メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
メロウ倶楽部の会員以外の方からの書き込みも歓迎します。
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[No.231]
Re: 空港での見送り
投稿者:小机
投稿日:2010/12/18(Sat) 20:14
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Panさん、みなさん、こんばんは、
> 海外旅行が珍しかった頃、従兄弟がアメリカへ行ったときには、神戸から羽田までわざわざ見送りに行きました。 昭和30年代後半だったと思います。
>
> 送迎台に出て待っていると、すぐ目の前の飛行機の前で並んで写真を撮った後、手を振りながらタラップへ上がって行きました。
>
> 窓の中で手を振っているのも見えましたが、誰か判りません。 こちらも手を振って飛行機が飛んで見えなくなるまで見送りました。
>
> 今は素っ気ないですね。
もはや戦後ではないって言われた頃でも、まだやってましたね。
出国ゲートを出たあとも、小さな孔の沢山明いたアクリルの板で
仕切られた部屋が、名残を惜しむ人達のために有りました。
まるで被疑者と弁護人の面会室みたいでしたけど。
いつも搭乗ゲートまで走っていた小机
[No.230]
昭和24年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/18(Sat) 05:48
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昭和24年
鯨尺 江戸時代から使われていた和裁用の物差し 曲尺(かねじゃく)との単位換算が必要 一時使用禁止されたが、日本文化を保護しようとしない政府が批判された。永六輔は偉かった。
路上の傘直し 教会の近くで「お富さん」を歌う傘直しで、賛美歌を歌う教会の人は困っている(昭和29年12月22日) いまは安い折りたたみ傘の普及で傘の使い捨て時代
井戸さらい 井戸の掃除をする職人 この井戸のメンテナンスをする人を見てワカメが「だれか井戸に落っこちている」と叫ぶ。
夕刊の再登場 昭和24年1月21日のサザエさんの漫画で、フネが「今日から夕刊が出るんじゃない」と言っている。
主婦の店 主婦連合会(主婦連)は「巷の良い店選び」を行い、優良店を「主婦の店」と呼ぶようになる。都内で魚屋・八百屋・肉屋・雑貨屋の869店が選ばれた。
ターザン映画 アメリカのターザン映画「ターザン沙漠へ行く」「ターザンの怒り」「ターザンニューヨークへ行く」が封切られた。
白亜の恋 戦後当選した39名の婦人代議士の一人松谷天光光と妻子ある園田代議士の恋愛沙汰が話題となり、夜までフネとサザエが「白亜の恋」を議論して、波平の帰宅も気がつかないので、ついに波平から「天光光論はたいていにせい」と怒られる。
[No.229]
私の考え
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/17(Fri) 22:06
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ナッツ甲さん みなさん
> そういう話は、正直、辛いです。よい死に方は、誰も選ぶことは出来ない。
> 行いがいいから、きれいな体で苦しまずに亡くなる、とは、当人や家族への慰めや
> 褒め言葉にはなるでしょうが、では苦しんでボロボロの体で死んだ人は、行いが
> 悪かった、ということになるのでしょうか?
> 男爵さんは、そんなおつもりで書かれたのではないと思いますが、それはごく内輪での
> 時に話して欲しかったなぁ、と思いました。
> でも、最後に言わせて! 人の最期に行いの良し悪しは関係ないと思います。
だいぶ時間がたってしまいました。
あれからいろいろ考えて
いちおう私の考えを書いておきます。
結論としては
人間の最後とその人の人生における行いとは関係がないと考えています。
行いのよい人が平安に死んでいく
という話を小学校のときの担任の先生から聞いて
その記憶をハガキに書いて、約50年たって、その先生に送ったら
すぐ返事が届いたのです。
もう亡くなった私の母がよく言っていましたが
あんなに良い人が可愛そうな人生で終わるなんて
まるでこの世には神様がいないと思うようなことが人生には起きるよ
と何度かもらしていました。
誰からも評価されるよい人生をおくって幸せな最後でまとめる人
よい行いをしたはずが、あまり恵まれない晩年をおくる人
悪いことをして人に迷惑をかけて、ところがあんがい幸せな最後をむかえたという人
悪いことのしほうだいをして人から嫌われ、やはり最後は誰からも救いの手をさしのべられず自業自得を絵にかいたような人生でおわる人
と色々な人がいると思います。
以下にあるのは私の説で、よく教室で紹介するものです。
性格の良い女性 I 悪い性格の女性
----------------------------------------------------------
美人 A I B
醜い人 C I D
AもBもCもDも存在するのです。
しかし、人生経験の少ない若い男性は 女性はAかDだと思ってしまう(傾向がある?)
美人だからと高慢になりがちのBタイプもいれば
「さくらももこ」のように自称「お買い得の性格美人」のCもいるわけです。
行いの良い人は死ぬときも平安に死んでいく
悪人は最後はやはり悲惨
と思うのは、そうあってほしいという人間の自然な感情のようですが
真実は別のところにあるのではないかというのが私の考えでした。
[No.228]
: 昭和23年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/17(Fri) 05:41
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昭和23年
馬車・牛車 町に牛馬の姿のあるサザエさんの漫画は昭和30年まであった。北海道では馬そりが走っていました。
内職 家計を助けるためサザエさんは得意の洋裁の看板を出す。
集団見合い大会 板橋区に区立の結婚相談所が設立され、以後各地に設立された。
結核 ワカメが近所の増田さんに誘われBCGに行くのについていく。
髪のネット サザエさんもフネも使っていた女性が髪を整えるために使用したネット
訪問物売り ホウキ屋、魚屋や八百屋のご用聞き、鋳掛屋
街頭物売り ノート・南京豆、シャボン玉、ヒヨコ、クスリ、シャツ類、おもちゃ
帝銀事件 波平が帝銀事件の犯人と間違えられる。「まるでちがう。犯人は鼻すじが通っとるんだよ」
シベリア抑留 その数64万人 サザエさんもシベリア帰りの男に頼まれ菊池宅へ案内する。
[No.227]
Re: 空港での見送り
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/16(Thu) 19:24
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Panさん さんらく亭さん マーチャン
当時はなかなか外国には行かれませんでした。
私がお世話になった、もう亡くなった農学部の先生の話です。
昭和43(1968)年10月12日のロンドンの夕方のことです。
推定ではK先生は当時53歳。この時文部省在外研究員として3カ月の
世界一周の旅行中の出来事でした。
いっけん親切そうな英国紳士が現れて
ロンドンをガイドしてくれます。
カメラをもっているK先生に、さも親切そうに、ここがいいとか
あそこがいいと言って写真のポイントを示します。
ビッグベンを写し、ウェストミンスター寺院を見て、国会議事堂前を流れる
テームズ川に架かるランベス橋を渡ります。中央の欄干から議事堂を背面にとり、
最後に残った写真は、橋を渡って川のそばの遊歩道に入り、左に折れた所から
議事堂の背面を川の面に入れて写した夕景だった。
もう薄暗くなっていたが議事堂の建物が夕景をバックにして鮮明なシルエツトを
現わして絶好な写真になると思われた。
実はここが都会の穴だった。川のふちには堤防があり、遊歩道は
大きな石の舗道であり、低い場所になっている。その外側には更に大きい土手が
あった。その上に並木があり、病院があった。
結局このテームズ河畔の遊歩道
は病院裏の空き地に相当し、暗くなると人一人通らない。土手の上の並木の向こう
ではバス、乗用車が通り、人も歩いている。
そんな場所でイギリス紳士のガイドは最後の写真をとらせたのであった。
とり終わって振り返ると、もうフィルムはないのかと彼はK先生に聞きました。
K先生が終わりであると告げると、紳士の態度は全く別人に変わりました。
K先生の言葉を借りると、今までの好々爺ぶりは全くなくなり、ステッキは
ゲバ棒に見えてきたそうです。
次の言葉は、案内料12ポンド(1万2千円也)
を要求するといったのだそうです。
コワイですね。 K先生は無事帰ってきたからよかったものの。
私が大学に入学してから
ドイツ留学を終えたばかりの新進気鋭の助教授の講演を広い講義室で聞きました。
この先生の場合はドイツ政府の奨学金で留学したので
比較的スムーズだったようです。
ドイツまで南回りの飛行機で行ったのです。
それにしても
どちらの先生も行き先の国々のビザはあらかじめとらないといけないし
自分の希望だけでは行かれないので
しかるべき理由を述べて、それが正当であると判定されたときだけビザが発行されました。
あと外貨の問題もありました。
今みたいに好きなだけ持ち出せませんでした。
[No.226]
Re: 空港での見送り
投稿者:
投稿日:2010/12/16(Thu) 17:58
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Panさん さんらく亭さん みなさん
そうですね。当時は「洋行」という言葉があったくらいです。
会社の人が海外出張すると「お餞別」を渡したりしたのですから。
それと、当時は、大手旅行会社では「旅行説明会」が頻繁に開催されました。
「パスポートや税関」のような手続きに関することばかりでなく
「洋食の食べ方(ナイフは外側から使う)」とか「水洗トイレ」の使い方まで
大真面目で勉強されたようでした。
[No.225]
Re: 空港での見送り
投稿者:
投稿日:2010/12/16(Thu) 17:42
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Pan さん みなさん こんばんは。
>
> 海外旅行が珍しかった頃、従兄弟がアメリカへ行ったときには、神戸から羽田までわざわざ見送りに行きました。 昭和30年代後半だったと思います。
わたしが初めて出張で渡米した昭和46年でもそんな状態でしたよ
羽田から出発のときの見送りも帰国のときの出迎えも十数人が入出国ゲートと送迎デッキまで来てくれました。空港へ送迎に行くこと自体が珍しくてハレの行事だった時代でしたね
帰国のときはNYで買った黄色いカラーシャツを着て帰ったら出迎えた連中がオオッ〜
!というような驚きの眼で見ていました。当時は芸能界は別として堅気のサラリーマンがカラーシャツを着るなんてないころでデパートのYシャツ売場でも白しかありませんでした。
この年はニクソンショック(8/15)で経済大変動の時で永らく1ドル=360円で、1メートル=3.28フィート のように決まったものだと信じていたので、いきなり初めての渡米でこれが毎日変動するのに驚き、初めて”戦後は終わった”と実感した経験でした
さんらく亭@甲子園
[No.224]
Re: ローソク送電とパン焼き器
投稿者:
投稿日:2010/12/16(Thu) 12:26
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> フグはフグ毒で死なない仕組みがあるそうですが、電気鰻はどうなっているのでしょう?
自分が発電機なら、感電しないのではないでしょうか。
それで思い出しました。戦後、「電気鰻獲り器」なるものがありました。違法だそうで、
おまわりさんの目を盗んで使っている人が、ときどき田舎の川にやってきました。
腰にカーバッテリーをぶら下げ、長い竿の先に電極が付いています。よく獲れたそうです。
[No.223]
昭和22年/サザエさん
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/16(Thu) 07:25
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> ここの話題を盛り上げるために
> 清水勲「古きよきサザエさんの世界」から
> 昭和21年から39年までのキーワードを紹介したいと思います。
昭和22年
原っぱ 子どもたちの遊びの場 美空ひばりの映画では土管がありました。
紙芝居 黄金バット 少年王者 テレビも最初は電気紙芝居と言われた。
野菜の自宅栽培 トマト、キュウリ、ナス ニワトリを飼う家もあった。
都電・市電
ねんねこ サザエさんのねんねこがいくつあるか調べた人もいました。
新円かせぎ 昭和21年2月に給料は500円までが新円(旧券は流通停止)で支給され、残りは封鎖預金として銀行に預け入れとなった。 サザエさんは新円かせぎのためハロー出版社で働くことになる。
メチール 燃料用メチル・アルコールを屋台で安酒に混入し客に飲ませた。運悪く濃度の高いものにあたると失明したりすることがあった。
[No.222]
Re: 空港での見送り
投稿者:男爵
投稿日:2010/12/16(Thu) 05:55
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