私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.292] 「体制維新 大阪都」 投稿者:季寿(きよし)  投稿日:2011/11/28(Mon) 20:01
    [関連記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/tmgw19

    みなさん

    「体制維新 大阪都」は、橋下徹と堺屋太一の対談と、昨日行われた市長選で
    当選した橋下氏の都構想の内容が詳細に書かれています

    堺屋氏は、大阪の衰退は日本の衰退であると・・
    大阪都構想が推進できるかどうかは、日本の体制改革が実現できるか否かの
    試金石だと言っています

     季寿(きよし)


    [No.291] 眼鏡橋 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 18:17
    [関連記事

    > さてそのベニスつまりヴェネツィアの歴史だが
    > ヴェネツィア共和国は東ローマ帝国分割で莫大な利益を獲得し、政治的にも地中海地域でヨーロッパ最大の勢力をほこるようになった。

    こんどは
    ヴェネツィアではなく
    フィレンツェのことです。

    太田静六:眼鏡橋

    九州の石アーチ橋はどこから
    その技術がきたか。

    結論としては
    太田静六博士は
    九州の最初の石橋の長崎眼鏡橋は明から清に変わったとき
    中国大陸から多数の明の亡命者が長崎に移り住んで
    長崎で成功したお礼に、中国大陸から橋の技術者を招いて架けさせたのが
    眼鏡橋である。
    つまり、長崎眼鏡橋はオランダやポルトガルの技術ではなく、中国の技術の系譜をついでいるというのである。

    この本に下記のことが書かれてあるのが興味深い。
    「1000年以上も続いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が1452年に
    オスマン・トルコにより滅ぼされるに先立って
    首都コンスタンチノープル(今のイスタンブール)から多くの学者や芸術家が
    イタリアのフィレンツェに亡命し、これらが原動力となって
    イタリア・ルネッサンスが開花したことは有名だが
    明が滅びる前後に、多くの文化人や芸術家、学者らがわが国に亡命してきた時の
    事情も、大筋では同じである。
    その中心となったのが長崎なので、長崎に多くの新文化がもたらされたのは当然である。
    ビザンツ帝国が明に当たり、フィレンツェが長崎に相当すると思えばよい。
    石造アーチ橋が初めて長崎に現れたのも決して偶然ではなく、その中の一現象にすぎない」


    [No.290] ベニスの商人 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 17:08
    [関連記事


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    友人のために
    ひとはだぬいだアントニオは
    簡単に金を返すことができるつもりだったが
    彼の商船は難破し財産を失ってしまう。

    シャイロックは、自分の強欲な商売を邪魔されて恨みを募らせていたアントーニオに復讐できる機会を得たこと事を喜ぶ。

    「肉は切り取っても良いが、血を流してはいけない」なんて
    契約書のどこにも書いていない。
    肉を切り取るとき、血のことは書いていないのだから
    そのことを言い出してストップさせるのは
    シャイロックの営業妨害をするつもりなのか。

    当時からユダヤ人は嫌われていた。
    イギリスでもフランスでも。

    ヨーロッパの文献に詳しかったシェイクスピアが
    デンマークやイタリアのことに詳しくて
    「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」や「ヴェニスの商人」などを
    書くことができたことを、単純に誉めればよいだろうか。

    さてそのベニスつまりヴェネツィアの歴史だが
    ヴェネツィア共和国は東ローマ帝国分割で莫大な利益を獲得し、政治的にも地中海地域でヨーロッパ最大の勢力をほこるようになった。

    ヴェネツィアのマルコ・ポーロが黒海北岸から中央アジアを経て元へ向かったのも
    その商人国家の運命を背負ってであろう。

    15世紀半ばのオスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、最盛期は終わりを告げた。

    1497〜98年にポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰をまわるインド航路を発見したため、大航海時代をむかえ
    貿易の舞台はアドリア海から大西洋や太平洋に移り、ヴェネツィアの貿易に対する影響力は低下、衰退は加速された。
    これに対してヴェネツィアはガラスやレースなどの工芸品を作ることで対処した。

    1797年、ヴェネツィア共和国はナポレオンに侵略され、ついに崩壊した。


    [No.289] Re: 手紙の書き方の本 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 16:11
    [関連記事

    > やっぱり本は本であって
    > 生身の人間の書く手紙の方が真実感があります。

    > 17世紀のオランダの手紙の解説文を読んでいたら
    > 当時も手紙の書き方みたいな本があったらしい。

    源氏物語の書かれた当時の王朝時代
    日本はすでに愛の手紙が流行していた。
    まだジンギスカンの現れる前。

    当時の貴族は、和歌を詠むことはもちろん
    シナの漢字文学や故事にもたけていた。


    [No.288] ぼくの世界博物誌 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 12:55
    [関連記事

    いま読んでいる本です。

    日高敏隆:ぼくの世界博物誌、玉川大学出版部 (2007)

    フランス式フランス料理
    パリ大学のボードワン教授の家に下宿したとき
    会食はフルコースだったが、皿は各自一枚。
    料理を食べ終えると、皿をパンでふく。
    次の料理になったり、サラダになったり。
    「ぼくらは日本で料理の作法をきびしく教わりました。ナイフやフォークは外側からとか、スープの飲み方とか」
    「それはイギリス式だ。イギリスは料理がまずいから、うるさい作法でごまかしている」
    フランスの子供が家庭できびしく教わるのは
    「食事のときは、左手にパンを持って!」ということと
    「だまって食べずにみんなとお話ししなさい」ということだけだそうだ。

    コタキナバルのコピー
    コタキナバルとはボルネオの北部にあるマレーシア・サバ州の首都である。
    ボルネオは今ではカリマンタンと呼ばれる世界で三番目に大きい島。
    カリマンタンは大部分がインドネシアに属するが、北部はマレーシアのサバ州とサラワク州になっている。
    コタキナバルの住民は大部分がマレー系のカダザン人、しかし中国人もたくさんいる。
    著者たちは毎朝七時に、中国人の店へ朝めしを食べに行った。
    朝めしはミー・スープ、つまりラーメンだった。このラーメンには鶏肉や肉のつみれなどもたっぷり入っている。
    飲み物はコピー、つまりコーヒーのこと。
    このコピーは大きなガラスのコップの上のほう約三分の二はたしかに黒いコーヒーだが、下三分の一は白い。
    この白い部分はコンデンス・ミルクでよく見るとその底にはたっぷり砂糖が入っている。
    コピーをさじでかきまぜて、全体に白くなったカフェ・オ・レを飲むと、これが甘いのだがおいしいという。(糖尿病の人にはどうだか)
     (サンダカンはコタキナバルと同じくボルネオのサバ州にある。サンダカン八番娼館のあったところ)


    [No.287] ジャン・クリストフ 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 11:03
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    ロマン・ロランの長編小説。

    主人公のジャン・クリストフが何かの理由で
    故郷から脱出してフランスに逃げ出さなければならなくなった。

    ライン川を越えるとき
    ドイツからフランスへ向かうときも
    フランスからドイツに移動するときも
    国境の駅でパスポートチェックがある。

    そういう体験をしたとき
    ああ、これはジャン・クリストフと同じだと思った。

    貧しい人々が屋根裏部屋で暮らす場面がある。
    この屋根裏部屋の生活に興味を持った私は
    あるときの旅行で、屋根裏部屋をあてがわれたことがある。

    まるで小説の主人公になったみたいで
    ジャン・クリストフの世界に突然とびこんだような気になって
    嬉しがったものだった。


    [No.286] Re: 八墓村 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 10:19
    [関連記事

    YKOMAさん

    >  ところで横溝さんの小説は大げさでおどろおどろしいシーンが
    > 続くので、辟易しました。

    芝居のような光景がどんどん出てくるので
    そういうものだと思って読まないと
    イメージに負けてしまいそう。

    >  ただし彼が登場した雑誌宝石に連載された「本陣殺人事件」は
    > 雪の降る座敷での密室殺人で、日本らしい小説には一驚しました。
    > わたしがティーンエイジだったからかなあ、クリスティやクイーン
    > といった外国ものにはない新鮮さを感じたものです。

    密室殺人事件を、うまく日本の文化の中にもってきました。
    雪の中の離れ 箏の音
    あざやかな「本歌取り」


    [No.285] オルセー美術館 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 10:13
    [関連記事

    NHK世界美術館紀行6

    オルセー美術館を訪れるなら、晴れた日のお昼すぎが一番いいでしょう。
    なぜなら、美術館自慢の天窓を通して日の光が射し、その光のもとで
    まばゆい屋外の光を表現した印象派の名品の数々を堪能することができるからです。

    1900年当時、近代の象徴建築であったオルセー駅。
    1986年、美術館に生まれ変わった駅舎。

    ルノワールのムーラン・ド・ラ・ギャレット

    アングルの泉

    マネの草上の昼食
    マネのオランピア

    ドガの舞台の踊り子


    [No.284] Re: 八墓村 投稿者:YKOMA  投稿日:2011/11/28(Mon) 10:05
    [関連記事

    男爵さん

    > この小説の中でほとんど出てこない金田一探偵が
    > 最後に活躍して
    > 主人公たちを助け
    > 推理で謎を解く。

    悪魔の辞典でしたっけ。名探偵とは「殺人は防止できないが
    発生後に得々として解説する人、みたいな定義がされている(?)

     ところで横溝さんの小説は大げさでおどろおどろしいシーンが
    続くので、辟易しました。

     ただし彼が登場した雑誌宝石に連載された「本陣殺人事件」は
    雪の降る座敷での密室殺人で、日本らしい小説には一驚しました。
    わたしがティーンエイジだったからかなあ、クリスティやクイーン
    といった外国ものにはない新鮮さを感じたものです。


    [No.283] オスロ国立美術館 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/28(Mon) 09:55
    [関連記事

    NHK世界美術館紀行9

    オスロ国立美術館
    みんな目指すのは二階の「ムンクの部屋」

    ムンクの描く月は、いつも満月だった。

    ムンクは1863年 五人兄弟の二番目として生まれた。
    五歳のころ母を結核で亡くし、その九年後に姉も同じ病で他界する。
    以降、ムンクの心には生きることへの不安と死の恐怖がつきまとい
    それは画家となっても変わることはなかった。

    武者小路実篤は1912(明治45)年に
    雑誌白樺で、リトグラフの「叫び」を紹介している。


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