全国にある歌碑を巡ったり、音楽記念館や図書館などで原詩を調べたりして、エッセイ風にまとめた本。 おそらく自費出版であろう。 内容はとりたてて新しいものは少ない。 この種の本は他にもいろいろあり、それらを読んだ上で、さらに調べて書くといった様子があまり感じられないので、他ですでに明らかにされているものを改めてこの本で紹介しているものも少なくない。しかし、自分の目で見て、耳で聞いて確かめたことを書いているので、その点は評価されるだろう。
高野辰之記念館を訪れる。 熱心にメモをとり質問をする著者の態度に館長は感心したのか、特別に写真撮影を許可する。 長野師範学校卒業の高野辰之は上京して、東京帝国大学の上田萬年教授に師事する、 上田教授の推薦で、尋常小学校国語読本の編纂委員になり、文部省唱歌編纂委員となった。文部省唱歌編纂委員になったので「紅葉」「春がきた」「春の小川」「故郷」「お朧月夜」などを小学校唱歌に入れることができた。 記念館を出て、「紅葉」の歌碑は簡単に見つかったが、「故郷」の歌碑が見つからなくて苦労する著者。(私も行ったからわかるが、少し離れた場所に故郷歌碑はあった) 「故郷」は三拍子の曲である。ほかに三拍子の唱歌には「港」がある。
ヨナぬき音階とは ドレミファソラシドを明治のはじめに 一二三四五六七(ヒフミヨイムナ)と訳した。 日本音階はもともと五音階でできていた。 とくに田舎節というのは 西洋音階から四、七のヨナが欠けたものと同じなので この音階を用いて初期の唱歌が多数つくられた。
ピョンコ節は、 兎がはねているようなリズムなのでそう呼ばれる。 4分の2拍子または4分の4拍子の曲、付点8分音符と16分音符の組合せ 「宮さん宮さん」、「鹿児島おはら節」、「金比羅ふねふね」、「鉄道唱歌」
大正時代の演歌「スカラーソング」は 箱根八里のメロディーをとった貧乏学生(書生)の歌で 作詞は神長遼月 スカラーは学生のことをさす。
荒城の月 竹田市の岡城址、仙台の青葉城、会津若松市の鶴が城の三カ所の「荒城の月」の歌碑を見た著者は いろいろな表記があるが、つぎのような結論を出す。 二番の 秋陣営の霜の色(夜の霜 ではない) 三番の 垣に残るはただかづら(かつら ではない) ここでは、かづら(葛)であって、かつら「桂」ではない。 旧仮名遣い「かつら」は葛(かづら)のことだからややこしい。
サトウハチロー記念館に、ちいさい秋の櫨(はぜ)の木をさがしに行く。 北上のサトウハチロー記念館で館長の佐藤四郎から聞いた話は以下のとおり。 「ちいさい秋みつけた」の櫨の木は、北上に移転することにして、掘り起こしから運搬移転までの費用は北上市が負担すると北上市長に言われたのだが 植木屋から、北上の気候は東京より20度くらい温度が低いから、育たないだろうと言われて移転は断念した。 だから櫨の木は東京に残した。 しかし、専門家がその櫨の木の枝を一部取って、埼玉県の上尾の佐藤四郎のところで移し替えて、試験的に接ぎ木して、二年かけて育てた。その一部を北上にもってきてこちらで育ててみたら育つことがわかった。 櫨の木は北上の記念館の庭で育っている。 この本では、文京区のサトウハチロー記念館の跡地を買った人は漆に弱く(櫨は漆の一種)、そこで櫨の木も移転したかったが、何か記念に残したいという住民運動もあり、結局櫨の木はそのまま残っていると書かれてある。 (この本は2004年の本だが、私が確認したところ、サトウハチロー記念館の跡地には、櫨の木は地下鉄後楽園の駅前の公園に移転されたという案内板があり、行ってみると礫川公園に大きな木になっていました) 「ちいさい秋みつけた」のちいさい秋とは ボニージャックスのいう「大きな本格的な秋がやってくる前の秋のわずかな気配というところ」と考えられるが サトウハチローの小さい家のまわりの秋の情景のことである。 (二十坪もない)猫のひたいほどの庭に見つけた秋だから。
赤とんぼ 題名は漢字で「赤蜻蛉」なのに 一番の歌詞では 夕焼 小焼けの あかとんぼ 四番の歌詞では、夕やけ小やけの 赤とんぼ と、どうして同じ言葉なのに、漢字とかなの表記がちがうのだろうか。 著者の長い間の疑問は、三木露風全集第一巻の付録を見て解けていった。 「赤とんぼとまっているよ竿の先」というのは、三木露風が小学二年生の時つくった俳句であるが、先生に大変ほめられ、それから俳句や短歌や詩をつくるようになったという。 四番の歌詞は、小学二年生の俳句の表記と同じなのだろう。 一番から三番までの歌詞で、幼いとき姐(ねえ)やに背負われた思い出や、山の畑で桑の実をつんだり、その姐(ねえ)やが嫁いで嫁ぎ先からの便りも絶えてからもう久しいと述べて、要するに姐(ねえ)やとの楽しい思い出を語り、四番で夕焼けに染まった赤とんぼを見て懐かしい姐(ねえ)やを回想するという構成になっていることに気がつくわけです。 四番は小学二年生のときの先生にほめられた俳句を再現していると考えたらよい。
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