私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


[トップページへ] [新規投稿] [新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ]
[留意事項] [投稿の手引] [管理用] [問い合わせ]
  • 以下は新規投稿順のリスト(投稿記事)表示です。
  • 48時間以内の記事は new! で表示されます。
  • 投稿者のメールアドレスがアドレス収集ロボットやウイルスに拾われないよう工夫して表示しています。

  • [No.392] Re: 新作落語 投稿者:   投稿日:2011/12/03(Sat) 18:47
    [関連記事

    男爵さん みなさん

    > 同じく歌奴の「お客さん、新大久保」というのは
    > 彼が、山手線新大久保駅で駅員を務めたから。

    3代目ですね。新宿末広亭でよく見ました。まだ若かった
    のちに立派になって何代目かの円楽になって出家して噺家と坊主の二足の
    ワラジを履いて、、、いい人生を送った人でした

    > 林家三平の
    > 「よし子さん」「どうもすいません」「身体だけは大事にして下さい」
    > は今も耳に残っている。

    三平さんがまだ新米のころ末広亭でよく見ましたが客席はガラガラでした(;_;)
    アコーディオンの伴奏する人のほうが受けていましたね(゜゜)(。。)

    立川談志に大きい影響を与えたのが三平さんと歌笑(3代目)と言われますが、
    三平は兎も角、歌笑はサモアリナンと思います
    特異な風貌に笑いの水爆と言われた「歌笑純情詩集」は忘れられません
    銀座のド真ん中で進駐軍のジープにはねられて死んだのも忘れられません


            さんらく亭@甲子園


    [No.391] Re: 「さわりで覚える 」古典落語80選 投稿者:季寿(きよし)  投稿日:2011/12/03(Sat) 18:43
    [関連記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/tmgw19

    唐辛子 紋次郎さん 男爵さん

    > > 私も落語大好き人間の一人です

    3年ほど前に「ちりとてちん」というタイトルのNHK朝ドラがありました
    内容は、小浜生まれのヒロインが大阪へ出て、女性落語家を目指すドラマでした
    小浜でもロケが行われました
    そのようなことから、当地では、落語で町興しということになりました
    駅前通り商店街で廃業した旅館を買取り、内部を改装して「はまかぜプラザ」として生まれ変わりました
    寄席の行われる部屋は、5,60人も入れば満員になるような部屋で、噺家を間近で見られ親近感が湧きます

    今まではラジオやテレビで聞いていた落語でしたが、生で見る落語は、雰囲気があり迫力も違います

     季寿(きよし)


    [No.390] Re: 「さわりで覚える 古典落語80選」 投稿者:マーチャン  投稿日:2011/12/03(Sat) 18:08
    [関連記事

    唐辛子 紋次郎 さん、みなさん

    >  なかでも、好きな演目は大山詣り、親子酒、金明竹、寿限無、粗忽長屋、たが屋、

     私は「金明竹」が好きです。

     道具屋の使いが
     ーーー取り次ぎました道具七品のうち、祐乗(ゆうじょう)光乗(こうじょう)宗乗(そうじょう)三作の三所物(みところもん)。

     などとペラペラ関西弁でしゃべりまくる。
     何度いってもらっても分からんものは分からんです。

     21世紀の今も、相手がキヨトンとしているのに、テクニカルジャーゴンを
     しゃべり続ける人がいます。

     "CPUはi7が入っておます、メモリーは実装で8ギガ、
     ハードディスクはドカンと1テラ”

     「なんやわからへん、もう一度いってみて」

     ーーーというようなやり取りがあちこちで繰り返されています。

     お医者さんもそうです。その昔
     「フセイミャクです。シンボウサイドウ製?」です
     ーーーと言われた時も「なんか辛抱せにゃならん病気らしいな」
     と思いましたがよくわかりません。
     
     「すみません、どんな字を書くのでしょうか」
     と恥ずかしながらお医者さんに聞きました。


    [No.389] Re: 「さわりで覚える 古典落語80選」 投稿者:   投稿日:2011/12/03(Sat) 17:24
    [関連記事

    唐辛子紋次郎さん、みなさん。こんにちは。

    >  ところで、あるところに落語に登場する重要人物、赤井御門守の禄高が、十二万三千四百五十六石七斗八升九合一掴み半とありましたが、一体どうやって調べたのでせうね。

    そりゃ〜、赤井御門守の末裔である赤門の東京帝国大学落語研究会が過去帖を紐解いて
    調べたんでがしょう(゜゜)(。。)


            さんらく亭@甲子園


    [No.388] 赤塚不二夫「人生これでいいのだ」 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/03(Sat) 17:05
    [関連記事

    1999年2月に集英社から出た本。

    立川談志と赤塚不二夫が対談している。
     談志が赤塚に、酒やめているのかと聞くと、赤塚は飲んでいると答える。
    そこで二人は飲みながら対談をはじめる。
      赤塚は平成20(2008)年 8月2日、肺炎のため逝去。享年72歳。
      談志は喉頭がんで今年の11月21日に亡くなった。享年75歳。
    http://www.koredeiinoda.net/

    二人ともがんになりながら思うような人生をおくり立派に長生きした。

    読者の質問「いままでで一番おいしかったお酒は何か」に対して
    赤塚は、酒の味は一緒に飲んでいる人間で決まると答えている。
    彼の人生で一番忘れられないのは、20年くらい前に
    映画監督をやっていた足立正生(まさお)と飲んだときだという。
    足立正生は赤塚の飲み仲間の若松孝二映画監督の弟子で
    若松の映画は全部、足立が脚本を書いていた。
    足立は一本気な性格で、世界革命をめざして日本赤軍に入って
    パレスチナに飛んで行った。
    あしたパレスチナに行くという前日に、赤塚の仕事場に来て
    「飲もう」と言った。
    日本最後の夜に選んだのは、女房でもなく恋人でもなく
    赤塚不二夫を選んでくれたことに感激した赤塚は
    当時日本にはほとんど輸入されなかったので
    わざわざ台湾の知人からから大量に送ってもらったハイネケンを
    一緒に飲んだという。

    別の読者から
    天才バカボンのパパとママは、それぞれ相手のどこが好きで結婚したのか
    特にママから見てパパの魅力は何かという質問に対して
    赤塚の答えは
    ただ読者を驚かそうと、すごく不釣り合い夫婦を出してみたのだという。
    ムチャクチャな設定のマンガだったのに
    バカボンのパパのキャラクターが世間に認められるにしたがって
    だんだんヘンだったはずの夫婦がヘンでなくなっちゃったというわけだ。
    読者のほうが「きっとパパは、ママから見れば子どもみたいにカワイイから
    一緒にいるんだ」と勝手に解釈するようになった。
    作者の赤塚もそこまで考えていなかったのに、だんだん作者自身が
    「このパパとママは似合いの夫婦だ」って思うようになった。
    すべては成り行きだ。
     赤塚は14歳も年下の今の女房と再婚したのも成り行きだという。
     「どうしても結婚してください」とお願いしたわけではない。
     なんとなくだんだんそうなっていったのだという。

    赤塚は講演が嫌いだという。
    講演そのものは聴衆の聞きたい話を選んでするから好評なのだが
    問題は講演が終わってから、町長だとかその地方の名士と一緒に宴会を
    するのが苦手という。
    知らない人たちとばかりで飲むのは疲れるのである。
    赤塚は人見知りする性格なのだ。


    [No.387] ちひろへの手紙 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/03(Sat) 16:26
    [関連記事

    いわさきちひろの絵
    それに
    いわさきちひろ松本美術館におかれた感想ノートに書かれた文章のなかから
    松本猛が選んだ文章
    から成り立っている。

    ちひろの本名は知弘だが
    本人はこの漢字名はいやがって
    ひらかなで名前を書いていた。

    ちひろは結婚したとき
    夫となる人に気持ちがついていかなかった。
    そのため相手の男性はまもなく自殺してしまった。

    後悔したちひろは二度と結婚しないつもりだったらしい。
    そこに現れた彼女より若い男性は、彼女の絵のファンだった。
    真面目な人間性にひかれて、彼女はこの年下の男性と結婚する。

    ちひろがスランプにおちいって絵が描けなくなったとき
    いつも、彼女は夫に話しかけるという。
    彼女の言葉を、夫はにこにこ笑いながら聞くだけである。
    そのうちに彼女は気持ちが落ち着いて、また絵が描きたくなるという。

    まことに彼女の結婚はしあわせだった。
    (同じようにスランプにおちいったとき、長谷川町子は同居する姉妹たちに
    もう漫画は描かないと言うと、みんなはまたはじまったとばかり、ではやめたら
    というので喧嘩になるという)

    ちひろの子どもの絵はモデルは息子の猛なのだが
    男の子、女の子、どちらともとれる子の絵もある。

    この本には人魚姫の絵があったり
    白いひげの紳士に手を引かれて港を歩く赤い靴の女の子の絵もある。


    [No.386] Re: 「さわりで覚える 古典落語80選」 投稿者:   投稿日:2011/12/03(Sat) 15:27
    [関連記事

     さんらく亭さん、みなさん。こんにちは。

    > > 「垂乳根」は学のあるお嫁さんなので
    > > 八五郎はあせった。
    >
    > この噺はもともと上方噺の「延陽伯」が江戸末期に江戸へ移植されて「垂乳根」に
    > なったもの。「八五郎」は上方噺では「辰っつぁん」です
    >
    > こういう例はたくさんあり「崇徳院」の舞台も上方では高津神社ですが江戸では
    > 上野寛永寺の清水観音堂になったりします
    >
    > 演目名も「高倉狐」→「王子の狐」 「高尾」→「反魂香」と変わっています

     紋爺こと日頃不勉強につき、そういうことはマッタク知りませんでした。大変勉強になりました。(*^_^*)

     ところで、あるところに落語に登場する重要人物、赤井御門守の禄高が、十二万三千四百五十六石七斗八升九合一掴み半とありましたが、一体どうやって調べたのでせうね。

     お分かりの節はどうかご教示ください。m(._.)m


    [No.385] Re: 「さわりで覚える 」古典落語80選 投稿者:   投稿日:2011/12/03(Sat) 14:58
    [関連記事

       季寿(きよし)さん、みなさん、こんにちは。

    > 私も落語大好き人間の一人です

     季寿(きよし) さんに比べりゃあ、あっしなんぞまだ新米です。

     さいきんは、寄席の方は、チョットご無沙汰してます。

    > 先月は、古典落語80選にも入ってる「チリトテチン」と「初天神」を聞いてきました
    > 「チリトテチン」は関東では「酢豆腐」というそうですね

      上方落語では、同じ落語でも、ずいぶん演題が違うのでしょうね。
     
    >
    > また関西の落語家には、関東のように前座、二枚目、真打というような格付け?はないそうです

     出世魚のように何度も変わる人があるかと思えば、三平のようにマッタク変わらないのもあって、あっしら紋外漢にはサッパリです。


    [No.384] Re: 世界史迷宮のミステリー 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/03(Sat) 13:14
    [関連記事

    > 桐生操:世界史迷宮のミステリー、KKベストセラーズ

    > スターリンの妻変死事件

    スターリンの犠牲者の数は正確な統計資料が残されていないが
    4千万人から6千万人だと言われている。
    これにくらべるとヒトラーの方がはるかに少ない。

    アメリカに亡命したスターリンの娘のスベトラーナの書いた回想録がある。
    このスベトラーナの母親ナージャは1932年に
    当時住んでいたポテシュヌイ宮殿で不審な死をとげている。

    いちおう死因は自殺とされているが、夫のスターリンに殺されたのだとか
    事件後にいろいろ不穏な噂がささやかれ、いまだに謎は究明されていない。

    その前夜に、
    ボルシェビキ革命から十五年で
    クレムリンの赤の広場での記念パレードのあと
    軍事委員のウォロシーロフの主催で夕食会が開かれ
    党の幹部らが夫人同伴で出席した。

    酒豪で有名なスターリンは、その夜も乾杯につぐ乾杯で気炎をあげていたが
    ナージャが全然グラスに口をつけていないことに気がついた。
    「どうしたんだ、お前、何かあったのか」
    すると、ナージャは、あなたから「お前」と呼ばれる覚えはないわ、と怒って
    さっさと席をたって部屋を出てしまった。

    ナージャの死体が発見されたのは、その翌朝のことだった。
    発見したのは使用人だった。
    ナージャの死体は血まみれで、横にピストルが落ちていた。
    そのピストルはスターリンの持ち物だった。
    スターリンとナージャは別々の部屋で寝ていた。

    スターリンの最初の妻は結婚三年目で結核で死んでいる。
    それから約11年後にナージャと再婚した。
    もともとナージャの父はスターリンと同じグルジア出身の共産党員で
    昔から親しい仲だった。
    スターリンより22歳年下のナージャは音楽学校を卒業して
    レーニンの秘書団の一員として暗号室にいた。
    スターリンはナージャから、レーニンの下す決定や指示をこっそり聞いていた。

    なぜ、妻は公式パーティの席から飛び出して帰宅したのだろうか。
    それまでの間に二人の仲はそうとう険悪なものになっていたと考えたほうが
    自然ではなかろうか。
    それについては諸説がある。
    まず、スターリンの女性関係だ。
    娘スペトラーナが生まれた頃から、スターリンはナージャと寝室を別にするようになり
    複数の女性と関係をもつようになった。

    この当時、政治局員カガノヴィッチの妹ローザと関係を結んでいた。
    もともとモロトフの愛人だったローザは、スターリンと関係するようになった。
    ナージャの死後、彼女はスターリンの事実上の妻となったことを考えると
    たんなる一時的な火遊びではなかったようだ。
    二人の関係に気がついたナージャは相当怒っていただろう。

    もうひとつ考えられることは
    元中央委員のリチューチンがスターリンの政策を批判して捕えられ
    秘密警察の拷問で、数人の仲間の名を自白した。
    その中にニキーショフがいた。彼はナージャの初恋の相手と言われる。

    ナージャはニキーショフの釈放をスターリンに懇願したが
    結局彼は処刑されてしまう。
    そこでナージャはスターリンを恨むようになったという。

    ナージャが自殺したのか、スターリンが殺したのか
    いずれにせよ
    ナージャを死に追いやったのがスターリンであることは本当のようだ。

    スターリンの妻になったばかりに、31歳という若さで死に追い込まれた彼女はなんとも哀れである。


    [No.383] Re: 鮎川哲也:ペトロフ事件 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/03(Sat) 12:29
    [関連記事

    > 鮎川哲也:ペトロフ事件

    > 1949年にミステリー専門雑誌「宝石」が3周年を記念して募集した
    > 長編小説コンテストに応募し、特別賞に輝き、翌1950年に別冊に掲載。

    山之内重美の歌「青いプラトーク」を知ってから
    改めて、この小説を読みなおすと
    ブラトークを着ている場面があった。

    鮎川哲也は大連時代にも
    ロシア人の服装に注意していたことがわかる。


    | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 |


    - Web Forum -   Modified by isso