[No.522]
Re: 加太こうじ
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/12(Mon) 09:21
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この本では
すべて実名で書かれてある。
それを本人に断ってあると、 加太こうじは書いているが
もちろん悪口など書いていない。
とうぜん、水木しげるも出てくる。 水木しげるの紙芝居時代があったのは加太こうじとの接触があったから。
戦争中の暗いときでも
加太こうじたちは男女わけへだてなくつきあっていた。
どうやら指導者の小学校時代の先生翠川淳(みどりかわじゅん)がすばらしいかったようだ。
この先生を中心に同級生たちが集まってきて交流はずっと続いた。
マルクスや社会運動も知っていたが、加太こうじは冷静に距離感を保っていた。
なにしろ彼は一家五人の生活を支えなくてはならなかったから。
警察や特高に踏み込まれたときのことも考えて日記や本も処分し、想定質問対策まで考えていたという。(マルクスはロシア人だと答える用意をしていた)
加太こうじの幼なじみの同級生で仲良くしていた鶴巻秀子は同級生の体が弱い裕福な日下忠治と結婚したが、結核の夫と死別した。その後再婚して会津の柳津に行った。
その後、加太こうじはモデルの高橋鈴江と親しくしていたが、彼女は別れた彫刻家井手則雄が忘れられず、加太こうじは彼女との結婚に踏み切れなかった。
結局、加太こうじは大工の娘の榎本よし子と結婚した。