竹内貴久雄:唱歌・童謡 一〇〇の真実(百の真実 と書いたほうがわかりやすい?) ヤマハミュージックメディア(2009)
たぶん 色々な本を参考にしてまとめたのであろう。
しゃぼん玉 野口雨情の長女みどりが亡くなったのがきっかけで作られたという説がある。 もっとも、娘の死の十四年あとに書かれた詩なので、そんなに間があったろうかと思う人がいて 雨情は最初の妻と離婚し、再婚した妻の間に生まれた次女恒子も亡くなっているから、次女がモデルだという説が出てきた。 しかし、次女の死ぬ前にできた詩だから、これはおかしい。
どこかで春が 百田宗治が1923(大正12)年に発表した。 この本を読んで、ふとサトウハチローの「ちいさい秋みつけた」は、この詩が影響をあたえたのではないかと思った。 これは私のひらめきです。
間違いが多いのが気になる。 ・赤い靴 女の子は横浜の養護施設に預けられたまま三年後に結核でなくなる。→ 港区麻布十番の養護施設に預けられたまま三年後に結核でなくなる。 ・夏の思い出 戦争中に疎開していた尾瀬の印象をもとに作詞された。→作詞者が尾瀬に案内されミズバショウを見たのは事実だが、新潟県高田市(現上越市)生まれの彼女は父親が急逝したため母の実家の岩手県西根町平舘(現八幡平市)で過ごし、そのときのミズバショウのイメージをふくらませて詩を書いた。
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