[No.437]
歴史の読み方人間の読み方
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/05(Mon) 05:20
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歴史の読み方人間の読み方
谷沢永一 司馬遼太郎 会田雄次 渡部昇一
日露戦争の時、いわゆる満州はロシア領になりつつあって、そのことは非常に内藤湖南にとって痛みだったということである。
日露戦争というのは、両軍にとって戦場が限定されていた。戦場は清朝からの借り物であったから、はみ出ることはできなかった。
たとえば秋山好古が騎兵隊を出そうとした時、敵に見つからないようにするにはうんと迂回しなければならない。
そうすると、借りていない地域を通過することになり、非常にアンフェアなのでつらかったという。そういうリングのある非常に不思議な戦争だったが、結果としてロシアを押し返した。
もし、あのままロシアに居座られていたら満州、すなわち今日の中国東北地方はどうなっていたか。満州は清朝の故郷であることは確かだが、ロシア人にとっては沿海州と似たような無主の地だという意識があった。
というのは、清朝は中国内陸部にとっては異民族で、おまけに人口は六十万ぐらいしかいないわけだから。そういう、有主ではあるけれども国際法的にちょっと希薄だという地域だったから、ロシアが入り込んでいたと思われる。
私は(司馬遼太郎)、日本の近代、とくに昭和を考えるとき、日本人が悪くなったのはいつ頃からだろうかというと、日露戦争に勝った瞬間からだ、この時からばかが浮かれはじめたように、敵であったはずの帝政ロシアの侵略主義をひどくハイレベルな近代思想だと錯覚し、それを継承してしまった感じがする。
(谷沢永一)そうだと思う。問題は、ポーツマス条約が済んだ瞬間、私はこの歴史的な一瞬だと思う。この時、日本の政府に「実は...」という種明かし、すなわち本当の日露戦争の内幕を国民に発表するという勇気がもしあったら、これは大きかったであろう。
(司馬)大きかった。本当にあなたの言うように、当時のジャーナリズムにも自主性があって、日露戦争が終わったとたんに、陸海軍および政府も協力して日露戦争の本当はこうだったということを種明かしすれば、非常に健康な国になったと思う。リアリズムがそこで成立していたはずである。