人間の記録37 加太こうじ 日本図書センター
とてもおもしろい本。 父が病気で貧しい。弟と妹がいて一家五人を高等小学校を出た 加太こうじがみんなを養わねばならない。
84人受けてわずか2人しか受からなかった逓信省の給仕になったが、日給55銭で 月に16円50銭にしかならない。
彼は逓信省に採用されるまでにアルバイト的に紙芝居の絵を描く仕事をしていたが それは月に45円から50円くらい稼いでいた。(子どものときから絵がうまかった) 母の兄の紹介で逓信省に職が決まったが、母も紙芝居の絵で稼ぐほうがいいと認めた。
紙芝居屋は最初はテキヤの盃をもらって神社や縁日のテキヤの縄張りで仕事をしていたが 縄張りの外でも仕事をしたくなりテキヤの親分に盃を返して、縄張りのない往来で仕事をするようになった。 そういう紙芝居屋の歴史も、紙芝居屋の雇い主から聞く。当時の紙芝居屋はテキヤの仁義がきれた。
加太こうじの本名は「加太一松(かぶと かずまつ)」なのだが、それでは呼びにくいから「かたこうじ」に変えたほうがよいと言われて{加太こうじ}と名前を変える。
彼は研究熱心なので映画の時代劇や江戸川乱歩の探偵小説を参考にして ストーリーを考え意外性ももたせたりするから、収入がどんどん増えていった。
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