みなさん、こんんにちは。
戦後のある期間、電力不足による停電は日課のようなものでしたね。
突然停電する事もありましたが、その様な不意打ちを喰らわさないよう に前もって通報があり、準備をして待っ事も多かったお思います。 今から思えばその期間は1年以内で短かったです。
当時ロウソクは入手不能の状態でしたから、夕食は早いに済ませました。
幸い、当時住んでいた田舎には、大阪から軍需工場が疎開して、移転作 業中でもあったので、あちこちの山間部に大型の変圧器が置かれていまし た。
変圧器の一番下に小さなコックが付いていて、それを捻ると冷却油が出 るので、一升瓶を持って山間部の施設へ行きました。
単純に言うと倒産会社への「白昼泥棒」です。 他にもフローリングのラワン材なども毎日少しづつ担いで運び、竈の焚 き付け使いました。
近くの叔母さんなんか夕方に大八車を引いて行っていましたから、子供 の仕事とは桁が違いました。
本来、変圧器の冷却油は燃料用では無いのですが、灯油に近いらしく、 靴墨の空瓶の蓋に穴を開け、灯心代わりの布をねじ込むと灯油ランプにな りました。
炎の先端は薄黒い煤になって、天井近くの棚に置くと天井が真っ黒にな るので、缶詰の空き缶を切って蔽いもつけました。
元々田舎では家の中に竈が据え付けてあり、それで煮炊きの全てを賄っ ていましたから、何の抵抗もなく、これでも充分安心して夕べの団欒時間 を過ごせました。(^-^)
***** Pan *****
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