[No.143]
戦災孤児1
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投稿日:2010/12/09(Thu) 19:05
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今でも時々思うことなのだが、私の戦後の第一は、「孤児となった」
ことに尽きると考えている。
東京大空襲の日、池上本門寺のある山へ父だけを残して逃げた。
夜中だったと思うが、山の上から電車が火を吹いて走っているのが見え、
そばの池の中に入っている人たちがいた(死んでいたのではないと思う)
その時、母の下駄の鼻緒が切れた。玄関の開いている家があったので、
母は声をかけた。下駄を借りようと思ってのことだろう。ところが呼べど
叫べど誰も出てこない。母は玄関へ入り、駒下駄を履いて出てきた。深々と
頭を下げて。
そんな母は昭和22年5月9日に入院した。その翌日のまだ家族全員が寝て
いる明け方、医師と看護婦の訪れによって母の死が知らされたのだ。
白いごはんと、お刺身と、お風呂が大好きな母だった。私は9歳、母は32歳。
しのばるるととせも前のひなまつり母もいまして桃をかざりぬ
千代紙のひな作りゆくわれの手のしわ多くあり母のしのばる
この平和永くつづけと祈りつつ戦火に焼けたひな思う日よ
折りあげし雛の顔の妣似かな
母の忌の母の日となる今年かな
初夢の妣色白き三十路かな
こんな短歌、俳句を詠んだが、母が懐かしい。