[掲示板へもどる]
一括表示

[No.3402] 長谷川町子のこと 投稿者:男爵  投稿日:2018/05/19(Sat) 13:16
[関連記事

長谷川町子の年表調べです。

1920(大正9)年 佐賀県に生まれる。 0歳
1932(昭和7)年 福岡高等女学校入学 12歳
1933(昭和8)年 父死去       13歳
1934(昭和9)年 一家で上京 山脇高等女学校に編入 田河水泡に弟子入り 14歳
1936(昭和11)年 山脇高等女学校卒業 田河水泡の内弟子となる 16歳
1944(昭和19)年 一家で福岡市に疎開 24歳
1946(昭和21)年 4月「夕刊フクニチ」で「サザエさん」連載 12月 一家で上京 26歳
1947(昭和22)年 「夕刊フクニチ」で「サザエさん」連載再開 27歳
1949(昭和24)年 12月 「夕刊朝日新聞」に「サザエさん」連載  29歳
1951(昭和26)年 4月 「朝日新聞」朝刊に「サザエさん」連載 31歳
1974(昭和49)年 2月 「朝日新聞」で「サザエさん」連載終了 54歳 


16歳のときに田河水泡の家に住み込みで内弟子となったが
ホームシックにかられ数ヶ月で実家に戻ってしまう。

参考にしたのは
 鶴見俊輔・齋藤愼爾:サザエさんの<昭和> 柏書房
でした。   


[No.3409] Re: 長谷川町子のこと 投稿者:男爵  投稿日:2018/06/10(Sun) 07:43
[関連記事

> 長谷川町子の年表調べです。
>
> 1920(大正9)年 佐賀県に生まれる。 0歳
> 1932(昭和7)年 福岡高等女学校入学 12歳
> 1933(昭和8)年 父死去       13歳
> 1934(昭和9)年 一家で上京 山脇高等女学校に編入 田河水泡に弟子入り 14歳
> 1936(昭和11)年 山脇高等女学校卒業 田河水泡の内弟子となる 16歳
> 1944(昭和19)年 一家で福岡市に疎開 24歳
> 1946(昭和21)年 4月「夕刊フクニチ」で「サザエさん」連載 12月 一家で上京 26歳
> 1947(昭和22)年 「夕刊フクニチ」で「サザエさん」連載再開 27歳
> 1949(昭和24)年 12月 「夕刊朝日新聞」に「サザエさん」連載  29歳
> 1951(昭和26)年 4月 「朝日新聞」朝刊に「サザエさん」連載 31歳
> 1974(昭和49)年 2月 「朝日新聞」で「サザエさん」連載終了 54歳 


その後、この本も読みました。(どうやら2度目 以前に読んだ記憶がある)
  長谷川洋子:サザエさんの東京物語

著者は姉妹の末の妹

52歳で夫を亡くした、長谷川町子たちの母親は
クリスチャンの親友から、「一緒に祈りましょう」と誘われ教会に通うようになる。

すっかり神様にすがるようになった母は
病に伏した父にも安らかに天国に行けるようにと、父をはじめ一家五人が洗礼を受けた。

しかし冷静な著者は
母や牧師の熱意も父は迷惑に感じていたと思う
と述べている。

力ずくでも信じさせようという母の熱意に
「信じられないものは信じられないよ」とうるさそうにいう父だった。

父のベッドから見える位置に二枚の絵がかけてあった。 ゲッセマネの園で祈るキリスト像 聖母子像
ある日、父はお手伝いさんに命じて、この二枚の絵を外して片づけさせた。

> 16歳のときに田河水泡の家に住み込みで内弟子となったが
> ホームシックにかられ数ヶ月で実家に戻ってしまう。

十一ヶ月で家に戻った長谷川町子
でも、田河水泡の推薦で、「少女倶楽部」に作品が掲載された。
彼女の影響で、田河水泡夫妻はクリスチャンになったという。

著者は女子大を受けるのに、理数系にしようと思ったが、町子姉から強引に文科系(国文科)にするよう押し切られた。
合格した女子大だが、なぜか毎日学校までの道に迷った。(方向音痴?)
  心理学の先生に言わせると、それは女子大が嫌いだから。 あの瀬戸内寂聴さんの卒業した女子大です。

長女は菊池寛の連載小説の挿絵を描いていた。その縁で著者は菊池寛に紹介され、女子大をやめて会社で働くよう勧められ、文芸春秋の社員になってしまった。 おやおや

「サザエさん」が売れに売れて、期待して貯金通帳を見た町子と姉まり子は、思ったほど金額が記載されていないので母に抗議をする。

「私たちは十分すぎるくらい、豊かに暮らしているじゃありませんか。余ったものは神様からの預かりものだから、足りない方、困っている方たちに使っていただくのが当然のことでしょう」
「自分の所有物だと思ったらとんでもない間違いです。町子の才能も出版社が順調に発展しているのも、みんな神様から与えられたお恵みなんだから! 自分たちの働きだと思ったら思い上がりもいいところだ。ちっと反省しなさい」

これに対して町子たちが反論するのももっとものこと。
「私たちの老後のことも考えてよ。花咲爺さんみたいにまいて歩くばかりで、人にはだまされるわ、いかがわしい団体に寄付するわで、お母様のやり方には計画性も方向性もないじゃないの」


この著者洋子は結婚して娘二人をもつ。新聞記者の夫は35歳で死ぬ。
どうやら,サザエさんのムコのマスオは、この洋子の夫がモデルみたい。 容貌や性格はともかく、シチュエーションは目の前のモデルを長谷川町子は使ったのだろう。

> 戸籍的にムコではなくとも、マスオさんは娘夫婦と同居するという波平・フネにとって好ましいムコなのだろう。