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[No.660] 談志絶唱昭和の歌謡曲 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/25(Sun) 20:50
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談志絶唱昭和の歌謡曲(2006)

亡くなった立川談志が生前に
赤塚不二夫と酒を飲みながら対談したのを記録した本がある。
そのとき二人ともガンであった。

松平晃の「夕陽は落ちて」「急げ幌馬車」は絶品と談志はいう。
 松平晃は「サーカスの歌」ですね。

談志の思い出の歌謡曲について沢山書いているが省略します。

ディック・ミネの葬式の時「ダイナ」を歌って送った。
淡谷のり子と相合傘で歩いた。

三橋三智也や田端義夫はよく談志とつきあってくれた。
気があったというかサービス精神が旺盛だったのだろう。

だからというか
談志はフランク永井に歌を歌ってもらった(こういう場合は持ち歌ではなく他の歌手の歌)。
そうしたら1万円を要求されたという。談志とフランクはつかみあいの喧嘩になった。
 フランク永井については、サインを書くときにもお金を要求したとか、もったいをつけたという話を別な人から聞いたことがある。その人は千昌夫は気軽にサインに応じるとも言った。

談志があまり評価しなかった歌謡曲
 鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」
 三浦洸一「踊り子」

昭和の歌謡曲は青春だった。 
ふりかえると、まさに日本が青春時代だった。
いま歌謡曲は衰退した。興行師も歌謡曲には手を出さない。
それは、日本が年をとったからと談志は分析する。
老いたのは、高齢者ばかりでなく若者も老いたのだ、そう談志はいう。
 はたしてそうなのか。 それはともかく五木寛之ももはや歌謡曲は衰退の道をたどっていると述べている。


[No.661] Re: 談志絶唱昭和の歌謡曲 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/25(Sun) 20:54
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>  松平晃は「サーカスの歌」ですね。

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_fef7.html

松平 晃(1911年6月26日 - 1961年3月8日)は、本名福田恒治(ふくだつねはる)。
佐賀出身。

同時期にデビューした歌手の楠木繁夫とは親友であり、1956年(昭和31年)に楠木が自殺した際には、「女の階級」を歌い出棺を見送ったという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%99%83


[No.672] 緑の地平線 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/26(Mon) 06:06
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> >  松平晃は「サーカスの歌」ですね。
> http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_fef7.html

> 同時期にデビューした歌手の楠木繁夫とは親友であり、1956年(昭和31年)に楠木が自殺した際には、「女の階級」を歌い出棺を見送ったという。

楠木繁夫は高知出身。東京音楽学校を学生争議で放校処分になった。
 緑の地平線
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_f988.html


[No.818] Re: 緑の地平線 投稿者:   投稿日:2012/03/30(Fri) 16:56
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> > >  松平晃は「サーカスの歌」ですね。
> > http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_fef7.html
>
> > 同時期にデビューした歌手の楠木繁夫とは親友であり、1956年(昭和31年)に楠木が自殺した際には、「女の階級」を歌い出棺を見送ったという。
>
> 楠木繁夫は高知出身。東京音楽学校を学生争議で放校処分になった。
>  緑の地平線
> http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_f988.html

 入社当時、一緒に仕事をしていた人が、「緑の地平線」をお好きでしたが、去年90才くらいで
なくなりました。哀悼の意を込めて、カラオケで、10回以上は唄いましたけど、けっこう
久しぶりでも、唄える紋ですわ。

                             Toshichan in Kyouto-fu


[No.1098] Re: 緑の地平線 投稿者:   投稿日:2012/04/08(Sun) 14:15
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> >  緑の地平線
> > http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_f988.html

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2011/10/post-3c53.html

 奈良さんの、この唄も、寂しいけれど、案外、行けるかも。

>                              Toshichan in Kyouto-fu


[No.1373] Re: 紅もゆる地平線、紫に匂う地平線 投稿者:   投稿日:2012/04/22(Sun) 15:10
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> > >  松平晃は「サーカスの歌」ですね。
> > http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_fef7.html
>
> > 同時期にデビューした歌手の楠木繁夫とは親友であり、1956年(昭和31年)に楠木が自殺した際には、「女の階級」を歌い出棺を見送ったという。

「紅もゆる地平線」「紫に匂う地平線」というようなのが3部作でつくられたようです。
 こういう連作のシリーズものは、思ったより、流行らず、自殺の引き金になったのかもしれませんね。
>
> 楠木繁夫は高知出身。東京音楽学校を学生争議で放校処分になった。
>  緑の地平線
> http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_f988.html

                              Toshichan in Kyouto-fu


[No.1432] Re: 紅もゆる地平線、紫に匂う地平線 投稿者:   投稿日:2012/04/26(Thu) 01:34
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> > > >  松平晃は「サーカスの歌」ですね。
> > > http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_fef7.html
> >
> > > 同時期にデビューした歌手の楠木繁夫とは親友であり、1956年(昭和31年)に楠木が自殺した際には、「女の階級」を歌い出棺を見送ったという。
>
> 「紅もゆる地平線」「紫に匂う地平線」というようなのが3部作でつくられたようです。
>  こういう連作のシリーズものは、思ったより、流行らず、自殺の引き金になったのかもしれませんね。
 小さかったから、自殺はしらずショックやなあ。うろ覚えやけど、こんな歌詞やったおもいますわ。

 「春は又来る人の世も花と小鳥の出会い合い、愛の光にほのぼのと、紅もゆる地平線」
> >
> > 楠木繁夫は高知出身。東京音楽学校を学生争議で放校処分になった。
 緑の地平線
> > http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_f988.html

                              Toshichan in Kyouto-fu


[No.671] Re: 談志絶唱昭和の歌謡曲 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/26(Mon) 05:45
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> 談志絶唱昭和の歌謡曲(2006)

> 談志があまり評価しなかった歌謡曲
>  鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」
>  三浦洸一「踊り子」

踊子  三浦洸一
http://www.youtube.com/watch?v=RGGej5BHHjw
これは私好きなんですが...

  [No.660] の記事
  三浦洸一「踊り子」
   これは
  三浦洸一「踊子」
  だった。 でも訂正しない。


[No.817] Re: 談志絶唱昭和の歌謡曲 投稿者:   投稿日:2012/03/30(Fri) 16:42
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 男爵はん、まいど。


> いま歌謡曲は衰退した。興行師も歌謡曲には手を出さない。
> それは、日本が年をとったからと談志は分析する。
> 老いたのは、高齢者ばかりでなく若者も老いたのだ、そう談志はいう。
>  はたしてそうなのか。 それはともかく五木寛之ももはや歌謡曲は衰退の道をたどっていると述べている。

 高齢者向きの、新曲は、長くて、覚えられまへんけど、結構、好きな、年寄りがカラオケで
唄ってはりまっけど、次の世代に引き継がれるかが、問題ですね。

 日本語のアクセントが、音階高低アクセントで、これに逆らわない様、歌謡曲の音階が作って
あるわけです。でまあ唄い易いのでっけどーー。

 ニューミユジック系は、英語と同じ、音量強弱アクセントで作ってあるために、
高齢者には唄い難いし、文句も覚え難いのです。若者にはどうか、わからないけどーーー。
 外国語以外は、日本人には、唄い難いし、覚え難いのは変わらないでしょう。

                        Toshichan in kyouto-fu


[No.819] Re: 談志絶唱昭和の歌謡曲 投稿者:男爵  投稿日:2012/03/30(Fri) 18:40
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Toshichan、まいど。

> > 老いたのは、高齢者ばかりでなく若者も老いたのだ、そう談志はいう。
> >  はたしてそうなのか。 それはともかく五木寛之ももはや歌謡曲は衰退の道をたどっていると述べている。
>
>  高齢者向きの、新曲は、長くて、覚えられまへんけど、結構、好きな、年寄りがカラオケで
> 唄ってはりまっけど、次の世代に引き継がれるかが、問題ですね。

若い人は新しいものに挑戦するものです。

一般論ですが
若いときは肉や揚げたものが好きでも
年をとると和食が好きになるようです。

鮫島有美子が言ってましたが
ヨーロッパにおいてクラッシク音楽でヨーロッパ人に負けないよう
努力しても
育ちとか、子どものとき受けた文化の違いで
やはりヨーロッパ人に勝てないから
独自性を出すために
日本的な音楽で自分を主張するようになるということです。

つまり
今の音楽は
長い目で見れば
日本人に愛されなくなり捨てられると思います。
年をとったら音楽の好みも変わると考えます。


[No.824] Re: 談志絶唱昭和の歌謡曲 投稿者:   投稿日:2012/03/30(Fri) 20:20
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 男爵はん、まいど。
>
> > > 老いたのは、高齢者ばかりでなく若者も老いたのだ、そう談志はいう。
> > >  はたしてそうなのか。 それはともかく五木寛之ももはや歌謡曲は衰退の道をたどっていると述べている。
> >
> >  高齢者向きの、新曲は、長くて、覚えられまへんけど、結構、好きな、年寄りがカラオケで
> > 唄ってはりまっけど、次の世代に引き継がれるかが、問題ですね。

 「寒ぼたん」なんか結構気にはいってまっけどーーー。
>
> 若い人は新しいものに挑戦するものです。
>
> 一般論ですが
> 若いときは肉や揚げたものが好きでも
> 年をとると和食が好きになるようです。

> 今の音楽は
> 長い目で見れば
> 日本人に愛されなくなり捨てられると思います。
> 年をとったら音楽の好みも変わると考えます。

 私の行ってるカラオケやさんのママさんとは同い年でんねんけどーーー。
 其処での、会話!

 「五十年後は当然生きてられへんけど、五十年後、お客さんの唄ってる所は
一度でええから、聞いてみたい、もんやなあ」
 「そやねん、うちも、そう思うわ」

                       Toshichan in Kyouto-fu