> 野瀬泰申:眼で食べる日本人 > 食品サンプルの本です。
それまで食品模型とか飲食物見本といっていたものを 野瀬が英文パンフレットで解説したときから、食品サンプルなる言葉が登場したようである。
> ・記録による限り、日本で最初に「料理模型」を製作したのは京都の西尾惣次郎で、それは大正6年ころである。
西尾も博物館の人体模型つくりから始まったらしい。 島津製作所で博物館用の模型つくりの仕事をする。
> ・系統的な「飲食物見本」を陳列し今日のサンプルケースのもとになったのは対象12年にオープンした白木屋日本橋本店仮店舗食堂だった。 > ・そのときの「飲食物見本」の製作者は須藤勉である。 > ・当初のサンプルは植物や病理模型をつくる蝋細工の技術を基本としていた。
須藤もやはり(博物館展示の)模型つくりから始めた。
> ・「食品模型」の製作と同時に組織的販売を意図して実行したのは岩崎龍(さんずい)三である。
岩崎は見よう見まねで独自の工夫で食品サンプルをつくっていったが いきつくところは同じだった。 型は寒天でとり、その型に溶けたパラフィンを流し込んでつくることにおちついた。 ほかの模型製作者たちが固まった蝋に絵の具で色付けしたのに対して 岩崎は絵の具を混ぜてパラフィンを溶かし、それを固めたという。
> 料理模型、食品見本は最初は博物館の展示模型の技術を転用されたものだった > というのは興味深いことである。
医学には人体模型の制作という仕事があったから、この技術者のはたらく仕事があったのだろう。
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