メロウ倶楽部の会員は日本全国で様々な体験をしてきました。
この機会に、「あなたの戦後は?」を色々書いてみてください。
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[No.532]
童謡歌手古賀さと子
投稿者:
投稿日:2011/01/26(Wed) 09:44
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古賀さと子は昭和24年から35年にかけて大活躍した童謡歌手。
「少女クラブ」「少女ブック」「少女」「りぼん」「なかよし」などの少女雑誌の口絵やグラビアを、さと子のスマイルフェイスが毎号飾っていた。
代表作は昭和27年発売の「子鹿のバンビ」(坂口淳作詞、平岡照章作曲)。
昭和27年にNHK放送劇「ピー子ポン太郎世界めぐり」は、さと子の主演で始められた。
これは、世界各国のさまざまなところをまわって歩くという、コミカル仕立ての番組で、音楽を担当した三木鳥郎も自らハモンドオルガンを弾いた。さと子が歌った主題歌「ピーコポンの歌」(西沢実作詞、三木鶏郎作曲)はレコードもよく売れた。
私もこのラジオ番組は記憶している。
昭和30年上演された音楽劇「浦島太郎」に、さと子は乙姫様の役で出演し大成功を収めた。
大阪毎日放送「クレハホーソング」では「こけしのちびっこ」(サトウハチロー作詞、三木鶏郎作曲)を歌い、芸術祭童謡賞を受賞した。
昭和31年、NHK「きょうもどこかで」では、中原美紗氏A千葉信男、中村メイ子などの芸達者と共演、せりふいっぱいのある役で出演し、すこしもひけをとらなかった。
また、映画「オーケストラの姉妹」では、名子役の設楽幸嗣と共演するなど、さと子は活躍した。
昭和34年日本テレビの「ママちょっと来て」(千秋実、乙羽信子主演)では、主題歌の「ちょっと来てママ」(三木鶏郎作詞・作曲)も好評でよく歌われた。
美空ひばり、松島トモ子、白鳥みずえ、近藤圭子、鰐淵晴子らとともに、これらの少女雑誌の写真物語でも、さと子は大活躍した。
昭和27年「少女クラブ」の写真物語「花はかなし」(北条誠作)などで見せた印象的な演技は、今でも瞼の奥に焼き付いている当時の少女も数多くいるという。
[No.531]
Re: リンゴの唄
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/24(Mon) 23:41
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紋次郎さん さんらく亭さん、みなさん、
> 心を打たれたのは「長崎の鐘」(古関裕爾曲)の詩です
> 長崎で被爆死した実弟を悼んで作詞したのだそうです
>
> > 作家の佐藤愛子の、お兄様でもあるそうで…。
佐藤愛子の「血脈」はおもしろい小説です。
彼女にかかると、兄ハチローもけちょんけちょん。
しかし、兄の詩の才能は評価していました。
[No.530]
Re: 奇っ怪千万な帝銀事件
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/24(Mon) 23:13
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唐辛子 紋次郎さん こんばんは
> 平沢貞通はどうみても犯人とは思われへんし。
あの人がお金の出所を言わなかったのは
相手を守るため等の推理した本があります。
春画を描いて売っていたのではないかとの説でした。
> ★ 事件の現場になったのが、帝国銀行(現三井住友銀行)椎名町支店であった。
いまは銀行名が変わったのですね。
[No.529]
奇っ怪千万な帝銀事件
投稿者:
投稿日:2011/01/24(Mon) 13:05
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昭和23年(1948年)の帝銀事件ほど奇っ怪千万な事件はなかった。
何であんな手えのこんだことしたんやろか。何で無抵抗の行員をあんなにようけ殺す必要があったんやろうか。
平沢貞通はどうみても犯人とは思われへんし。
GHQがなんかからん$んとちゃうか。あのニュースで初めて、テンプラやない、テンペラ画ちゅう紋があるのん知った。
あの事件のお蔭で「椎名町」★は一躍全国区になった。
★ 事件の現場になったのが、帝国銀行(現三井住友銀行)椎名町支店であった。
[No.528]
Re: 板張りの窓
投稿者:
投稿日:2011/01/24(Mon) 09:13
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Panさん こんにちは
> 国鉄の窓ガラスは戦後になってからひどく割れましたね。
> ガラスが足りないので、仕方なく板張りになっていました。
これで思い出したのが昭和26年の桜木町事件(横浜桜木町駅)です。
窓が木製の3段窓で中央が固定のため脱出出来ず100人以上が犠牲になりました
神戸でも63型という同じ型の車両が走っているのでショックでした
63型と新しい学校制度の633制とを引っ掛けた皮肉な批判がありました
さんらく亭@甲子園
[No.527]
板張りの窓
投稿者:
投稿日:2011/01/24(Mon) 01:12
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みなさん、こんにちは
国鉄の窓ガラスは戦後になってからひどく割れましたね。
ガラスが足りないので、仕方なく板張りになっていました。
乗客が多くなったのと心がすさんで乱暴な人間が増えたからでしょうか?
そういう私も窓から出入りしたことが何度かあります。
そんなとき、こんな川柳がありました。
板張りに誰がしたのか見えぬ富士 ??
***** Pan *****
[No.526]
Re: 元気を呉れた「異国の丘」に大感謝!
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/23(Sun) 23:32
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唐辛子 紋次郎さん こんばんは
> この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。
>
親戚に
職業軍人の人がいました。
その人が言うには
ホンモノの傷痍軍人には
政府から手厚い保護があるから
寄付をする必要は全くないということ。
しかし
私の母は理屈ではわかっていても
人の集まるところにいるに傷痍軍人風の人たちに
寄付をしていました。
その都度、母は私の顔を見ながら「やっぱりねぇ」と言いました。
彼らは実態は芸人だったのですが、当時の日本人の心をなぐさめてくれました。
セラピーと経済との調和していた微妙なひととき
[No.525]
元気を呉れた「異国の丘」に大感謝!
投稿者:
投稿日:2011/01/23(Sun) 22:55
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終戦後のあの辛い時代、ついめげそうになる紋爺のこころをいつもいつも暖かい言葉と旋律で励ましてくれた歌に、吉田正作曲の「異国の丘」がある。あっしは落ち込んだとき、この歌を声の限りに歌い続けた。
とくに「我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 」と云うくだりは一生忘れられない。この歌に癒され、勇気をもらった人たちは紋爺以外にもきっと沢山いたに違いない、とあっしは今でも確信している。
この歌がヒットすると、いつしか電車の車内に傷痍軍人、たいてい二人組みが現れ、一方がアコーデオンで曲を奏でると、他方がこの「異国の丘」を歌う風景が全国の津々浦々、どこででも見られるようになった。その人たちは、手や足に『名誉の負傷』をしていて、見るからに痛々しかった。
あっしら前線に出なかったものは、惜しげもなく、その箱の中になけなしのお金を放り込んだ。
そのうち、傷痍軍人の偽者がぞくぞく現れ、電車内で歌を歌い金を集め出した。あっしらには、どれがホンモノで、どれが偽者か、なかなか見分けがつかなかった。
[No.524]
Re: 巨人、大鵬、卵焼き
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/23(Sun) 22:48
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あやさん、さんらく亭さん、こんばんは
> > > さんらく亭さんは野球のことはくわしいです。
> > > とくに関西関係は。
>
> 男爵さん、前から野球のこと詳しいのは存じていました。
> 甲子園の話なども記憶に残っています。
あやさん
さんらく亭さんが野球にくわしいのです。
私は
ここでの旗振り人間、それだけです。
あやさん、さんらく亭さん、
おかげさまで賑わっています。
ご協力に感謝します。
[No.523]
Re: 国民病「結核」
投稿者:
投稿日:2011/01/23(Sun) 20:08
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マーチャン
> 石田波郷さんもそうですね。清瀬におられたと思います。
波郷の病床の句には凄みを感じます
朝の茶に語らふ死後や沙羅の花
今生は病む生なりき鳥頭(とりかぶと)
病室に豆撒きて妻帰りけり
同じく結核の病床の句でも子規と違いますね
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