子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
役に立つ本でもいいです。
電子図書のことでもいいです。
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[No.282]
Re: 「よく生きよく笑いよき死と出会う」
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/28(Mon) 09:26
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七君さん、みなさん こんにちは
> 日本では定年後、あるいは老後を第二の人生と言っているが、違う。
> 教育を受けて自立するまでが第一の人生、社会人として働いている間が第二の人生であって、そのあとは第三の人生である。第三の人生はボランティア精神で生きようと勧めておられます。
ボランティアと聞けば
あやさんを連想しますね。
> そして、これらにはユーモアが必要である。
> 「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」が、彼の好きな言葉です。
これは覚えやすい言葉ですね。
[No.281]
Re: 「よく生きよく笑いよき死と出会う」
投稿者:
投稿日:2011/11/28(Mon) 09:05
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男爵さん、みなさん こんにちは
> あとでいいから
> 気のついたことや思い出したことなど
> 書いていただけたら幸いです。
デーケン先生は、死生学という言葉を言いだされた方、そして、有名な方ですし、全国で講演していらっしゃいますから、今更、私ごときが下手に書くことはないと思ってます。
日本では定年後、あるいは老後を第二の人生と言っているが、違う。
教育を受けて自立するまでが第一の人生、社会人として働いている間が第二の人生であって、そのあとは第三の人生である。第三の人生はボランティア精神で生きようと勧めておられます。
また、誰にも100%やってくる死、それは自分にも、身近な人にもやってくる。その死にどう向き合うか、と言うようなことを書いておられます。
そして、これらにはユーモアが必要である。
「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ」が、彼の好きな言葉です。
[No.280]
啄木の骨
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/28(Mon) 07:50
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小野寺修郎:啄木の骨
気仙沼出身北海道新聞記者の後、函館新聞社編集長だった著者が、生前岡田健蔵生から啄木の遺骨引取りの件を聞きまとめた原稿が死後11年に出版。
函館図書館の仕事に奔走していた岡田は、東京に図書館視察に行くことが新聞に載り、宮崎から啄木の遺骨を東京から函館に引き取る仕事を頼まれる。
節子の病状がよくないことを聞き、岡田は宮崎に案内され病院の節子を見舞う。節子からも、東京に行ったら。土岐善麿にくれぐれもよろしくと伝えてほしい、啄木と義母の遺骨は浅草等光院に、息子真一のは了源寺にあり、了源寺は本郷喜之床の菩提寺だから喜之床を訪ねよろしく伝えてほしい、了源寺は等光院の近くだ等などを聞く。
はたして等光院の住職に断られ、困った岡田は読売新聞社に土岐善麿を訪ね、節子の様子やことづけを伝えた結果、土岐の説得で住職も遺骨を返してくれた。そのとき同郷の帝大法学部学生杉村巴雄にもきてもらい、彼から無縁仏は所有は寺にあるが、遺族がいたら遺骨は遺族側にあるという民法を教えてもらう。岡田と杉村が掘り、念のため住職から「遺骨引渡証」を書いてもらい大事に函館まで運んだ。
啄木の妹光子は「兄啄木の思い出」に書く。
「私は宮崎さんにお会いしたとき、ふき子さんと二人をまえにして、はっきりとこの墓地の移転に対する不満を申した。当時私はまだ石川光子であったし父一禎はまだ石川家の戸主だったのだ。私が『節子さんも函館に行くなと遺言した兄の意志に反して、どうして兄の遺骨までここに移したのです』というと宮崎さんは『あんなに立待岬が好きだったから...』ということであった」
この著者は
啄木死後、光子が知己のミス・サンダアから房州北条のコルバン夫妻を紹介してもらって節子を世話したのも、彼女を宮崎のいる函館にはどんなことをしても帰したくなかった一念からではなかったかと思う。
光子にすれば、宮崎は兄啄木を通じてではあるが初めて自分に求婚してくれた男性である。啄木に似て気位ばかり高かった光子は自ら進んで宮崎の胸に飛び込んでいく素直さも勇気もなく、青春の悔を抱えて懊悩の長い年月を独り苦しみ続けたのであろうが、宮崎への恋慕が次第に節子への憎悪に変形し、節子亡き後捌け口のないまま鬱積した怨念が立待岬に眠る兄の遺骨に向けられたのではないか。
光子をもてあましていた啄木から母の死後「以後、俺達一家のことに口出しするな」と言われた光子
−−−−−−−−−
啄木の妹光子は函館に啄木の墓をつくることに大反対した。
それは、たてまえとしては出身の渋民につくるべきだということだが
本音は節子や宮崎たちの手もとにおくことが嫌だったからだろう。
自分に求婚してくれた宮崎だったが、啄木の意志でこの縁談が
実現されなかったことに対する怒りが、啄木ではなく宮崎と節子に方向を変えて向けられたのであった。
啄木の墓を岩手にと思ってあちこち相談した節子は、啄木が渋民に嫌われ
父の出身地の西根でも受け入れられなかったから諦めて
宮崎の提案にしたがって函館に啄木の墓をつくることに納得したのだ。
貧しかった啄木に同情して土岐善麿は兄が住職をつとめる寺に
啄木の遺骨をおさめたのだが
いよいよ函館に啄木の墓を作り、遺骨も函館にもってくることになって
土岐善麿の兄は怒ったから、関係者は土岐善麿にかけあって
ようやく遺骨をひきとることができたというわけであった。
しかし、啄木愛好家の中には、啄木の遺骨は函館にはなくて東京にあると思いこんでいる人もいるようだ。
近藤勇や土方歳三の墓も全国各地にある。
[No.279]
Re: 雪は天からの手紙
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/27(Sun) 20:49
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石川県の田舎育ちの中谷宇吉郎は
高校の入学試験に落第した。
浪人生活をおくっている。
東京の予備校に通って
受験勉強の必要性と
田舎で勉強することの不利なことを知ったという。
東京では受験技術を教えてもらえるのに田舎ではそうでないから。
のちに東大に入って
寺田寅彦の助手となったとき
入学試験に落第したことを話すと
寺田寅彦も落第したと言われる。
そして
落第は人生に考えることをもたらすから
人間を成長させるので
落第したことはよいことだったと
恩師から言われるのだった。
[No.278]
手紙の書き方の本
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/27(Sun) 20:04
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英文手紙の書き方
とか
ドイツ語手紙の書き方
などの本を読んで手紙を書いたものですが
やっぱり本は本であって
生身の人間の書く手紙の方が真実感があります。
相手から届く手紙を見ながら
表現をまねるのがいいのですが
それにはある程度手紙を書き慣れないと
相手との文通も続きません。
17世紀のオランダの手紙の解説文を読んでいたら
当時も手紙の書き方みたいな本があったらしい。
恋人に送る手紙
私は尊敬するあなたと生涯一緒に暮らしたいのです。
あなたのためにできる限りのことをいたします。
あるいは良い返事が書けない場合
あなたの気持ちはとてもうれしいのですが
あなたの期待にこたえることは私にはできないのです。
でも、あなたの私に対する気持ちは感謝しております。
[No.277]
Re: アンデルセン
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/27(Sun) 19:53
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唐辛子 紋次郎さん、みなさん、こんばんは。
> したがって、女にぜんぜん持てず、生涯の伴侶ももてな かった。顔もよくなかったし、性格も男性的魅力に欠けるところが、あったらしい。
美貌ではなかったようですが
晩年はデンマークの国民的存在でしたから
女性に全然相手にされなかったとは思いません。
交際していた女性はいたようです。
たまたま縁がなく結婚までいたらなかったのだと考えています。
> アンデルセンはイタリア旅行では、よくスケッチをしたらしく、トリトンの噴水を始め、ヴィッラ・ボルゲーゼ、ソルレントやヴェズーヴィオ山など、みなさんにお馴染みの名所の挿絵がいろいろ入っている大畑訳「即興詩人」は、鴎外のと別様の意味で、楽しい読み物になっているように、あっしには思われる。
アンデルセンの「即興詩人」が、人々にイタリアの関心をひきおこしたと思います。
北の国の人は南の国を憧れるのでしょう。
[No.276]
八墓村
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/27(Sun) 19:45
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横溝正史の金田一探偵者では
いちばん好きな作品。
殺人事件が何度も続くのだが
これは最後がハッピーエンドになる。
主人公は美青年。
作者はそれについて具体的なことはひとつも書かないが
姉と恋人は命がけで主人公を守る。
女二人がそれほど助けたくなる美青年だった。
落盤事故で閉ざされた鍾乳洞の中で
主人公と恋人は死を待つのだが
この小説の中でほとんど出てこない金田一探偵が
最後に活躍して
主人公たちを助け
推理で謎を解く。
真犯人を明らかにする。
[No.275]
Re: 「グリム童話集」もなつかしい
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/27(Sun) 19:39
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画像サイズ: 563×933 (67kB)唐辛子 紋次郎さん、みなさん、こんばんは。
> > こちらの美術館でも数年前に
> > グリム童話展がありました。
>
> こちらというと、岩手県ですか?
萬鉄五郎記念美術館でした。
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/yorozu/
萬鉄五郎というのは岩手の生んだユニークな画家です。
> > 富山県の高岡になぜか
> > このモニュメントがあったのです。
私はまだブレーメンに行ったことがありません。
写真は知人にもらったものでした。
高岡の写真は自分で写しました。
実はまだメロウ倶楽部加入前でして
いまいちさんと知り合いになるのは
その後です。
[No.274]
Re: 「グリム童話集」もなつかしい
投稿者:
投稿日:2011/11/27(Sun) 19:08
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男爵さん、みなさん、こんばんは。
> > あす開幕と云うのが、じつは2005年の夏の話で、会場は池袋の西武デパート。これはその記事を掲載した毎日新聞(と西武百貨店)の主催らしく、それで二分の一ページも使っている訳も納得できる。
> こちらの美術館でも数年前に
> グリム童話展がありました。
こちらというと、岩手県ですか?
> >......目次を見るうち「白雪姫」や「赤ずきん」などがまず、目に付いたが、あっしがむかし、面白がったのは「ブレーメンの音楽師」で、もちろんこれも入っていた。
> 富山県の高岡になぜか
> このモニュメントがあったのです。
高岡はブレーメンの姉妹・友好都市ではないようですが、中国の遼陽県やイギリスのベバリー町などとともに、『交流都市』となっているようです。
> これは元祖のものです。
> 実物は期待したほど大きくはなく、あんがい小さいみたいです。
あっしもワールドガイド、ドイツ篇を持っていますが、この表紙がブレーメンのベトヒャー通りなのです。この通りにはグロッケンシュピールが、あるんですってね。
男爵さんも、聴かれましたか?
それから、ブレーメンの辺りは、メルヒェン街道っていうそうですね。
[No.273]
Re: 「グリム童話集」もなつかしい
投稿者:男爵
投稿日:2011/11/27(Sun) 18:41
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