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[No.522] キネマの天地 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/09(Wed) 05:20
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「キネマの天地」
1986年公開 山田洋次監督

有森也実(ありもり なりみ)はさすが名女優
はじめ演技が下手だったのに次第に演技にめざめて女優として成長していく姿を
演じている。

この映画ではヒロイン小春を演じている。

松竹の映画会社は、都内の蒲田撮影所にあって、神奈川県の大船へ移転前の時代。

小春は、田中絹代がモデルだとも言われている。

年が明けて、主演のトップスター川島澄江(松坂慶子)が愛の失踪事件を起こしたため、その代打に小春が大作の主演に大抜擢。起用されたのだ。これは、岡田嘉子の樺太国境を越えた愛の逃避行をモデルにしている。

しかしその大作「浮草」で演技の壁にぶつかって、小春は苦悩した。
小春は悩んだ末、渥美清の養父からアドバイスを受けて、女優として成功する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%A4%A9%E5%9C%B0


[No.546] 蒲田行進曲 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/11(Fri) 09:32
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> 「キネマの天地」
> 1986年公開 山田洋次監督

音楽が共通の映画、蒲田にあった松竹映画会社での話だから。

そこで
「蒲田行進曲」 1982年公開
です。

第86回直木賞を受賞したつかこうへいの小説の映画化

監督 深作欣二
製作 角川春樹
製作協力 東映京都撮影所

キャスト
小夏 松坂慶子
銀四郎 風間杜夫
ヤス 平田満

角川春樹が提案した「蒲田行進曲」映画化の企画を、東映社長の岡田茂は「当たらないから」と断ったので、松竹が製作にあたった。
当時の日本映画界を席捲していた角川映画とやっと念願の提携を果たした松竹であったが、撮影は松竹の撮影所でなく、あえて東映の京都撮影所で撮影するという異例の試みが取られた。
監督も東映出身の深作欣二であり、こうしたねじれがあったせいで最初は東映側、松竹側の双方で軋轢があったという。

もともと「蒲田行進曲」は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の大部屋俳優である汐路章の階段落ちの逸話をテレビ「徹子の部屋」で汐路が語ったことで知り、モデルに執筆したものであり、実際は時代劇全盛期の東映京都の話と解釈される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%B0%E8%A1%8C%E9%80%B2%E6%9B%B2
ややこしい事情があったようです。

「銀ちゃんの恋」として
宝塚歌劇団でも公演しているんですね。


[No.563] Re: 蒲田行進曲 投稿者:あや  投稿日:2013/10/12(Sat) 20:54
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> > 「キネマの天地」
> > 1986年公開 山田洋次監督
>
> 音楽が共通の映画、蒲田にあった松竹映画会社での話だから。
>
> そこで
> 「蒲田行進曲」 1982年公開
> です。
>

蒲田と出てきたので、懐かしく思いました。

生まれは大森、空襲に遭って、父の友人の住んでいた家に越して。
そこは同じ大森でしたが、蒲田はすぐ隣という感じでした。

なにかと言うと、蒲田へ出たものです。

そんなことで、撮影所も懐かしかったです。


[No.564] Re: 蒲田行進曲 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/13(Sun) 05:58
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あやさん   こんにちは

> > > 「キネマの天地」
> > > 1986年公開 山田洋次監督

> > 「蒲田行進曲」 1982年公開

> 蒲田と出てきたので、懐かしく思いました。
>
> 生まれは大森、空襲に遭って、父の友人の住んでいた家に越して。
> そこは同じ大森でしたが、蒲田はすぐ隣という感じでした。

松竹キネマ蒲田撮影所は、1920年6月 - 1936年1月15日 でした。

町工場の多い蒲田では騒音がトーキーの撮影に差し障るという理由から大船に移転する。

松竹大船撮影所は、1936年1月15日から2000年6月30日まで神奈川県鎌倉市大船にあった映画スタジオで、現代劇を担当していた。

蒲田には、安くておいしい中華料理店があるので
たまに行きます。


[No.570] Re: 蒲田行進曲 投稿者:あや  投稿日:2013/10/13(Sun) 20:09
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男爵さん、こんばんは

> > > > 「キネマの天地」
> > > > 1986年公開 山田洋次監督
>
> > > 「蒲田行進曲」 1982年公開
>
> > 蒲田と出てきたので、懐かしく思いました。
> >
> > 生まれは大森、空襲に遭って、父の友人の住んでいた家に越して。
> > そこは同じ大森でしたが、蒲田はすぐ隣という感じでした。
>
> 松竹キネマ蒲田撮影所は、1920年6月 - 1936年1月15日 でした。
>
> 町工場の多い蒲田では騒音がトーキーの撮影に差し障るという理由から大船に移転する。

蒲田撮影所はそんな時代でしたか? 何か残っていたか? と思ったりしました。
松竹???なんてところがあったのです。
蒲田って確かに町工場の多いところでした。

> 蒲田には、安くておいしい中華料理店があるので
> たまに行きます。

ごこのことかしら? 京浜蒲田あたりではないですよね?

20年間ほど、会社の行き帰り、遊びにと毎日のようにいたところです。

今ではたまに行きます。


[No.571] Re: 蒲田行進曲 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/14(Mon) 06:36
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あやさん、こんにちは

> > > 蒲田と出てきたので、懐かしく思いました。

> > 松竹キネマ蒲田撮影所は、1920年6月 - 1936年1月15日 でした。
> >
> > 町工場の多い蒲田では騒音がトーキーの撮影に差し障るという理由から大船に移転する。

> 蒲田って確かに町工場の多いところでした。

> > 蒲田には、安くておいしい中華料理店があるので
> > たまに行きます。

> ごこのことかしら? 京浜蒲田あたりではないですよね?

蒲田駅東口を出て右(川崎方向)に進むと大田区役所があります。
そこから更に川崎方向に進むと、大田区立生活センターと蒲田駅前図書館の併設施設があり、1,2階が生活センター、3階が蒲田駅前図書館となっています。

この建物の一階にある店です。

中国料理 歓迎 (ホアンヨン)本店

ほかのみなさんもどうぞ。

http://tabelog.com/tokyo/A1315/A131503/13003304/


[No.580] Re: 蒲田行進曲 投稿者:あや  投稿日:2013/10/14(Mon) 20:59
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男爵さん、こんばんは!

>
> 蒲田駅東口を出て右(川崎方向)に進むと大田区役所があります。
> そこから更に川崎方向に進むと、大田区立生活センターと蒲田駅前図書館の併設施設があり、1,2階が生活センター、3階が蒲田駅前図書館となっています。

ここあたりは比較的最近拓けたところです。以前はありませんでした。
何回かしか行ったことないけど、わかります。

>
> この建物の一階にある店です。
>
> 中国料理 歓迎 (ホアンヨン)本店
>
> http://tabelog.com/tokyo/A1315/A131503/13003304/

拝見しました。遠くから男爵さんが召し上がりにくるなんて、おいしいの
でしょうね。

チャンスがあったら行ってみたいです。

ありがとう!


[No.581] Re: 蒲田行進曲 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/15(Tue) 05:37
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あやさん、こんにちは!

> > 蒲田駅東口を出て右(川崎方向)に進むと大田区役所があります。
> > そこから更に川崎方向に進むと、大田区立生活センターと蒲田駅前図書館の併設施設があり、1,2階が生活センター、3階が蒲田駅前図書館となっています。
>
> ここあたりは比較的最近拓けたところです。以前はありませんでした。
> 何回かしか行ったことないけど、わかります。

そうなんですね。 海側の方です。

では駅の反対側のほうは昔から町があったんですね。
交通も便利で。

たとえば
 「昭和のくらし博物館(旧小泉家住宅主屋)」
http://otaku.edo-jidai.com/105.html
ここに行くには
 東急多摩川線 下丸子駅下車、徒歩15分
です。

ラジオ深夜便で紹介され、数年前に行ったことがあります。

また
東急多摩川線には矢口渡駅(やぐちのわたしえき)がありますね。

1949年(昭和24年)まで当駅近くに存在した多摩川の渡し船の一つである「矢口の渡し」に由来する。

漫画家・矢口高雄のペンネームは、昔この駅ちかくのアパートに住んでいたからつけたそうです。

この地にまつわる「神霊矢口渡」があるのですが、よくわからないからキーワードだけ書いておきます。
 ☆ 平賀源内が書いた人形浄瑠璃は、歌舞伎「神霊矢口渡」となる ☆


[No.588] 矢口高雄 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/15(Tue) 11:39
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あやさん、こんにちは!

> また
> 東急多摩川線には矢口渡駅(やぐちのわたしえき)がありますね。
>
> 1949年(昭和24年)まで当駅近くに存在した多摩川の渡し船の一つである「矢口の渡し」に由来する。
>
> 漫画家・矢口高雄のペンネームは、昔この駅ちかくのアパートに住んでいたからつけたそうです。

矢口高雄のペンネームを提案したのは
梶原一騎です。  (あしたのジョー)

矢口高雄の代表作は「釣りキチ三平」ですね。


矢口高雄は映画にも特別出演しています。

「イタズ 熊」 1987年に公開されたこぶしプロダクションによる日本映画。

イタズとはクマの方言。「マタギ」を撮影した後藤俊夫が再びマタギものを撮った。人の手で子熊を育て、野に放ったものの、成長し、大人になったゴン太とは、闘わねばならない運命が待っていた…。丹念な自然描写で綴られた動物映画であり、悲劇である

キャスト
 岩田銀蔵 - 田村高廣
岩田キミ - 桜田淳子
岩田一平 - 宮田浩史
橋本常治 - 小島三児
野村げん - 清川虹子

越智平作 - 由利徹
警察署長 - 矢口高雄

なつかしい人たちが出ていますね。


[No.598] Re: 蒲田行進曲 投稿者:あや  投稿日:2013/10/15(Tue) 20:22
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男爵さん、こんばんは

ほとんど夜しかご挨拶ができずです。


> > ここあたりは比較的最近拓けたところです。以前はありませんでした。
> > 何回かしか行ったことないけど、わかります。
>
> そうなんですね。 海側の方です。

ここは蒲田から歩いてすぐです。

>
> では駅の反対側のほうは昔から町があったんですね。
> 交通も便利で。

駅の両方に町は広がっています。
ただ、このあたりは何があったか、区役所は最近越してきたんです。

>
> たとえば
>  「昭和のくらし博物館(旧小泉家住宅主屋)」
> http://otaku.edo-jidai.com/105.html
> ここに行くには
>  東急多摩川線 下丸子駅下車、徒歩15分
> です。

ここは蒲田からほど遠く、蒲田とは言えません。

>
> ラジオ深夜便で紹介され、数年前に行ったことがあります。
>

いろいろなところへ、神出鬼没ですね。

> また
> 東急多摩川線には矢口渡駅(やぐちのわたしえき)がありますね。
>
> 1949年(昭和24年)まで当駅近くに存在した多摩川の渡し船の一つである「矢口の渡し」に由来する。
>
> 漫画家・矢口高雄のペンネームは、昔この駅ちかくのアパートに住んでいたからつけたそうです。
>
> この地にまつわる「神霊矢口渡」があるのですが、よくわからないからキーワードだけ書いておきます。
>  ☆ 平賀源内が書いた人形浄瑠璃は、歌舞伎「神霊矢口渡」となる ☆

よく勉強なさって、矢口渡駅も懐かしいです。よく飲みにも行ったりしました。