子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
役に立つ本でもいいです。
電子図書のことでもいいです。
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[No.564]
東日本大震災関係の本
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 12:22
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あちこちの図書館でも
今回の東日本大震災関係の図書のコーナーを設けて
関係図書をそろえています。
エハン・デラヴィ:外国人が見た東日本大震災、武田ランダムハウスジャパン(2011.6)
難民A:帰宅難民なう、北辰堂出版 (2011.5)
産経新聞社:がれきの中で本当にあったこと、産経新聞出版(2011.6)
西田宗千佳・斎藤幾郎:災害時ケータイ&ネット活用BOOK、朝日新聞出版(2011.5)
私もいろいろ読んでいます。
いろんな意見があって
政府批判したり電力会社批判したり
あるいは
このどさくさに日本の領海侵犯をして
日本の管理能力をテストする隣国の対応を非難したりする本もありました。
[No.563]
Re: 李白
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 11:54
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さんらく亭さん 唐辛子 紋次郎さん、安房守さん こんにちは
> 杜甫が「李白一斗詩百篇」と詠んでいますが、唐の時代にはまだ蒸留の技術は
> 入ってなかったので、アルコール度数の薄い、今でいうビールに毛の生えたくらいの
> ものでしょうから斗酒猶辞せずと言ったって大したことはないでしょうね(^_-)/
そうだと思います。
紹興酒のおかわり
みたいなことだったのではないでしょうか。
しかし
そうしてみると
スコッチの歴史も調べてみたくなりましたね。
ネットでちょっと調べると
ウイスキーが歴史上はじめて文献に登場したのは、1405年のアイルランドである。
このときウイスキーは修道士たちによって製造されていた。
スコットランドでも1496年に記録が残っているが、実際はウイスキーはこれより数百年も前からあったものと考えられている。
蒸留技術はアラビア人が広めたのです。
アラビア人たちがマラッカ海峡をこえて東南アジアにやってきた。
ときはモンゴル帝国の時代
元寇 一度目は文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、二度目は弘安の役(こうあんのえき・1281年)
琉球の泡盛はタイ米が原料 すなわち蒸留酒技術はタイから学んだと考えたいですね。
[No.562]
Re: ミトコンドリア・イヴ(2)
投稿者:
投稿日:2011/12/14(Wed) 11:33
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1990年代、分子人類学の研究はおおいに進み、現生人類の系譜、アフリカを出た祖先の世界各地域への拡散の時期・経路などが解明されはじめた。その成果は一般向け科学書となって次々と出版されてきているが、私が読んだ本を挙げてみると、
『ミトコンドリアはどこからきたか 生命40億年を遡る』(黒岩常祥 NHKブックス 2000年)
『イヴの七人の娘たち』(B・サイクス 大野晶子 訳 ソニーマガジンズ 2001年)
“The Journey of Man: Genetic Odyssey” Spencer Wells Princeton University Press 2002
『アダムの呪い』(B・サイクス 大野晶子 訳 ソニーマガジンズ 2004年)
『DNAが解き明かす日本人の系譜』(塩谷満 勉誠出版 2005年)
『Y染色体から見た日本人』(中堀豊 岩波書店 2005年)
『DNAから見た日本人』(斎藤成也 筑摩書房 2005年)
『アダムの旅 Y染色体がたどった大いなる旅路』(S・ウェルズ 和泉裕子訳 バジリコ 2007年)
『日本人になった先祖たち DNAから解明するその多元的構造』(篠田謙一 NHKブックス 2007年)
『ミトコンドリアが進化を決めた』(N・レーン 斉藤隆央 訳 みすず書房 2007年)
『DNA でたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか』(崎谷満 昭和堂 2008年)
「自分は何者か、何処から来たのか、何処へ行くのか」と誰しもが問うであろう。私はいくつかの答えを上述の本から学んできた。思えば、その始まりは四半世紀ほど前に読んだ週刊誌の特集記事 “The Search for Adam & Eve”にある。
[No.561]
ミトコンドリア・イヴ
投稿者:
投稿日:2011/12/14(Wed) 11:28
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[No.560]
Re: 李白
投稿者:
投稿日:2011/12/14(Wed) 11:03
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男爵さん 唐辛子 紋次郎さん、安房守さん こんにちは
>
> 李白は大酒呑みだったようですが
> 当時のお酒は今のアルコール度数の高い白酒ではありません。
> 蒸留酒はモンゴル人が支配した元代から
> 中国大陸にも伝わったものですから。
「李杜」といって李白と杜甫は並び称されますが「ネアカの李白、ネクラの杜甫」
というぐらいで李白のほうが近づきやすいようですね
江戸の古川柳にも
・李太白一合づつに詩を作り
・四日めに空き樽を売る李太白
などと李白の酒豪ぶりを詠ったのがあります
杜甫が「李白一斗詩百篇」と詠んでいますが、唐の時代にはまだ蒸留の技術は
入ってなかったので、アルコール度数の薄い、今でいうビールに毛の生えたくらいの
ものでしょうから斗酒猶辞せずと言ったって大したことはないでしょうね(^_-)/
さんらく亭@甲子園
[No.559]
少年マガジンのピンチ
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 09:20
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> > 大野茂:サンデーとマガジン、光文社新書400
> こうして小学館は翌年5月5日に新しい週刊誌「少年サンデー」を出すことにして準備をはじめた。
> しかし、どこでかぎつけたのか、講談社も対抗して「少年マガジン」を発行することになった。
準備十分の「少年サンデー」を追いかける形で
「少年マガジン」も健闘した。
やがて、「少年マガジン」も赤字を出さなくなり
順調に思われたのだが、世の中簡単ではない。
「少年マガジン」はピンチになる。
人気マンガの「8マン」を描いていた桑田次郎が、拳銃不法所持で警察に逮捕された。
8マンは、警視庁捜査一課の刑事である。それが警視庁に捕まってしまっては、シャレにもならない。
緊急役員会議が招集され、「8マン」の打ち切り決定がくだされた。
編集者内田が、桑田次郎に8マン打ち切りの事実を伝えに大塚署に行った。
係官の呼び出しの声が響いた。
「8号室、面会」
8マンが8号室に拘留されたのは、偶然だったのか、それとも意図的なものだったのか。
「ブラック・ジョークにしてはきつすぎる」そう内田は思った。
このころ手塚から、連載中の「W3(ワンダースリー)」が盗作に遭っている
という電話があった。
手塚の「W3」に出てくる宇宙リスとそっくりなキャラクターが、TBSで放送中の「宇宙少年ソラン」に出ているという。
聞けば、マガジンがTBSとタイアップして「ソラン」の掲載を予定しているじゃないか。
マガジン編集部も、TBSに対して厳重に抗議して「ソラン」の掲載を拒否してほしい。
そうでなければ連載をやめるという強い手塚の態度だった。
これはある放送作家が手塚からアイデアを聞いてうっかりTBSに話してしまったらしい。
少年マガジン編集部は「8マン」以来TBSとの良好な関係を続けてきたので、TBSに「ソラン」の中止は要求せず、結局手塚は「W3」の連載をやめてしまった。
あとで、手塚は「W3」を「少年サンデー」に連載することになる。
「8マン」打ち切り、「W3」移籍事件というダブルパンチを受けて窮地に立たされたところに
「ハリスの旋風」のちばてつやが結婚して新婚旅行で長期休載となり、本来おめでたい出来事までマガジンには冷たい風が吹き
人気連載は3つとも一度になくなってしまった。
そこへ
円谷プロダクションがTBSで放送するため怪獣テレビ映画「ウルトラQ」を作ったのだが
会社の評判は悪く、かれこれ一年間もお蔵入りになっていた。
スタッフは自信を持っている。これを「少年マガジン」で取り上げてくれないかと
相談を持ちかけられたのは、新しく編集長になった内田であった。
内田はそのフィルムを見て、「これはいい、これは受ける。銭くい怪獣カネゴン、凶暴なのにどこか愛嬌のあるガラモンなど、新しい怪獣のキャラクターは魅力的だ」と感動して早速「少年マガジン」で扱うことを考えた。
それまで「マガジン」の表紙と言えば、笑顔の少年とか人気のスポーツ選手ばっかりだったのに
いきなり怪獣が三匹並んだ表紙案に対して「明日気味悪い」「店頭で誰も買わない」と厳しい意見が続出したが、そんなに頑張るなら新編集長に一度だけチャンスを与えようということになった。
こうして発売された怪獣が表紙の「少年マガジン」はたちまち売り切れてしまった。
以後増刷しても売り切れ続出。
気をよくした「マガジン」は以後特集で怪獣を扱うと、TBSも「ウルトラQ]の放映をはじめた。
「少年マガジン」とテレビという相乗効果で、怪獣物は大流行する。
以後、マンガとテレビ放映という組み合わせが売り上げを成功させる黄金の作戦となる。
[No.558]
大地
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 06:03
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この期間限定の部屋も残りは
あと半月くらい。
そこで残ったものを書いてしまわないと...
中国を舞台に
貧しい男が一生懸命働いて
少しずつ財産を作り
妾も囲って
その子は親のおかげで経済的にもめぐまれ
社会的にも高い地位を上っていくが
やがて苦労が待っていた。
著者の中国生活が長いから
よく観察していたので
当時の中国の状態がよく反映されている。
ノーベル賞受賞。
この小説の中にに、知的障害者の娘が出てくるが
実は作者パール・バックの娘も知的障害者であった。
大学の時
彼女の書き物を英語のテキストで扱ったことがあり
詳しい事情を英語の先生から聞いたことがある。
[No.557]
戦争と平和
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 05:54
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この期間限定の部屋も残りは
あと半月くらい。
そこで残ったものを書いてしまわないと...
ナポレオン軍がモスクワに攻めてくる。
ロシア軍は戦うが苦戦する。
モスクワ炎上。
やがて冬が迫り
たいして成果をあげられないナポレオン軍は
退却を始める。
めぼしい戦果をあげなかったのだが
ロシア軍はナポレオン軍を追い
勝利の実感をゆっくりかみしめる。
歴史は将軍や偉い軍人がつくるのではなく
無名の兵士が大砲に弾を込めたり
あるいは無名の兵士が戦場を駆け巡り
血を流したり怪我をしたり戦死することによって
歴史がつくられるというような作者の記述が
いまも心に残っています。
[No.556]
徳川家康
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 05:48
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この期間限定の部屋も残りは
あと半月くらい。
そこで残ったものを書いてしまわないと...
長編小説「大菩薩峠」を読んだら
では、次は「徳川家康」はどうですかと
勧められたので
約1カ月で「徳川家康」も読破しました。
家康は苦労した。
今川に人質となり
信長が今川を倒したら
信長軍の先頭にたち戦にあけくれ
武田信玄には完敗して徳川家もこれまでという危機におちいる。
しかし
信玄はそれがピークで戦国武将の舞台から消えてしまう。
同じことは信長にもあてはまり
突然の明智光秀の謀反。
このときもピンチの家康はなんとか逃げ帰る。
それから
秀吉との戦い。
無理な縁談も押しつけられ
大河ドラマ「江」もその一つだが
耐えて耐えて、長生きして
とうとう天下を取る。
[No.555]
Re: 「世界の愚か村話」はいかが?
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/14(Wed) 05:35
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唐辛子 紋次郎さん
> ところで、上掲書には世界中の愚か村の話が満載されている。
> また、何かを撒くという点では、遠藤周作がこどもの頃、雨の日にわざわざ長靴を履いて庭の花壇へいき、家のじょうろで一心不乱に水やりをしたという逸話をどこか読んだことがあるが、真偽のほどは保証できない。
雨の日に
草花に水を与える話はどこかで読んだ記憶が....
走る電車の中で、(少しでも早く着こうとして)目的地に着くまで車内で走る話があります。
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