「ドイツはひとつ」 G13シリーズ第91巻 1989年 6月 ブリュッセルで グールト外相は語る。 「フランス系ワロン民族とオランダ系フラマン民族の対立はひどくなっていく。 ベルギーという国の成立を考えればしかたのないものだが、 やがて自然に解消していくと思っていたのに、かえって激しくなっていくようだ。 ルーベン大学がいい例だ。大学ですら、民族的理由でしっくり運営されん。 結局、政府はルーベン大学をもう一つ造るはめになった。蔵書もピッタリ二等分した。 その作業に十一年も費やしたという。こんなばかげた話は、アラビアン・ナイトにもあるまい」 民族対立をおさえるためにEC統合をすすめるグールトは、西ドイツの右寄り実業者ベルマンの狙撃をG13に依頼したが、そのことをベルマンにも知らせる。 グールトはベルリンの壁が崩壊したのを見て、ドイツは統一されるだろう、しかし、ドイツはEC統合に熱心でなくなるだろう。それはECの将来によくないことだから、ドイツ統一の動きにブレーキをかけようとしたのである。 西ドイツ選出欧州議会議員リンデンバウムは、記者からの質問に答え、カール4世の長男として、ハンガリーからの要請でハンガリーのシンボルにならないかという誘いを否定する。 なぜなら、欧州議会議員として、欧州全域の利益と平和と安定に尽くすことが自分の職務と考えているから。 実は、このリンデンバウムもやはりG13にベルマンの狙撃を依頼したのだが、それは、ドイツ統一の進むのがECの将来に望ましくないと判断したから。 しかし、G13は同時に複数の依頼は受けないといって、リンデンバウムの要請を断る(リンデンバウムから依頼されなくても、別の依頼人グールトの依頼で仕事はする)。 ベルリンの壁ごしにベルマン暗殺に成功したG13は、裏切り者グルートを撃つ。 裏切り者は許さないのがG13の主義だから。 1990.8 発表作品
いま 「ベルリンの壁 崩れる」岩波新書124を読むと ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一という世界史的な動きの時に これを進めるのに決定的な役割を果たしたのが、ゴルバチョフとブッシュだった。 当然のことながら、政治バランスの崩れることを恐れるミッテランとサッチャーは内心大反対だったが、動きを止めることはできなかった。
ミッテランがドイツ統一に反対したのは、フランスの力が低下することもあったが、EC構想が進まなくなることを恐れたということが、この本にも書かれてある。 当然ながら、EC関係者もドイツ統一により、ドイツがECの推進力から離れていくことを恐れ警戒していたらしい。
その後の歴史を見ると 統一ドイツはそれまでのプログラムに従って、ECを発展させ EUの中心となって推進していったことがわかる。ミッテランの心配は杞憂だった。
なお、漫画のモデルは実在の人物がいた。念のために紹介しましょう。 オットー・フォン・ハプスブルク 父親 カール1世 母親 ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ 役職 欧州議会議員(ドイツ選出) オットー・フォン・ハプスブルク(Otto von Habsburg, 1912年11月20日 - )は、オーストリア=ハンガリー帝国(1918年に帝政廃止)の皇太子で、政治家。 最後の皇帝カール1世と皇后ツィタの長子で、オーストリア=ハンガリー帝国の正統後継者、ハンガリー(ウンガルン)王にしてオーストリア(エスターライヒ)大公、そしてボヘミア(ベーメン)王である。ドイツ、オーストリア、ハンガリー、クロアチアの市民権を持っている。 1989年、多数の東ドイツ市民がハンガリー・オーストリア国境を越えて西ドイツに亡命する汎ヨーロッパ・ピクニックが起こると、オットーは西側からこれを支援した。 1999年までドイツ選出の欧州議会議員(キリスト教社会同盟所属)を務めた。
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