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[No.7869] 三笠宮と東條英機暗殺計画 投稿者:男爵  投稿日:2017/05/05(Fri) 13:28
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加藤康男:三笠宮と東條英機暗殺計画
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-83272-2

平成28年10月27日に百年のご生涯をまっとうされ、薨去された三笠宮崇仁親王。実は、将来発表されることを望まれて、封印された歴史について証言を遺されていた。

 昭和19年夏。日本が絶対国防圏と定めたサイパンが危機に陥ると、首相、陸将、参謀総長などを兼ねる東條英機への批判が巻き起こる。「このままでは日本は蹂躙される」。意を決したある陸軍少佐が、東條抹殺を企図。計画書を三笠宮に渡そうとする。そして……。


著者は三笠宮の生前のとき
この本に書かれてあることは直接聞いたのだが
あとから三笠宮が、あれは自分が死んでから発表してほしいと頼まれ
そのときは出版をおさえていたという。

東條暗殺を計画したのは津野田知重参謀、彼は士官学校で三笠宮の二年後輩。

東條暗殺計画を津野田参謀から打ち明けられた三笠宮はどうしたか。
三笠宮は母親の貞明皇后に相談したところ、皇族は政治に介入してはいけないと叱られ動けなかったようである。
  このあたり、はっきりと三笠宮は著者に伝えてはいないようで、著者の推測が入っている。

どこから漏れたのか津野田は逮捕され、皇族には何の塁も及ばされなかった。


三笠宮は
大正天皇と貞明皇后の第四皇男子として誕生。
長兄の昭和天皇とは14歳年下となるので、兄たちと比べて、わりあい自由に育てられたらしい。

だから
昭和天皇が終戦の決意を語り、三笠宮はそれを支援して、
8月13日に陸軍大臣阿南惟幾が昭和天皇に徹底抗戦に翻心させようと三笠宮に説得を願い出たが「陸軍は陛下の大御心に反する」と断り、阿南を叱責したという。

あくまでも徹底抗戦を主張する陸軍軍人たちを
もういいだろうと抑えた昭和天皇を後ろから押した三笠宮は
平和日本の支援者だったのだろう。

古代オリエント学会で、考古学者・歴史学者として研究を続けたのは三笠宮らしい。

岡山市立オリエント美術館は
三笠宮を名誉顧問としていた。
http://www.orientmuseum.jp/page02.php


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