[No.16019]
Re: 宮崎正勝:読んだら話したくなる世界史
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/02(Tue) 20:16
[関連記事] |
> 楽しく勉強できる世界史
大航海時代を切りひらいたのは実はアラブ系の漁船?
大航海時代は、地中海と大西洋、アフリカとヨーロッパの十字路に位置するポルトガルから始まった。
ポルトガル文化は、イスラム文化をたくみに取り入れた国際性をもっていた。
エンリケ航海王子の時代の王宮はイスラム建築そのものであり、ポルトガル固有の青タイルの装飾(アズレージョ)も、イスラムの細密画を施したタイルを下敷きにしている。
エンリケ航海王子は、西スーダンでの黄金貿易をめざしてアフリカ西岸の探検事業をはじめた。
しかし、この探検事業には一年を通じて北風が強いモロッコ南部を航海しなければならないという大問題があった。
つまり逆風をついて北に航海しなければ、ポルトガルに戻れなかったのである。
そこでエンリケ航海王子は、逆風でも前進できるイスラム系の三角帆に注目した。
それが、アラブ系漁民の漁船を改良した「カラベル船」だった。
カラベル船がなければ、大航海時代はなかったのである。
クロワッサンとウインナ・コーヒーの起源は同じ
1863年にオスマントルコ帝国の30万人の軍隊が3ヶ月ウィーンを包囲したが、結局遠征は失敗した。
この戦争の際に、早起きのパン屋が危機を救った。
トルコ軍が爆薬を仕掛けるための地下道を掘り進めているのを聞きつけて通報し、ことなきを得たのである。
その功績で、パン屋は戦後にトルコ軍旗のデザインされている三日月をしたパン(クロワッサン)を焼くことを特別に許された。
これは「トルコを食べてしまう」ということでクロワッサンはウィーンで大流行した。
クロワッサンは、後にマリー・アントワネットがルイ16世に嫁いだときパリに伝えられた。
この戦争の際に伝令となったトルコの言葉に詳しいコルシツキーは、勇敢にトルコ軍の兵士になりすまして敵陣を突破し、ポーランド援軍との間を数回往復して勝利に貢献した。
トルコ軍は、ポーランド軍が援軍に駆けつけると、あわただしく逃げ去った。
あとには食用の牛1万頭、穀物10万ブッシェル、そして大量のコーヒー豆が残された。
コーヒーはもともとイスラム世界の飲み物だったが、誰もコーヒー豆の利用法がわからず、ほしがる者はいなかった。
そこでトルコ文化に通じていたコルシツキーは「誰も使わないのなら、この袋に詰まったものを私にお与えください」と申し出て、コーヒー豆と邸宅を獲得した。
彼は邸宅をコーヒーハウスに改装して、濃いめのコーヒーの上にホイップクリームをのせる独特の飲みやすいコーヒーを「栄光のコーヒー」として売り出し、大評判を呼んだ。
「栄光のコーヒー」は伊達者の馬車の御者たちが愛好するようになり「アインシュペナー」(一頭立ての馬車の意味)と呼ばれるようになり、ウィンナ・コーヒーのはしりとなった。
ーーーーー
アルハンブラ宮殿のように
スペインやポルトガルはイスラム文化の影響を受け
拒絶反応も少なくなかったのだろうか。
風上に向かって帆船を航行させるのは
間切りというらしい。
これを物理学的に説明するのは、なかなかむずかしい。