まやさん みなさん こんばんは。
防空頭巾と言うのは比較的早くから作ったと思います。
私が最初に防空壕ではなく防空対策として体験したのは、押し入れの一部を 爆撃避難対策としたことです。
普通、押し入れは襖の扉ががあって内部が上下2段になっていますが、その 下側の一部を布団を放りだし、その中へ入り込むだけです。
これは隣組の寄り合いで定められ、担当者が出来栄えを見に回ってこられま した。
それに続いて、部屋の真ん中部分の畳を2枚上げ、床板を切ってその部分の 地面を1m余り掘り上げました。
掘り上げた土はその周囲に盛り上げます。
これで近くに爆弾が落ちた時には爆風がいくらか防げるという触れ込みです。
実際に掘りましたが、なかなかの難事業でした。
確かにその中に潜んで両手で眼と耳を押さえていたら幾らかの爆風には耐え られるかも知れませんが、逆に逃げ遅れて焼け死ぬ可能性も大きいと感じまし た。
当時親子6人家族でしたから全員は入ることはできず、もう一つ掘るように と言われましたが、その後何もしないままでした。
全くその防空壕を掘らない家もありましたが、特に非難された気配は無かっ たですね。
緒戦のシンガポール陥落で、上級生の作った歌詞に音楽の先生が作曲された 歌を全校生徒が歌って学校の周りを旗行列しましたが、その歌は今も殆ど歌え ます。
『如月の半ばなる今日 英国の牙城は墜ゆ 大御稜威天翔けりゆく ああ今ぞ 世紀の記録 世紀の記録 シンガポール落ちぬ 万々歳』
小学校卒業と父の勤務先変更と同時に疎開を兼ねて郷里に引っ越ししそこの 中学校に入りましたが、そこでも戦局の悪化に伴って防空壕を掘るように命ぜ られ、すぐ裏の山の斜面に隣家と共同で横穴を掘り始めました。
ツルハシとスコップだけですから作業が殆ど進まず、1m余り掘ったところ で終戦になりました。
その穴はサツマイモの冬季保存庫にもなったような気がします。
***** Pan *****
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