メロウ伝承館に、ぱらむさんが投稿してくださっている「学童疎開の献立表」を見て「やっぱり」と思いました。
私の学童疎開先は、長野県の「山奥の小さな温泉場の旅館」でしたが、やはり同じような献立でした。
さらに、この学校の生徒さんたちは再疎開しておられるのですね。その再疎開先での献立表なのです。 東海地区では、昭和19年12月7日に昭和東南海地震、明けて昭和20年1月13日には三河地震が発生しています。特に、東南海地震については、厳しい戦時報道管制が敷かれ、絶対に人に話さないようにという緘口令がでていたのです。再疎開先をさがすのも大変だったことと思われます。 なお、翌日のアメリカ合衆国の主要紙は日本で大地震が発生したことを大きく伝えたそうですから「知らぬは日本人ばかり」だったのでしょう。
それにしても、そんな大変な時期に、朝昼晩の3食のメニューをすべて記録しておられた先生にもアタマが下がります。 ぜひ、お読みください。
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