える小高い丘の上の広大な敷地に、昔ながらの藁葺き(素材は違うかもしれません)の農家がいくつもありました。
高齢の女性が編み物などしていましたが、昔の日本の農家とほとんど同じでした。
農民の生活は、基本的には洋の東西を問わず同じだと思いました。
(写真8.野外博物館の建物の例、写真9.民芸品を作っていた女性)

ビデオは下記をクリックして下さい。
「エストニア野外博物館」
http://www.youtube.com/watch?v=DRsQI3sH024

その後、エストニアの首都タリンに向かい、午後6時前にタリンのホテル「ラディソンSAS」に着きました。

多摩のけん


[No.4824] 5日目「タリン」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/22(Mon) 21:51
[関連記事

5日目「タリン」
画像サイズ: 610×2346 (91kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 5

5日目
「タリン」
エストニアの首都タリンの旧市街は、城砦の中にありました。
城塞の内側の壁を利用して土産店や花の店が並んでいました。
(写真1)  ※写真はクリックすると大きくなります。

街の建物は赤い円錐形の屋根に白い円柱形の本体がついたおとぎの国の家のような建物が並んでいました。(写真2)

また、黒いきのこのようなキューポラを5個頂いている1900年代初期に建てられたロシア正教教会「アレキサンドル・ネフスキー教会」の美しさが印象的でした。(写真3)

ロシアから独立した時、撤去する話しもあったそうですが、美しいので残すことになったそうです。

1219年にデンマーク人によって建てられた大聖堂は、17世紀後半に焼失し、現在のものは、100年かけて再建し1772年に完成したものです。

旧市街の中心地「ラエコヤ広場」(写真4)や、メイン・ストリート「ヴィル通り」(写真5)は、観光客や地元の人で賑わっていました。

昼食後は自由行動で、さらにのんびりと旧市街を散策を続けました。

丁度、白い馬車に乗った花嫁・花婿さんに会い、このような姿はどこであってもいいですね。(写真6)

ビデオ・カメラを向けたら、花嫁さんが手を振ってくれました。

ビデオは下記をクリックして下さい。

「エストニア・タリン寸描」
http://www.youtube.com/watch?v=J_emGhO1yUc

                     多摩のけん   


[No.4827] 6日目「ラトビア」へ 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/23(Tue) 20:51
[関連記事

6日目「ラトビア」へ
画像サイズ: 612×2148 (90kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 6

6日目
    
「ラトビア」へ
エストニアからラトビアへ移動しました。約300kmの行程です。(写真1)
 ※写真をクリックすると、大きくなります。

途中、民芸店に寄りました。はじめて見る珍しい民芸品が並んでいました。
また、精巧な切り子ガラスがあったのは、意外でした。(写真2)

国境ですが、両国の間には小さな川があるだけで、見える範囲には城壁や見張りの塔などは無く、のんびりした国境でした。(写真3.国境の川、写真4.国境)

ビデオは下記をクリックして下さい。

「エストニアからラトビアへ」
http://www.youtube.com/watch?v=nzyHujN-O0w


「トウライダ城」
 トウライダ城はガウヤ国立公園の中にある大きな高い塔を持つ城ですが、この塔に登って周囲を展望しました。
 周囲は一面森、森、森...の連続でした。
 (写真5.トウライダ城、写真6.塔の上からの眺望)

 城の塔は博物館になっており、教会がありました。
 また地下は牢獄で、当時(15〜16世紀)使用された拷問用の器具などが展示されていました。
 因みに「トウライダ」とは、現地語で「神の庭」という意味だそうです。


ビデオは下記をクリックして下さい。

「ラトビア・トウライダ城」
http://www.youtube.com/watch?v=MqaXu5hFwGQ

午後5時過ぎ、ラトビアの首都「リガ」に着きました。

                        多摩のけん


[No.4831] 7日目「リガ」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/24(Wed) 20:15
[関連記事

7日目「リガ」
画像サイズ: 550×2372 (92kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 7

7日目

「リガ」
リガはラトビアの首都です。(写真1)
  ※写真はクリックすると大きくなります。

新市街では「アールヌーボ建築」と呼ばれる建築様式の建物が立ち並び、世界遺産に登録されています。(写真2)

リガにも、黒い屋根のキューポラ5本を戴いた美しい「リガ・ロシア正教」の教会がありました。
一方、旧市街は城塞(写真3)に囲まれ、古い建物が数多く残っていました。

リガ城は、現在は美術館、博物館、大統領官邸として使われていました。
旧市街には、13〜14世紀に建てられた教会が多く、その1つ、聖ヨハネ教会は、建築に際して教会の壁に、生きた聖人が人柱として2人埋め込められたそうです。(写真4)

自由行動になった時、私たちは13世紀に建てられた「聖ペトロ教会」(写真5)の123メートルの塔に登り、ギガの街を一望しました。(写真6)

ビデオは下記をクリックして下さい。

「ラトビア・リガ寸描」
http://www.youtube.com/watch?v=CFnTflYMfV0

「ルンダーレ城」
リガ郊外にあるルンダーレ城は「バルトのベルサイユ」といわれていますが、その名にふさわしい素晴らしい宮殿でした。(写真7)
庭園も広く、幾何学模様に美しく整備されていました。

この宮殿は、クールランド大公国のロビン公によって建てられたバロック様式の宮殿で、部屋は138部屋あるそうですが、そのうち約40部屋を見学しました。
18世紀の古伊万里のコレクションもありました。

ビデオは下記をクリックして下さい。

「ラトビア・ルンダーレ城」
http://www.youtube.com/watch?v=DGkl7dbykVo


多摩のけん


[No.4834] 7日目午後「リトアニア」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/25(Thu) 21:14
[関連記事

7日目午後「リトアニア」
画像サイズ: 610×2375 (89kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 8

7日目 午後

「リトアニア」
 ラトビアのリガからバルト3国の最後の国リトアニアの首都ヴィリュニュスに移動しましたが、約235km、4時間半のな長丁場でした。
(写真1) ※写真をクリックすると、大きくなります。

国境はエストニア側(写真2)は出国ですから、ノンストップで通過しましたが、リトアニア側(写真3)は入国なので停車し、入国手続きをしました。

入国手続きをしている間に、私たちはリトアニアの通貨に交換しました。(写真4)
もちろん、国境には国防のための城や大砲はありませんでした。

「十字架の丘」
 国境を超えてしばらく行くと、「十字架の丘」がありました。
十字架の丘はクリスチャンでない私には、次元の異なる異様な光景でした。
(写真5、6)
その発祥の経緯はよくわかっていませんが、初めてここに十字架が立てられたのは1800年初頭といわれています。
十字架の正確な数は分かっていませんが、約5万くらいだろうと推測されています。

ビデオは下記をクリックして下さい。

「リトアニア入国と十字架の丘」
http://www.youtube.com/watch?v=UyF2_7RCorQ

十字架の丘を見た後、更に南下して、午後8時にヴィリニウスのホテル「ル メリディアン ヴィロン」に着きました。

                        多摩のけん


[No.4838] 8日目「リトアニア」2 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/26(Fri) 21:05
[関連記事

8日目「リトアニア」2
画像サイズ: 610×2227 (91kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 9

8日目「リトアニア」2

この日はヴィリニウス近郊の「トラカイ城」、リトアニアの元首都「カウナス」を観光しました。
 
「トラカイ城」
ヴィリニウスの西方約27kmにあるトラカイ城は、ガルウェル湖の中の島に、リトアニア大公ゲデミナスによって、14世紀半ばに建設され、世界遺産に登録されています。
(写真1 トラカイ城のある場所、写真2.トラカイ城)

 ※写真をクリックすると、大きくなります。   

ビデオは下記をクリックして下さい。

「リトアニア・トラカイ城」
http://www.youtube.com/watch?v=tseG-hiv3Jw



「カウナス」
 カウナスは元のリトアニアの首都で、トラカイ城の約100km南にあります。
14世紀半ばに建設されたカウナス城をはじめ、古い建物や教会が建ち並んだ美しい街でした。
 (写真3.カウナス城、写真4.カウナスの家並)

「杉原記念館」
 杉原千畝の記念館です。彼は第二次世界大戦中、カウナスの日本領事館に勤務していましたが、ナチス・ドイツに追われたユダヤ人に大量のビザを発行し、約6000人のユダヤ人を出国させました。
当時、日本はドイツと同盟国でしたので、この行為は日本にとっては背任行為でした。
(写真5.旧日本領事館:現、杉原記念館、写真6.杉原千畝) 

ビデオは下記をクリックして下さい。

「リトアニア・カウナス寸描」
http://www.youtube.com/watch?v=zwqFytinlIs

ヴィリニウスのホテルへの帰途、「レストランPreskos」で夕食をとって、
午後8時頃、ヴィリニウスのホテルに着きました。

                            多摩のけん


[No.4842] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/27(Sat) 10:01
[関連記事

> ロシアとバルト3ヶ国の旅 9
>
> 8日目「リトアニア」2
 
> 「トラカイ城」
> ヴィリニウスの西方約27kmにあるトラカイ城は、ガルウェル湖の中の島に、リトアニア大公ゲデミナスによって、14世紀半ばに建設され、世界遺産に登録されています。
> (写真1 トラカイ城のある場所、写真2.トラカイ城)


  多摩のけんさん、みなさん、こんにちは。ヴィデオ、みせて頂きました。

 これらの国を、日本では一般に「バルト三国」と云っているけれど、あちらで出しているパンフでは、「バルト諸国」と書いていますね。ちなみに、

 広辞苑にも「バルト三国」はあるけれど、「バルト諸国」はありませんでした。ところでこの城、

 レンガの赤が、青空に映えますね。また、城の建築と云い、橋といい、至る所に木材を多用しているので、温かみが感じられますね。城内のステンドグラスの部屋は、大公家専用のチャペルのようですね。置いてある長椅子などから、そんな感じを受けます。

 ところで、この国の歴史をざっと読みすると、隣国のポーランドと、ケッコウ深い関係があるのですね。


[No.4843] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/27(Sat) 22:33
[関連記事

紋次郎さん

> 多摩のけんさん、みなさん、こんにちは。ヴィデオ、みせて頂きました。

>これらの国を、日本では一般に「バルト三国」と云っているけれど、あちらで出しているパンフでは、「バルト諸国」と書いていますね。ちなみに、

>広辞苑にも「バルト三国」はあるけれど、「バルト諸国」はありませんでした。

  「バルト諸国」という呼び方は、はじめて知りました。

>ところでこの城、レンガの赤が、青空に映えますね。また、城の建築と云い、橋といい、至る所に木材を多用しているので、温かみが感じられますね。城内のステンドグラスの部屋は、大公家専用のチャペルのようですね。置いてある長椅子などから、そんな感じを受けます。

  ビデオの精読(?)ありがとうございます。
  外観は美しいですね。

  中に入って、実務的な部屋が多いのは意外でした。
 
  木製の家具も、保存状態がいいですね。

  牢屋らしきところはありましたが、拷問の器具はありませんでした。
  大抵、あのような城の牢には拷問室があります。

>  ところで、この国の歴史をざっと読みすると、隣国のポーランドと、ケッコウ深い関係があるのですね。

  地理的には近いですね。
  ロシアに「いじめられた」歴史的背景も似ています。

                              多摩のけん
>


[No.4845] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/28(Sun) 00:37
[関連記事

  多摩のけんさん、みなさん、こんにちは。

> >これらの国を、日本では一般に「バルト三国」と云っているけれど、あちらで出しているパンフでは、「バルト諸国」と書いていますね。ちなみに、

> >広辞苑にも「バルト三国」はあるけれど、「バルト諸国」はありませんでした。

>   「バルト諸国」という呼び方は、はじめて知りました。

そうですか。wikiの該当箇所も、Baltic Statesとなっています。その説明は、バルチック海の東岸にある、北欧の三つの国となっていますが、見出し語は日本語に訳せば「バルト諸国」になります。ただ、日本語版の方は、明らかに『バルト三国』になっています。しっかし、

 日本は特別で、英語を始め、スペイン語でも、イタリア語でも、ドイツ語でも中国語でも、そのどれにも『三』の字は入っていませんでした。


[No.4850] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/28(Sun) 22:30
[関連記事

紋次郎さん、みなさん、こんばんは。

> > >これらの国を、日本では一般に「バルト三国」と云っているけれど、あちらで出しているパンフでは、「バルト諸国」と書いていますね。ちなみに、

> > >広辞苑にも「バルト三国」はあるけれど、「バルト諸国」はありませんでした。

> そうですか。wikiの該当箇所も、Baltic Statesとなっています。その説明は、バルチック海の東岸にある、北欧の三つの国となっていますが、見出し語は日本語に訳せば「バルト諸国」になります。

  一応、「三つの国」とはなっているのですね。
  それを多くの国の人が「三国」とは言わずに「諸国」と表現しているのは、
  われわれ日本人の表現感覚が、世界の大多数の国民と異なっているということですね。
  日本人は几帳面だから、「諸国」などとぼかさずに、ハッキリと「三国」と表現する。

                               多摩のけん 


[No.4854] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/29(Mon) 10:20
[関連記事

>   それを多くの国の人が「三国」とは言わずに「諸国」と表現しているのは、
>   われわれ日本人の表現感覚が、世界の大多数の国民と異なっているということですね。

べつにべつに、逆らうわけでは毛頭ありません。紋次郎流の盛り上げですので、どうかご勘弁下さい。これもあれも、ワン・オブ・ゼムとお考え下さい。

>   日本人は几帳面だから、「諸国」などとぼかさずに、ハッキリと「三国」と表現する。

 ただ、あっしは『話題を提供』しているだけなんすから。一度も提供しないヤカラ(^_-)-☆と比べりゃあ、あっしなど、まだ、マシでしょう。(^^♪

 ご参考までに。世界的に有名なあの、旅行のガイドブックなどで有名な、ロンリープラネットのサイトです。

https://www.lonelyplanet.com/the-baltic-states ←やっぱ、あっしはひねくれ紋なんかなあ。
 


 几帳面など云われるとあっしなど、どこかへ消えてしまいたくなります。(*_*;
                                


[No.4847] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/08/28(Sun) 06:24
[関連記事

多摩のけんさん

 楽しく読ませていただきました。
 ありがとうございました。

>   地理的には近いですね。
>   ロシアに「いじめられた」歴史的背景も似ています。

 そうですね。
 エストニアは、フィンランドっぽい、
 ラトビアは、しいて言えば、ドイツ的?
 リトアニアは、ポーランド的

  という感じですが、バルト三国も
  (上記以外にもバルト諸国に属する国があるのでしょうか)
  ロシアに、いじめ抜かれたいう歴史を持っています。
  でも、三カ国とも頑張っいますね。
  とくに、エストニアは、電子立国で世界から注目されていますね。

  私は、リトアニア以外には行ったことがないのですが
  他二カ国へも機会があれば行ってみたいです。

  ぜひ、また、別の旅行記も紹介してくださいませ。


[No.4851] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/28(Sun) 22:58
[関連記事

マーチャン

>  楽しく読ませていただきました。
>  ありがとうございました。

   こちらこそ、拙文を読んでいただいて恐縮です。

> >地理的には近いですね。
> >ロシアに「いじめられた」歴史的背景も似ています。
>
>そうですね。
>エストニアは、フィンランドっぽい、

  そうですかね。
  エストニアは陽気な雰囲気だったと思うのですが、
  フィンランドは何か寒々とした印象が残っています。
  もっとも、エストニアは、9月で、フィンランドは3月でしたから、
  フィンランドは、まだ、冬の名残があったかもしれません。

>ラトビアは、しいて言えば、ドイツ的?

  ラトビアの料理はおいしかったですが、ドイツは3回行って、ビール以外は
  美味しいものなかったと思います。

  「ドイツ料理」って、あまりききませんよね。

>リトアニアは、ポーランド的

  私は、ポーランドがドイツ的なような気がします。
  あの、巨大な岩塩鉱を掘りながら、観光化する技術と思考能力はドイツ的かなと。

>でも、三カ国とも頑張っいますね。
>とくに、エストニアは、電子立国で世界から注目されていますね。

  3国とも、科学、工学は強いようですよ

>ぜひ、また、別の旅行記も紹介してくださいませ。

  案はありますが、9月10日からまた出かけますので、大分先になると思います。

                             多摩のけん

                               


[No.4848] Re: 8日目「リトアニア」2 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/08/28(Sun) 10:46
[関連記事

Re: 8日目「リトアニア」2
画像サイズ: 357×380 (81kB)
多摩のけんさん、みなさん、こんにちは。

>   「バルト諸国」という呼び方は、はじめて知りました。

 ご参考までに、そのパンフレットの写真を添付します。これは多分、幕張メッセで行われた、世界旅行博の際に、『バルト諸国』(^^♪のブースで入手したものと思われます。


[No.4844] 9日目「ヴィリニウス」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/27(Sat) 22:45
[関連記事

9日目「ヴィリニウス」
画像サイズ: 616×2611 (91kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 10

9日目 

「ヴィリニウス」
ヴィリニウスはリトアニアの首都です。ゲディミナスの丘の上にあるゲディミナス城に守られた教会の多い街でした。

観光に出発するまでに時間があったのでホテルの近くを散策しました。
前日ホテルに着いた時は夜でしたので気づきませんでしたが、ホテルは大きな公園の中にあり、近くに美しい湖もありました。
(写真1.ホテル、写真2.公園、写真はクリックすると大きくなります )

ビデオは下記をクリックして下さい。

「リトアニア・ヴィリニウスの朝」
http://www.youtube.com/watch?v=5kqpsaSDpCw

ヴィリニウスの街には、聖ペテロパウロ教会、聖アンナ教会、ベルナンディン教会、大聖堂など古い大きな教会が数多くありました。
そのうちの2つの教会に入りましたが、どちらにも3〜4階吹抜けの大きな立派なパイプオルガンがあったのが印象に残っています。
(写真3.聖ペテロパウロ教会、写真4.聖アンナ教会のキューポラ)

ネイリス川沿いに「杉原千畝の記念碑」がありました。
リトアニアの人にとっては、杉原千畝は大恩人なのですね。
日本人として誇りを感じました。

ケーブルカーで、ゲディミナスの丘の上にあるゲディミナス城に登りました。
(写真5.ケーブルカー、写真6.ゲディミナス城)

ゲディミナス城はリトアニア大公ヴィテニスの甥ゲディミナスによって14世紀中頃に造られました。

城には大きな高い塔がありましたので、登ってみました。
塔の上からはヴィリニウスの街が眺望できました。(写真7)

ヴィリニウス大学は、学生2万人以上を擁する創立1579年(日本の安土桃山時代)の総合大学で、日本語の講座もあるそうです。

ビデオは下記をクリックして下さい。

「リトアニア・ヴィリニウス寸描」
http://www.youtube.com/watch?v=yoGXC-ZPI-I

ヴィリニウスを観光した後、ヴィリニウス空港 18:15 発 SU-414 で空路モスクワに向かいました。

                        多摩のけん


[No.4852] 10日目「モスクワ」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/28(Sun) 23:33
[関連記事

10日目「モスクワ」
画像サイズ: 616×2625 (91kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 11

10日目 

「モスクワ」
モスクワの街は近代建築物と歴史的建造物の交錯する美しい街でした。
(写真1.ホテルの窓から、写真2.ホテルの庭園)
  ※写真はクリックすると大きくなります

「クレムリン宮殿」
クレムリンと言えば「ロシア(ソ連)共産主義の伏魔殿」の先入観がありますが、その起源を遡れば12世紀に端を発しており、その後も営々と建設が進められた世界第一級の宮殿で、歴代皇帝の居城です。

クレムリンは、現在のロシア政府がある建物だけと思っていましたが、それは「クレムリン大宮殿」呼ばれる建物のことで、全体から見るとほんの一部に過ぎませんでした。

その他にパトリーシェ宮殿(1242〜1654年設立)、クラノヴィターヤ宮殿、アルハンゲリスキー聖堂(1505〜1508、歴代皇帝最高の廟)、ウスベンスキー寺院(15世紀後半)、イヴァン大帝鐘楼(高さ81m、1600年に改修)など、私たちがまわったでけでも数えきれないほどありました。しかし、その他にもまだ沢山あるのではないかと思います。

(写真3.クレムリン城の外塞、写真4.クレムリン入口、写真5.クレムリン大宮殿、写真6.クレムリン城内の宮殿の1つ)

「赤の広場」
ロシア語で「赤」は「美しい」と言う意味です。

共産党の「赤」を連想しがちですが、この広場は15世紀末には存在し、「赤の広場」と呼ばれるようになったのは17世紀後半で、共産党がない時代です。

スケールの大きな広場(73,000平方メートル)で、その周辺にロシア正教の教会がありましたが、その美しさが特に印象に残っています。

私たちは「聖ワルシー教会」に入って中を見学しましたが、そこのキューポラでの男性5人によるアレルヤがキューポラの反響のせいもあるのでしょうが素晴らしく、今でも印象に残っています。 
(写真7.赤の広場)

ビデオは下記をクリックして下さい。

「ロシア・モスクワ寸描」
http://www.youtube.com/watch?v=6nHlkhLyXgA

「ロシア・クレムリン宮殿」
http://www.youtube.com/watch?v=FrxhemsCGD0

「ロシア・赤の広場」
http://www.youtube.com/watch?v=1i8va9vVOTw

「ロシア正教のアレルヤ」
http://www.youtube.com/watch?v=IwL5MS7tBjw

「赤の広場」を観光した後、一路モスクワ空港に直行し、モスクワ発 19:20 SU-583便で成田に向かいました。

                          多摩のけん


[No.4862] Re: 10日目「モスクワ」 投稿者:唐辛子 紋次郎  投稿日:2016/09/01(Thu) 10:25
[関連記事

  多摩のけんさん、みなさん、こんにちは。

> ロシアとバルト3ヶ国の旅 11
>
> 10日目 
>
> 「モスクワ」

> スケールの大きな広場(73,000平方メートル)で、その周辺にロシア正教の教会がありましたが、その美しさが特に印象に残っています。
>
> 私たちは「聖ワルシー教会」に入って中を見学しましたが、そこのキューポラでの男性5人によるアレルヤがキューポラの反響のせいもあるのでしょうが素晴らしく、今でも印象に残っています。 

この男声五重唱はスゴイですね。視聴回数が5000回以上というのも。(@_@;)歌ってる人たちは、この教会の専属なんでしょうね。

  この教会は、ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)でしょうか。


[No.4856] 11日目「帰国」(最終回) 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/08/29(Mon) 22:49
[関連記事

11日目「帰国」(最終回)
画像サイズ: 620×1415 (92kB)
ロシアとバルト3ヶ国の旅 12

11日目「帰国」(最終回)

「帰国」
機内食を2回とって(写真1.2)
午前10過ぎ、全員無事成田空港に到着致しました。
メデタシ、メデタシ

(写真3)はロシア民芸のマトリョーシカ。
人形の中は空洞になっており、その中に小さな人形が入っています。
3組ありますが、みんな1組5個でした。
日本のこけし人形が起源と言われています。

みなさま、私の拙文に長い間おつきあい下さいましてありがとうございました。<m(_"_)m>
                                (完)

               多摩のけん