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[No.16290] 宮脇俊三:終着駅 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/18(Sat) 06:11
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2009年の本
それまでに発表された数々の書き物をまとめたもの。
宮脇俊三は2003年に亡くなった。

旅情をさそうローカル線の要因
・沿線風景
   これはなかなか微妙で、風景絶佳であってはいけない。人家がありすぎてはいけないが、全然ないのも困る。景色は平凡、人家がぼつぼつ、といったところがよいようだ。
・乗客
   観光客など乗る線は絶対にいけない。車内が混雑していては駄目だが、乗客がまったくないのもいけない。かつぎ屋のおばさんなど土地の人がばらばら乗っている状態が最上である。
・列車
   新型の車両では不可。連結車両数が多くても客との連帯感は生まれない。幹線で使い古され、都落ちしてきたのが一両か二両でぽつんと走るのがよい。できればディーゼルカーよりも機関車に牽かれる客車列車がよい。速度も遅ければ遅いほどよい。
・駅
   木造の古い建物であることが望ましい。駅員はいるのもよいし、無人駅もまたよい。

上に紹介したのは、まったく地元の人のことなんか無視した、著者の勝手な要望だが
旅情というものは自然にわき上がってくるものである。
(上に上げた条件が守られていると赤字路線はまちがいなし)
旅行ガイドブックで有名になると、いろいろ演出などが出てきて不自然になってくる。
グルメ評論家などにとりあげられた店が、だんだん素朴な良さを失って堕落していくのと似ている。

これを読んで
国木田独歩「忘れえぬ人々」を思い出しました。


[No.16292] Re: 宮脇俊三:終着駅 投稿者:男爵  投稿日:2010/12/19(Sun) 10:01
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冬こそ旅の季節
 冬は旅行に不向きな季節とされている。
 寒い、日が短い、風景が荒涼としていて、新緑も紅葉もない、花もほとんど咲いてくれない、観光地のバスが運休になる。
 しかし、著者は冬の旅が好きだという。「日本が広くなる」からだという。多様になるとも表現している。
 著者は、旅を日常性から脱出し、異質な風土、人情・風俗に接することに意義があると考えている。(この著者の考えには全面的に賛成する)

 人情・風俗は日本どこへ行っても画一化されてきたのに対して、風土の方は地域による異質が存在する。
 とくに際だつのは冬である。
 気温を例に取ると、夏休みの旅行者で賑わう八月の平均気温は、旭川が20.4度、鹿児島は26.4度で、差は6.0度にすぎない。
 これに対して一月の平均気温となると、旭川は氷点下8.5度、鹿児島が7.0度で、その差は15.5度に達する。
 この数字で見るかぎり、冬の日本は夏の二倍半も「広く」のである。しかも、氷点を境にしているので、質の変化をともなうのである。
   著者のいうように、私も冬の北海道を旅行しよう。昨年の冬に乗った米坂線や飯山線や磐越西線の車窓の雪景色はすばらしかった。新潟県の直江津の雁木の続く町内の雪下ろし風景を見られたのもよかった。

夜汽車よ! ふたたび
 寝台車は大好きという著者は、いちばん好きなのは睡眠で、そのつぎが鉄道だから、(両方セットした)寝台車が大好きというのは当然ということになる。しかも、夜行列車のかもしだす独特の雰囲気には得も言われぬものがある。(この気持ちは理解できる)
 著者は寝台車にはよく乗った。東京、上野、札幌、新大阪に発着する寝台列車にはほとんど乗ったという。
 けれども、空の旅の普及や高速道路自動車の整備、さらには新幹線や在来線の昼間特急のスピードアップや増発によって、寝台列車の客はすっかり減ってしまった。
 夜は車窓の眺めはないものと思いがちだが、空と陸とは明暗に若干の差があって、山の稜線や突出した構造物はよくわかるし、街の街路灯が家並をおぼろに照らす。著者はこういう夜行列車の眺めに惹かれる。(私も夜行列車の車窓の眺めが楽しみで、夜行列車に乗れないときはなるべく夜行バスに乗って、雰囲気を楽しんでいます)
 静まりかえった深夜の駅の風情。虚しさの差がある。夜行列車とは不思議なもので、ガタガタ走っているときは眠り、停車すると目が覚め、カーテンの隙間から駅のホームを眺める。
 寝台列車の味わいは、一夜明ければ異なる風土を走っていることを発見するにある。ヨーロッパの国際列車に乗っていると、国情や風景がどんどん変わっていくのに驚かされるが、日本でもこの寝台車に乗ると景色が変わる様子が特に感じられるので、これも楽しみである。私は一月には、冬の旅、そして夜行列車を計画しています。

旅行会社の手玉に取られて、大金を出しながら味けのない旅行をする人たちにくらべて
著者の旅は自分で計画を立てるから失敗もするが、その失敗にも価値があると、著者はまけおしみのように誇っている。
どの宿にも断られて夜の町をさまようとき、「旅」が正体を現してくる。そんな状況を写真にとる人はいないだろう。だが、記念写真の対象にならない状況においてこそ、旅の価値は高まるのだと著者はいう。
自分という肉体が寄るべなき存在となること、それが旅というものだ。ようやく招じ入れられた宿のおかみや女中さんにお世辞を言ったりする。入院患者と看護婦の関係ほどではないが、入院と旅とが似てくるほど「旅」らしくなってくる。
この著者の入院を旅にたとえるのは、まさしく旅もここまで病のようにとりつかれた著者の姿を考えるなら一層おもしろい。
私の旅は、ここまで病が深いだろうか。