こんなこと書いていいのかなー と思いながら書かずにはおられません
最近宇野 正美 国際時事講演会の9月のテープを聞きました。 くわしいことは書ききれませんが その中で宇野 正美さんはいくつかのどえらいことを しゃべっています。
国際的な闇の勢力が日本をやってけるために20年前の日航機事故を起こしたのだと そして今回の関西宝塚線の事故もそうだって そして最後は9−11の総選挙がその仕上げだとも
こうして書いてみるとなんのことやら 気が狂ったとしか思えないようなことなんですが
ここまで言ってしまうとどうかと思いますけど 最初の日航機事故のことは驚きです
こんなことを言っています また当時の週刊文春のコピーもあります
それは 1995年9月28日号の週刊文春の記事です(つまり10年後) ここで米軍輸送機C−130の元パイロットのインタビューが 載っています。
彼の話を要約するとこうです 事故当日 1985年8月12日午後6時ころ 彼はソウルから横田基地へ帰る途中で緊急連絡の無線を聞いた そうです。 それでとにかく123便が行方を絶った近くから墜落現場を 探していたら午後7時20分に現場上空へ着くことができた。 早速横田基地へ連絡した。 それから1時間後には厚木基地から米軍ヘリコプター2機が救援の ために現場へ到着した。 地上へヘリコプターから乗員が降りようとしていたところへ 横田基地から指令がきた。 「日本の救援隊が現地へ向かっているのですぐ引き返すように」
それでも救助をしたいと言ったが聞き入れてもらえなかった やむなく引き返した ひき返すとき上空にはすでに日本の飛行機が待機しているのが 見えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー その後のことはみなさんもご存知のように陸上自衛隊の救援ヘリが 現場へ降りたのは翌日の午前8時49分でした。 生存者の発見は午前10時54分のことです。
もしは許されませんが もしあのとき米軍ヘリが救助に向かっていたらもっとたくさんの 生存者がいたはずです
またあのとき助かった乗員の落合さんはあとでインタビューに 答えています 「墜落してすぐにヘリコプターが来たので手を振ったが 帰ってしまった」 と
今年20周年でいろいろな報道がありましたが生存者の4人は 何故かマスコミの前にあまり現れていないように思いますが 思いすごしでしょうか?
えー
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