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[No.638] 少年時代 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/22(Tue) 05:46
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「少年時代」は、藤子不二雄(FでなくAのほう)による漫画および、1990年に公開された映画。

1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)まで「週刊少年マガジン」(講談社)に連載された。

ドイツ文学者である芥川賞作家柏原兵三の小説「長い道」を漫画化した作品である。

漫画版の舞台は、藤子不二雄Aが戦時中に疎開した富山県朝日町山崎をモデルにしている。

「少年マガジン」連載当初は、読者からの反響がまったく無く、作者(藤子A)自身戸惑っていた。しかし連載終了後、読者からの手紙が殺到したという逸話がある。

1990年、東宝系にて篠田正浩監督で映画化され、日本アカデミー賞を受賞する。
また井上陽水の「少年時代」はこの映画の主題歌である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%99%82%E4%BB%A3


[No.639] 柏原兵三 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/22(Tue) 06:04
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> 「少年時代」は、藤子不二雄(FでなくAのほう)による漫画および、1990年に公開された映画。
>
> ドイツ文学者である芥川賞作家柏原兵三の小説「長い道」を漫画化した作品である。
>
> 漫画版の舞台は、藤子不二雄Aが戦時中に疎開した富山県朝日町山崎をモデルにしている。


柏原 兵三(かしわばら ひょうぞう)は、ドイツ文学者。東京藝術大学助教授だった。

小学生のとき1944年4月、父の郷里の富山県下新川郡入善町吉原に縁故疎開し、入善町立上原小学校(現在は廃校)に転入。
敗戦に伴って1945年9月に帰京するまでを同校で過ごし、よそ者として過酷ないじめを受け、この時の体験を中学時代から「長い道」として小説に書き始めた。

藤子不二雄は、「長い道」が上手に疎開体験を書いているのに感心して
さすが作家と誉めている。

1958年に東京大学文学部独文科を卒業
1962年、同大学院博士課程中退。

1963年、ベルリンに留学。
ベルリンの壁の報告などがある。

「徳山道助の帰郷」で第58回芥川賞を受賞。

息子の柏原光太郎は文藝春秋社勤務で林真理子の担当のため、
柏原クンと書かれている。


[No.641] 藤子不二雄A 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/22(Tue) 10:28
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> 「少年時代」は、藤子不二雄(FでなくAのほう)による漫画および、1990年に公開された映画。
>
> 1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)まで「週刊少年マガジン」(講談社)に連載された。

藤子不二雄は二人の漫画家の合作を発表していたが
そのうち作風が違うので二人は分かれた。
 
 藤子不二雄A  (安孫子 素雄)
 藤子不二雄F  (藤本 弘)

安孫子 素雄は富山県氷見市の光禅寺に生まれるが
父の住職が死んだため、母と寺を出る。
高岡市に転居し、高岡市立定塚国民学校(現・定塚小学校)で藤本弘と知り合う。

そして二人のコンビで漫画家藤子不二雄として活躍。


『オバケのQ太郎』(共作)
『忍者ハットリくん』
『怪物くん』
『まんが道』
『プロゴルファー猿』
『魔太郎が来る!!』
『笑ゥせぇるすまん』

手塚治虫を中心とするトキワ荘時代の楽しい話もあるが
それはいずれ別のところで。


[No.642] 藤子不二雄F 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/22(Tue) 10:41
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> 藤子不二雄は二人の漫画家の合作を発表していたが
> そのうち作風が違うので二人は分かれた。
>  
>  藤子不二雄A  (安孫子 素雄)
>  藤子不二雄F  (藤本 弘)

藤子不二雄Fは正式には
 藤子・F・不二雄と書く。
  1933年(昭和8年)12月1日 - 1996年(平成8年)9月23日)
    63歳にあと少しというところで、急逝した。

富山県立高岡工芸高等学校電気科卒。
安孫子素雄(藤子不二雄A)と共に藤子不二雄としてコンビを組み、作品を発表した。

代表作は『ドラえもん』、『パーマン』、『キテレツ大百科』、『エスパー魔美』、『21エモン』など。

『ドラえもん』は漫画から、テレビアニメとなり
そして映画化され子供たちの人気となった。

中国でもおおいに受けている。

『ドラえもん』の中国語版と原書を並べて
読みくらべると
実用中国語会話になる。


[No.657] ドラえもん のび太の恐竜 投稿者:男爵  投稿日:2013/10/23(Wed) 19:06
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> 藤子不二雄Fは正式には
>  藤子・F・不二雄と書く。
>   1933年(昭和8年)12月1日 - 1996年(平成8年)9月23日)
>     63歳にあと少しというところで、急逝した。

> 『ドラえもん』は漫画から、テレビアニメとなり
> そして映画化され子供たちの人気となった。

『ドラえもん のび太の恐竜』は藤子・F・不二雄のSF漫画『ドラえもん』中のエピソードのひとつ。
およびそれに大幅に加筆修正し、月刊コロコロコミック1980年1月号から1980年3月号に掲載された「大長編ドラえもんシリーズ」の作品と、この作品を元に1980年3月15日に公開された映画作品。

大長編・映画ともに第1作。

つまり
ドラえもんの映画の第一作にあたります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93_%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%81%90%E7%AB%9C

作者が死んでも映画は作り続けられています。