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[No.7506] 百聞は一見に如かず 投稿者:GRUE  投稿日:2016/02/21(Sun) 12:03
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先日、米欧とイランとの間で核合意が成り制裁解除となった。これほどの
180度変わるような変更も余りない。つい最近まで「悪の帝国」と呼ば
れていた。

日本とイランとの関係も一変してしまった。つい最近まで「ホルムズ海峡
の封鎖危機」を煽っていた。そのための軍事力強化を叫んでいたのだ。
今では、一転してテレビなどでイラン観光番組が組まれるような状況にな
っている。企業なども一躍進出を目指しててぐすね引いている。

なんという変わり身の速いこと!

このような大転換が何故起きたかというのは、それは中東問題の核心に
迫る長い長い話になるのだが、ここではそれはおいておきます。

実は、4年半前、2011年6月にイランが悪の帝国扱いされているその
真っ最中に私はイランを訪れた。

私達は、ライフワークとして「シルクロード踏破」を続けている。途中に
長い中断もあったが、もう40年以上も続けて、今や漸くほとんど終った。
後は、少し道の切れたところを補強するだけである。

ただ、イラクだけは行けてないが、当分行ける見込みはないし、多分結局
行けないであろう。

4年半前のイラン旅行もこの一環であったのだが、行くと友人達に言ったら、
ほとんど異口同音に、「何故そんな危険なところに行くのか」と言われた。
答えに窮したものである。その危険というのにクエスチョンマーク(??)
が付くし、行ってみなければ分からないものが多々あるだろうと言いたかっ
たのだが通用しそうになかったので止めた。とにかく「悪の帝国」キャンペ
ーンはそれほど強かった。

イランを取り巻く壁は厚かったのだが、越えて飛び込んでみれば、どうと
いうこともなかった。イラン人は親日的だった。そして、日本と日本人と
の友好関係を深めたいと思っていることをどこでも感じた。

当時、ロシアや中国と関係を持っていて、海外旅行も中国に行っていると
言っていた。ロシアは過去何度も戦争をしていて、いい感じを持ってない
ようだったが、欧米が敵国扱いしているので仕方がなく関係を持っている
と言っていた。

日本への親近感はどこでも聞いた。「おしん」映画の人気を知った。アニメ
も。日露戦争で同じアジアの日本が勝ったことを喜んでいると言われたの
にはいささか面はゆかった。日本は中東では戦争をしたことがない。その
ことが信頼感を抱かせているのは間違いない。

韓国はその時でも関係をもっていたようだ。今では「おしん」より韓流ド
ラマをよく見ると言っていた。電化製品の宣伝看板を田舎の都市でも見た。

しかし、日本製品のはほとんどない。一体、日本は何をやってるんだろう
と思った。「悪の帝国」宣伝を忠実に信じていたからかもしれない。
とんでもない間違いを犯している気がした。

私は、この国はイランというよりペルシャと呼びたい。日本が古代国家を
形成して行く上で、既に寄与している。正倉院には、唐の遺物に加えて
中央アジアの遺物もあり、更に遠いペルシャのものもある。何かロマンを
感じる国である。

正倉院はササン朝ペルシャ(226−651)のものが残っているが、
ペルシャそのものは、アケメメス朝ペルシャ(前550−前330)、
サファーヴィー朝(1501 - 1736)など、世界帝国ともいうものを建てた
偉大な民族である。残された遺産は多くが世界遺産に指定されている。
ペルセポリスやイズファーファン、こうした遺産を見ないでは世界史を
語ることはできないかも。イラン(ペルシャ)が中東の大国と言われる
所以を。

とにかく素晴らしいものであった。15日間の旅行でバスで約3000km
を走った。これについては、別途お話ししていきたい。

最後に「百聞は一見に如かず」ということをつくづく感じたことを言わ
せて下さい。


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