[No.15477]
Re: 「智恵子抄」の世界
投稿者:男爵
投稿日:2010/07/13(Tue) 07:22
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KAME(亀井)さん、こんにちは
> 智恵子は病気になってから九十九里で療養しました。
> 光太郎は毎週お菓子を持って東京からかよったそうです。
> 九十九里には記念碑があります、千鳥と遊ぶ智恵子の詩が書いてあります。
> 子供たちが近寄るとお菓子がもらえたそうで、お菓子をもらった人は今老人クラブで活躍しています。
智恵子は
昭和9年5月から昭和9年12月に九十九里で病気療養していたとのこと。
それから智恵子は昭和10年に品川のゼームス坂病院に入院し
昭和13年に結核で亡くなります。
(戦災でアトリエが焼けたので、光太郎は花巻の宮沢家に疎開し、十和田湖畔裸婦像製作のため昭和27年帰京)
この九十九里には
東金からバスで行くようですね。
地図で見たら
竹久夢二の歌碑もあるようですね。
近くの成東は銚子に行く時に通りましたね。
銚子の海鹿島(あしかじま)に行って
「宵待草」の歌碑を見た時は、わからなくて一時間以上も探しました。