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[No.7367] Re: 『かかわり本』番外編 投稿者:GRUE  投稿日:2015/11/14(Sat) 15:56
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紋次郎さんの文章は全くよどみが無く話題は果てしなく広がって行く。
あー、今日も又、道に迷ってしまった。帰り道はいずこにと探し回る
ばかりである。

こういう時は、どこかとり付けそうな部分を探してそこに食いつくに
限る。全部食べようなどと決して思わないこと。食べれば、この小さな
銀杏じゃなかった胃腸では、きっと消化を起こす。という訳で。

>  また、おっかない女、神近市子さんのはなしも面白い。市子はもと、社会主義者の大杉栄の愛人だったが、大杉が心変わりをして、神近から伊藤野枝を愛し始めたことから、激高して大杉を刺し、2年間ブタ箱生活を送る。いわゆる、日蔭茶屋事件である。

大杉栄と神近市子、伊藤野枝の関係はその通りだが、伊藤野枝とのことについて
目が留まった。

伊藤野枝については、まず青鞜社のことが挙げられる。1911年、青鞜社は
平塚らいちょうらによって創刊された。1915年それを引き継いだのが、伊藤
野枝。女性解放問題が生涯の課題。

青鞜社に参加する前に、福岡糸島から上京し上野高女に入学し当時英語教師で
あった有名なダダイスト辻潤と結婚していた。子供が2人いた。

青鞜社で頭角を現し、与謝野晶子などの蒼々たる女性解放活動家と親交を深めて
行った。

この流れの中で、無政府主義者(アナーキスト)大杉栄に接近していったのは、
必然のことだった。神近市子と大杉を争い、壮絶な事件にまで発展した訳。
結局恩師でもあった辻順と別れ大杉と結婚。

伊藤野枝の思想は急進化していったがそれも必然。1923年、関東大震災の際に
大杉と一緒にいた所を、大杉の甥の橘宗一と共に、憲兵大尉甘粕正彦に虐殺され
る。明らかに狙われていた。わずか28歳の無残な死に様が胸を打つ。

実は、甥の宗一が米国籍だったために、米大使館に抗議され政府(軍部)はお慌
て。しかし軍法会議で甘粕は死罪にはならず、満州に逃げていった。(この後、
満州で元夫の辻順と甘粕大尉の再会の描写を読んだことがあるが、丸で、ピストル
を抜かない決闘のような場の描写が壮絶であった。辻順は離婚しても野枝を愛して
いた。)

静岡市葵区に野枝が墓があり、「自由恋愛の神様」となっているようです。
全集も出されている。

辻順と野枝との間の長男が辻一(つじまこと)、彼のことも語り出せばキリがない。


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