[掲示板へもどる]
一括表示

[No.482] 牡蠣礼讃 投稿者:男爵  投稿日:2013/02/17(Sun) 20:49
[関連記事


畠山 重篤 (著)  牡蠣礼讃 (文春新書)

http://www.amazon.co.jp/%E7%89%A1%E8%A0%A3%E7%A4%BC%E8%AE%83-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%95%A0%E5%B1%B1-%E9%87%8D%E7%AF%A4/dp/4166605429

著者は気仙沼の牡蠣養殖業を営む人。

漁業において上流山間部の森林が果たす役割の大きさに着目し
気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山の植樹運動を続ける。
その活動を通じて「森は海の恋人運動」は有名となり、小中学校の教科書にも掲載されている。

牡蠣は雌雄同体である。
春先、生殖小胞内に精子を形成してオスの性質を示す。
精子の集団をスパームボールと呼ぶ。

次に生殖小胞内に卵の形成が始まり、夏前までに卵を150ミクロンほどに成長させ
鰓の間に並べておく。
その頃、蓄えておいたスパームボールを対外に放出するのだ。

呼吸のため大量の海水を体内に吸い込んでいる近くの牡蠣同士が、このスパームボールから出てくる精子を取り込み卵に接触させて受精させる。

約10日間受精卵を保育すると200ミクロンに成長しヴェリジャー幼生として体外に放出される。一固体当たり約二百万個の産卵という。

抱卵から産卵までの時期が、五月から八月までであり、この時期には牡蠣は食べられない。

ところが、五月になっても食べられる牡蠣がある。それがイワガキだ。

マガキの場合は、軟体部の広範囲に生殖細胞が形成されドロドロになるのに対して
イワガキでは、この時期になっても軟体部は部分的にしか生殖細胞化せず、しかも
抱卵、放精は少量ずつ回数ほ分けてなされる。そして、抱卵放精後の回復が、マガキに比べて早い。

そういうわけで、イワガキは夏でも食べられる。

なお
気仙沼湾にも少しだけイワガキは存在する。


[No.486] Re: 牡蠣礼讃 投稿者:男爵  投稿日:2013/02/18(Mon) 07:28
[関連記事

>
> 畠山 重篤 (著)  牡蠣礼讃 (文春新書)

> 著者は気仙沼の牡蠣養殖業を営む人。


> 抱卵から産卵までの時期が、五月から八月までであり、この時期には牡蠣は食べられない。

> ところが、五月になっても食べられる牡蠣がある。それがイワガキだ。

> マガキの場合は、軟体部の広範囲に生殖細胞が形成されドロドロになるのに対して
> イワガキでは、この時期になっても軟体部は部分的にしか生殖細胞化せず、しかも
> 抱卵、放精は少量ずつ回数ほ分けてなされる。そして、抱卵放精後の回復が、マガキに比べて早い。

> 気仙沼湾にも少しだけイワガキは存在する。

マガキとイワガキの棲み分け。
イワガキはマガキより深いところに棲んでいる。

マガキ(卵)Xイワガキ(精子)
この組み合わせは全く受精しない。

イワガキ(卵)Xマガキ(精子)
この組み合わせは100%受精する。
しかし、受精卵は成長することなく死滅してしまう。

芭蕉は奥の細道で
牡蠣を食べながら旅をしたのではないかと
著者は推定する。
  一部、内陸の平泉や山寺では、当時は牡蠣は食べられなかったはずだが。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/oku/okunohosomichi.html
 6月13日酒田  6月16日象潟(この本では)

著者の職場は、秋から冬へかけて、収穫期を迎えてその準備で忙しい。
半年間使わないでおいたカキ処理場の清掃から始まり、海水の殺菌装置、冷却機、殻の清浄機などの機械類を修理点検する必要がある。

養殖海域の海水検査も始まる。一般細菌や大腸菌群の数が基準以下でないと生食用牡蠣の水揚げができないから。

ほとんどの貝類の可食部は筋肉の部位である。ところが牡蠣は生で、腸ごと食べる。もし養殖海域が細菌類で汚染されると体内に取り込まれ、それを食べて食中毒が発生する危険がある。
 夏の貝の食中毒の時期でも、貝柱だけ食べていればあたらないと教えてくれた人がいます。

そこで牡蠣だけに適用される法令がつくられ、多くの規制がある。
たとえば、スーパー等の生鮮食品売場で牡蠣を買い求めようとすると、必ず、生食用、加熱調理用の表示がしてある。
同じ生で食べる魚には、そのような表示はされていないはずだ。
普通魚を刺身で食べられるかどうかは、鮮度で判断する。ところが牡蠣の生食用、加熱調理用は鮮度の判断ではない。

生産県によっても規制は多少違うが、基本的には養殖海域の細菌の数で、生食用、加熱用と分けられている。加熱用という表示でも鮮度が悪かったり味が落ちるわけではない。火を通す料理であれば加熱調理用で十分である。

昭和36(1961)年、著者が水産高校を卒業して、牡蠣養殖業に従事した頃は、東京築地市場での牡蠣の取扱いは全部加熱調理用のむき身だけであった。

戦後の混乱期を経て高度成長期といわれた時代は海が汚染され、牡蠣による食中毒が頻繁に起きていたらしい。
産地から消費地までの交通事情も悪く、消費されるまでの時間が今とは比べものにならないぐらいかかった。
市場では牡蠣は全部むき身で、加熱調理用としての流通しか許可されなかった。殻付の流通も禁止であった。

東京市場での生食用カキ販売は、昭和40年頃からである。それも、殻付きのみであった。
その条件は、紫外線殺菌装置で殺菌した海水をかけ流している水槽に、二十四時間牡蠣を浸しておくこと、養殖海域の細菌数が生食用海域の条件を満たしていること、細菌の検査証を添付する等であった。

広島や有明海、さらにはフランスのラングドック、アメリカのシアトル、中国の沙井、オーストラリアのタスマニアまで著者の調査は広がって記述されているが
厚岸の牡蠣についてはふれられていない。
著者の行動範囲は三陸までで、北海道やはり遠かったのだろうか。