[No.571]
F.サッケッティ「ルネッサンス巷談集」
投稿者:
投稿日:2011/12/14(Wed) 17:51
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その第49話というのは、ブッファルマッコという仇名を持つ画家、ボナミコの話で、あるとき領主でもある司教から礼拝堂に絵を描くよう命じられた。
かれは足場を組んで、仕事にうちこみ、絵はほぼ完成に近かった。ところが、この仕事を熱心に見ていた司教の飼い猿が画家が帰るや否や、制作意欲をもやし、折角の絵をすべて塗りつぶしてしまった。
司教もこれが自分の飼っているサルの仕業だとわかり、護衛の兵士をつけてくれるが、やはり、こんども傑作を台無しにされた。司教は画家にあらたな仕事を命じ、こんどは制作現場を、錠と鍵付きの頑丈な板で囲った。
しかし、この画家のしたことは、今までの従順な制作態度とはおおきく違った。注文主の意思に逆らった独自の絵を描いたうえ、さっさと国へ帰ってしまった。
司教は激怒し、追放の宣言までしたが、画家の意思は意外と固く、けっきょくしまいには司教の方が折れた。
当時の司教の圧倒的な権力に歯向かった、一画家の姿が眼前に髣髴する。
第67話は、ゴンネルラというインチキ野郎が、犬の糞を霊験あらたかな予言薬といつわり、忽ちのうちに大儲けをする話。
第50話は、街角で当時はやったらしい、判じ絵遊びでもめている現場を通りかかったさえない男、いわばピーターフォークの様なうらぶれ男が、金持ちの旦那を遣り込める話。
と書けばああそうかと、片付けられそうだが、実際に読んで頂けば、そこは大作家の筆、わははわははと笑っている内に、いつの間にか読み切ってしまうはず。
このブッファルマッコことボナミコは、知恵者で、この話だけでなく、ほうぼうで大活躍する。あるときは、貪欲な親方に、朝暗い内から働かせられるのを嫌い、オバケ戦術で、また、となりの神さんが回す紡ぎ車の騒音に悩まされ、眠れないことに腹を立てた揚句、、妙手を使って、これをキレイさっぱり止めさせる話なぞ、いずれもその悪知恵の見事さに唸らせられる。
この本には、こうした無名の市民だけでなく、聖フランシスの生涯を描いて世界中に有名な、ジョットまででてくる。それをかいつまんで話すと、
ある日、かれが仲間と散歩中、後ろから疾走して来たブタが、ジョットのまたぐらを潜り抜けたからたまらない。
不用心のジョットは、ものの見事にスッテンドウと地面にひっくり返った。助けられ、泥を払いながら、おもむろに起き上った時のかれのセリフがいい。
僕はこれまで、大将の毛を使って、絵を描き、うんとこさ儲けさせて貰ったけど、一度だって、ヤツにスープを奢ってやったことがないんだかんね。ま、しょうがないよ。
またある寺院の、聖母と夫のジョセフを描いた絵の前では、仲間に、なぜヨゼフはこうも、憂鬱そうな顔をしてるのかと聞かれて、
そりゃあそうだよ。嫁さんの腹が、あんなに膨れているのをまえにして、その原因が、いくら考えても、自分には思い当たる節がないというんだからね、と答えたそうな。
ここから、かれは絵だけではなく、人生の師としても世人の尊敬を集めたとか。(つづく)