ザックスさん、今晩は!
> > 私が育った筑豊地方では石炭搬出のために鉄道が網目状態に走っていましたが > > 通勤通学の人を運ぶような支線の列車には半分以上に貨物車が使われていました。 > > 客車に使われる貨車の箱の中央に太い木材を渡して(動物並み)、中には壁沿い > > に板のベンチが設置されているだけでした。立っている人は大きな出入り口の横 > > 木が頼り・・・振り落とされないように・・・大変でした。 > > 貨物が主だったんですね。
貨車と客車と混合なんです。終戦前後のことで、客車が足りなかったのでしょう。 山陽本線でも普通列車は座席も窓も板張りのものが走っていたくらいですから。
> > 少し長距離を走る列車の場合はこの写真のような客車が使われていましたが、 > > 人間は通路にまで溢れていました。夜行になると通路に寝ている人もいて、用足 > > しに立つのも大変な状態。それに列車がトンネルに入るとススが飛び込んできて > > 目を開けてもいられないありさま。 > > 私も良く鼻が黒くなった経験があります。
本州から九州に入ると、建物の白壁が鼠色になっているのに気がついたことがあり ます。当時は私たち女性はズボンをはきませんでしたから、スリップの裾20センチ くらいが薄汚れて、どんなに洗っても白くならなかったのを記憶しています。
札幌では春先の雪を触った手の白い手袋が降り積もった雪に混じったススで真っ黒 になって洗っても落ちないのに気付いたことがあります。
石炭を燃やして出るススはありとあらゆるものを黒く汚していたのですね。石油も 化石燃料としては同じですが・・・
まや
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