[No.16359]
上田萬年
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/01(Sat) 20:46
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> 長野師範学校卒業の高野辰之は上京して、東京帝国大学の上田萬年教授に師事する、
> 上田教授の推薦で、尋常小学校国語読本の編纂委員になり、文部省唱歌編纂委員となった。文部省唱歌編纂委員になったので「紅葉」「春がきた」「春の小川」「故郷」「お朧月夜」などを小学校唱歌に入れることができた。
こういうわけで
高野辰之が文部省唱歌編纂委員になったのは
上田萬年(うえだ かずとし)教授のおかげである。
上田萬年は日本の国語学、国語学者、言語学者。
東京帝国大学国語研究室の初代主任教授、東京帝国大学文科大学長や文学部長を務めた。
円地文子の父。教え子には新村出、橋本進吉らがいる。
すでに別のところでも書いたが
金田一京助がアイヌ語研究をするようになったのは
上田萬年のすすめがあったからである
そして
金田一京助のアイヌ語研究の成果を上田は高く評価した。
このように各方面に後輩の指導や指示を与えたのであったが
夏目漱石との間はあまりよくなかったようである。
漱石は留学前に、文部省上田萬年専門学務局長(東大教授と兼任していたのか)から、留学の目的は
英語の研究をすることで英文学を研究することではない、と説明を
受けたことにもこだわった。帰国してから3年後に書いた文学論
の序文を書いた時点でもまだこだわっていることは、序文を読めば
わかる。
(漱石の留学にあたっては上田萬年の配慮と指示があったようである)