私が読んだ本 
(期間:2011.11.1 - 2011.12.31)

 子どもの時から今に至るまで、たくさんの本を読んできました。
 そこで、みなさんが読まれた本を紹介してください。
 元気の出る本でもいいし、楽しい本でもいいし
 役に立つ本でもいいです。
 電子図書のことでもいいです。


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  • [No.187] 温泉に行こう! 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/22(Tue) 16:25
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    永六輔:温泉に行こう!KKベストセラーズ地 

    温泉で地域おこし

    観光客は減っているが、地元の高齢者は増える。
    そこで有志がケアタウン浅間温泉というNPOを結成した。
    高齢者をただ預かるだけではない。
    リハビリや温泉の力で、体力や気力を保つ。
    介護に明け暮れる家族も温泉で疲れをいやしてほしい。

    浅間温泉全体を介護といやしの町につくりかえていく。

    それはいいのだが
    この本の中で永六輔が三波春夫に注文したことが気になった。

    永六輔は三波に何十年もやってほしいと言い続けたが、とうとうやってもらえなかったことがある。
    それは「ちゃんちきおけさ」というあの歌を
    三波春夫がきれいな着物を着て、一生懸命歌って大ヒットしたが
    それを聞いた一般のおじさんたちは、ガード下の飲み屋で、歌詞の通りに
    小皿をたたいて歌っていたのだ。

    そういう光景を見ていた永六輔は、三波に
    「ちゃんちきおけさ」を、三波自身が小皿をたたいて歌ってほしいと頼んだ。
    しかし、三波は「とんでもない」と言ってとりあわなかった。

    「永さん、歌というのは、そういうものではありません。私がきれいな着物を着て、みなさんに夢を見てもらいながら、きちんとオーケストラーで歌う...
    そういうのが、私のちゃんちきおけさです」

    それはそれで、いいんです。
    ただ、別なところで、「ちゃんちきおけさ」を小皿たたいて、ひとりで寂しそうに歌ってる三波さんが聞きたいんだ、と永六輔が言ったら
    「私はニッコリ笑って歌います」「私は寂しくなんかございませんから」と切りかえされたという。

    永六輔は本の中で続ける。三波春夫の着ている派手な着物は趣味が悪い。
    男には、もっとすっきりした粋な着物があるんだから。
    たとえ話をすると、日光東照宮みたいなのも日本である。
    あのゴテゴテして、キンキラキンの建物を造ったのも日本の職人。
    かたや、桂離宮のように研ぎ澄まされた感性というか、無駄なものをいっさい省いたそういう建物も日本の職人技。
    どっちも日本だけど、好き嫌いってあるじゃないですか。

    だからたぶん、日光東照宮の好きな人は、三波春夫が好きなんでしょう。あのコテコテしているのが好きなんですね。
    で、ぼくは桂離宮派です。木綿の藍染めでけっこうです。
    ぼくが着ているこの服も、なにげない藍染めの刺子半纏ですけれど、パリのオペラ座にオペラを見に行っても、あちらの女の人が集まってくるんですよ。「ちょっとさわっていいですか」なんて言って。

    桂離宮の好きな永六輔は
    三波に日光東照宮もいいが、たまに桂離宮にかえてみろと言う。
    それは、三波がせっかくつくりあげてきたイメージを壊すことになる。
    無責任な永六輔の発言は、それでは反対に
    桂離宮の永六輔をたまにゴテゴテの日光東照宮にかえてみろと言われたらどうするのだろう。

    あの淡谷のり子が化粧姿で舞台に上がって歌うのは
    お客に夢を与えるからだといって
    憲兵から注意されても化粧はやめなかったという。

    芸人の誇りと意志を、簡単に考えている永六輔のワガママ。
    彼もやはりエゴイストだった一面を発見した。


    [No.186] Re: ジョークブックの笑撃度 投稿者:   投稿日:2011/11/22(Tue) 13:05
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    紋次郎さん  男爵さん、みなさん、こんにちは

    >  題して「ビールとハエ」のお粗末。では、日本人はどうなのか。

    日本のビジネスマンなら、東京本社へメールで指示を仰ぎ本社での重役会議の
    決裁結果を待ちます。


    [No.185] Re: 「柳多留名句選」 投稿者:   投稿日:2011/11/22(Tue) 12:27
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      男爵さん、みなさん、こんにちは、

    > > 形見分已後は音信不通なり
    >
    > 泣く泣くも いいほうをとる形見分け
    > というのもありましたね。

      あっしのしるしをつけたのに、

     泣きながら眼(マナコ)を配る形見分 

    というのが、ありやした。

     雷を真似て腹がけやっとさせ

     裸の子おもしろがって逃げる也

     寝ていても団扇の動く親心

     物さしで昼寝の蠅を追ってやり


     などは、なにかほのぼのとしたものを感じますが、

     継母と見へて泣子にいつも勝ち
     父さんが見ている内はかわゆがり
     父さんが留守だとぶちなさると泣

     など読むと、このごろの若い夫婦の「しつけ」が思い出されます。


    [No.184] Re: ジョークブックの笑撃度 投稿者:   投稿日:2011/11/22(Tue) 11:43
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      男爵さん、みなさん、

    > >   世界中が一遍に『イタリア人』になってしまう可能性も。(-_-;)
    >
    > もったいないから、イタリア式もいいかもしれませんね。
    >
    > 昔、南ドイツの町で、カフェの外のテーブルに座って
    > みんなとビールを飲んでいたら、甘いビールのせいか
    > ハチが飛んできてビールの中で溺れました。
    >  そのビールを気にしないで飲んでいましたね。

     ビールにハチですか、ハチじゃあジョークにはなりにくいかも。しかし、自然のあるカフェですね、そこは。(@_@;)

     あっしもドイツでは2回以上、テラスでビールを飲んだことはありますが、そんな経験はマッタクありませんでした。

     気にしないといえば、向こうの人は雨が平気ですね。こっちが慌てて傘を広げても、相変わらず、濡れながらのんびり歩いています。

     背広が濡れても大丈夫なのかしら。特製の背広?

     ハエですが、オランダのトイレでは便器にハエの絵が小さく描いてある(焼いてある?)と云う記事を読んだので、オランダに着いたらトイレへ行くたびに調べたのですが、結局見つかりませんでした←折角男爵さんへのお土産にしようと思っていたのに。
    たしかにその写真を、この目で見たんですがねえ。


     


    [No.183] Re: 「柳多留名句選」 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/22(Tue) 11:32
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    唐辛子 紋次郎さん

    > 又文かそこらへ置けと光る君

    もらいすぎ
    バレンタイン・チョコをもらいすぎるモテモテ男みたい。

    > 形見分已後は音信不通なり

    泣く泣くも いいほうをとる形見分け
    というのもありましたね。

    > 江戸者の生まれそこない金をため

    宵越しの金は持たないのが(純正)江戸者


    [No.182] Re: 大塚女子アパートメント物語 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/22(Tue) 11:27
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    > 川口明子:
    > 大塚女子アパートメント物語
    > オールドミスの館にようこそ

    > 第四章 バイオリニストを育てた異国の住人 
    >  革命が連れてきたロシア人一家
    >  バイオリニストの揺籃となった部屋

    日本のヴァイオリン教育に功績のあった小野アンナ
    アンナは
    ペトログラードで日本人留学生・小野俊一(ロシア文学者・生物学者・昆虫学者・社会運動家)と出逢い、結婚それから革命下のロシアを離れ、東京にきた。
    長男の俊太郎を出産後、音楽の早期教育をほどこすが、俊太郎が虫垂炎で少年期に夭折したため、俊一との関係もうまくいかなくなり離婚した。

    その後も長らく「小野アンナ」名義で日本でヴァイオリン教師として教鞭を執り、戦後は武蔵野音楽大学で後進を指導するかたわら、請われて桐朋学園子どものための音楽教室にも務めた。1958年に、姉ワルワーラとともにソ連に渡り、グルジアのスフミ音楽院にてヴァイオリン科教授に就任した。
     小野俊一は離婚後もアンナを世話したが、1958年に亡くなったので、彼女はソ連に帰っていった。

    小野アンナは、音楽教室の主宰者としてだけでなく、早期英才教育の唱導者としても知られた。また、1961年の『ヴァイオリン音階教本』(音楽之友社刊)は、理論的・体系的なヴァイオリン教本の一つとして、日本のヴァイオリン学習者に愛用されている。

    日本人女性ヴァイオリニストの生みの親と呼ばれたように、戦前には諏訪根自子や巌本真理を、戦後は前橋汀子や潮田益子らを輩出した。
    さらには
    男性ヴァイオリニストの浦川宜也、石川希峰に加えて、商業音楽の作曲家三木鶏郎など幅広い逸材を世に送った。
    小野アンナ門下には、音楽大学の教授や指揮者として活躍する人物も多い。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A

    離婚したアンナを心配して
    小野俊一が彼女を大塚女子アパートメントに入れた。
    実はアンナの母親もすでに大塚女子アパートメントに入居していた。
    戦争が進むと外国人たちは長野や東北に強制移住させられ、アンナも軽井沢に疎開したが
    終戦後にまた大塚女子アパートメントに戻ってきた。


    [No.181] 「柳多留名句選」 投稿者:   投稿日:2011/11/22(Tue) 11:26
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     「私が読んだ」というとチョットおおげさになるが、あっしが眺めた本といえば許されるかも。というのは、マジメに読んだのでなく、暇つぶしにパラパラやって気に入ったのがあれば、鉛筆でしるしをつけたからである。

      それは「柳多留名句選」で、いまみるとこんなところにしるしをつけていた。

    あゝも似るものかと綱は悔しがり

    又文かそこらへ置けと光る君

    五右衛門は生煮への時一首よみ

    手のこんだ化物の出る紫宸殿

    神代にもだます工面は酒が入

    形見分已後は音信不通なり

    袋ごとやると泣きやむげびたがき

    江戸者の生まれそこない金をため

     わーお、いずれも甲乙つけがたい秀句ぞろいである。


    [No.180] Re: ジョークブックの笑撃度 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/22(Tue) 11:02
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    唐辛子 紋次郎 さん、みなさん、お早うでござる。

    >  「イタリア人は、ハエをどけてから、ビールを飲み、飲み終えたコップにハエを戻して、給仕を呼ぶ。そして、もう一杯タダでよこせという」

    なるほど、賢いかも......
    ふと
    日本人でも箱根の山の南のほうに住んでいる人の中には
    このイタリア人みたいな人がいるかもしれないと思いました。
      (失礼しました)

    >   世界中が一遍に『イタリア人』になってしまう可能性も。(-_-;)

    もったいないから、イタリア式もいいかもしれませんね。

    昔、南ドイツの町で、カフェの外のテーブルに座って
    みんなとビールを飲んでいたら、甘いビールのせいか
    ハチが飛んできてビールの中で溺れました。
     そのビールを気にしないで飲んでいましたね。


    [No.179] Re: ジョークブックの笑撃度 投稿者:   投稿日:2011/11/22(Tue) 10:46
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     男爵さん、みなさん、お早うでござる。

    ではお礼にもう一つ。えっ、要らない?そ、そんな冷たいこと仰らずに。(*^_^*)

     世界各地を歩き回っている会社重役が、パーティーで、友人たちに、いろいろな国の国民性をこう説明した。

     「ビールのコップの中にハエがはいっていたとする。アメリカ人は笑って、べつのコップを注文する。スペイン人はビール代を払って飲まずに立ち去る。フランス人も同じだけど、立ち去るまえにひとしきり文句をつける。ドイツ人はていねいにハエをとり除いてから、ビールを飲む。中国人はハエを食べてから、ビールを飲む」「イタリア人はどうだ」と、みんながたずねた。

     「イタリア人は、ハエをどけてから、ビールを飲み、飲み終えたコップにハエを戻して、給仕を呼ぶ。そして、もう一杯タダでよこせという」

     題して「ビールとハエ」のお粗末。では、日本人はどうなのか。それから、今のスペイン人なら、イタリア人と同じようにふるまうような気がする。フランス人もそろそろ危ないような気がする。ということは、

      世界中が一遍に『イタリア人』になってしまう可能性も。(-_-;)


    [No.178] 絵のない絵本 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/22(Tue) 08:15
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    アンデルセンの童話

    ぼくは貧しい若者。
    お月さまが自分の見てきた光景をぼくに話してくれるから
    それをまとめた。

    なにしろお月さまは世界中で見られるものだから
    当然お月さまは世界の景色を眺められるのである。

    ガンジス川のインドの娘、パリのルーブル宮殿、スウェーデンのウプサラ
    グリーンランドのオーロラ、ポンペイの廃墟、ドイツの編集長の部屋
    リューネブルクの荒野、イタリアの劇場のプルチネラ、ローマの宮殿の女の子
    北アフリカの隊商、チロル地方の女子修道院
    昔のコペンハーゲンのみすぼらしい部屋のつむぎ車、フランクフルトのユダヤ人街
    シナの町の若者や娘、スウェーデンの古いブレタの修道院
    そして特に国名や地名がない諸々の町や村の光景はたぶんデンマークのものだろう。

    この「絵のない絵本」が最初に出たのは1839年、そのときは二十夜までだった。
    それから三十三夜まで追加して1854年に出た。

    阿片戦争(1839年-1842年)のことを考えると
    第二十七夜のシナの話はアヘン戦争後の香港が舞台だったのだろうか。
    あるいはずっと前からポルトガル宣教師たちが住んでいたマカオのことだろうか。
    注意して読み直すと、少年は異国人たちの故郷のイギリスに行ってみたいと書かれてあるから
    香港だということがわかる。


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