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[No.3230] えり子と共に 投稿者:Pan  投稿日:2017/02/27(Mon) 09:42
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みなさん、こんにちは。

 先日ラジオを聞いていたら、チラッと名前が出てきたのが「えり子と共に」
でした。

 昭和20年の事だったそうです。

http://notenkiexpress.blog95.fc2.com/blog-entry-637.html

 物語は全く覚えていませんが、番組の始まり毎にえり子の声が
聞こえたのが印象的でした。

 「雪の降る町に」はその時に作られた歌だそうです。

   ***** Pan *****


[No.3231] Re: えり子と共に 投稿者:男爵  投稿日:2017/02/27(Mon) 22:09
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Panさん、 みなさん、こんにちは。

>  「雪の降る町に」はその時に作られた歌だそうです。

そういうことになっています。
なんでも、時間が余ったので
何かしたほうがいいということで詩を作り
それではと作曲を頼んだとか。

山形県の鶴岡のイメージとかで
鶴岡には記念碑もあります。

冬に鶴岡に行ったのですが
その年は暖冬で、雪が全然なくて、がっかりしたことがあります。


[No.3232] Re: えり子と共に 投稿者:Pan  投稿日:2017/02/28(Tue) 22:47
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男爵さん、 みなさん こんばんは。

> >  「雪の降る町に」はその時に作られた歌だそうです。
>
> そういうことになっています。
> なんでも、時間が余ったので
> 何かしたほうがいいということで詩を作り
> それではと作曲を頼んだとか。

 歌は単独で知っているのに、その時に作られた印象は持っていませんでした。

 今思うとあの「えり子」の声に恋していたのだと思います。

 阿里道子さんが演じていたのですね。

 終戦直後で、私は結核に罹り、もうダメかと思いながら休学して
いたときです。  


    ***** Pan *****


[No.3233] Re: えり子と共に 投稿者:男爵  投稿日:2017/03/01(Wed) 03:25
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Panさん、 みなさん おはようございます。

>  今思うとあの「えり子」の声に恋していたのだと思います。
>
>  阿里道子さんが演じていたのですね。
>
>  終戦直後で、私は結核に罹り、もうダメかと思いながら休学して
> いたときです。  

結核で悩んでいた Panさん
あの三浦(堀田)綾子の闘病生活と重なります。

彼女は、1939年に旭川市立高等女学校卒業。その後歌志内町・旭川市で7年間小学校教員を勤めたが、1946年に退職。この頃肺結核を発病する。
と自伝に書いています。

当時の日本人の栄養状態、衛生状態など考えると
やむをえない事情がありましたね。

あの渥美清も、1954年に肺結核で右肺を切除しサナトリウムで約2年間の療養生活を送っています。
絶望のどん底で聴いた雪村いづみの「青いカナリヤ」が、生きる希望を与えてくれた。

明治の時代でも
夏目漱石の兄たちも結核で亡くなったし
樋口一葉も石川啄木も結核で亡くなりました。
森鴎外も比較的長生きしたが、結核だったことを自覚していました。