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[No.16471] 梅津時比古:「セロ弾きのゴーシュ」の音楽論 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/29(Sat) 09:07
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オーケストラ団員のセロ弾きのゴーシュは下手で
練習の時も、指揮者からたびたび叱責される。
ゴーシュの演奏はみなから遅れたと叱られ
音程が合わないと叱られる。
しかし、「これはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした」と説明される。

弘法筆を選ばずではないが、やはり名人は楽器を選ぶ。
ヴァイオリン演奏家はストラデバリをありがたがるものである。

賢治が楽器の個体差に気づく直接的なきっかけとなったのは
大津三郎の下でレッスンを受けたことと
盟友、花巻高等女学校の音楽教師の藤原嘉藤治のセロと賢治のセロとを比較する体験をもったことが
考えられる。

花巻でセロを練習していた賢治は、上京して新交響楽団のチェリスト大津三郎に三日間だけ指導を受けた。
朝六時半から八時半までの早朝レッスンを三日間だけ受け、基礎を教えられたのだが
結局は賢治のセロは上達しなかったという。

賢治のセロは鈴木バイオリン製で定価百七十円だった。父からせしめたお金でこのセロを買った賢治は、父親には高額なセロを買ったことを話さなかったという。
いっぽう
藤原嘉藤治のセロは十五円で手に入れた中古品で、それには大きな穴が開いていたという。
盛岡の音楽会に藤原嘉藤治が花巻を代表して出ることになった際に
それではあんまりだと、賢治が自分のセロを貸してやり、代わりにその穴あきのセロが賢治の手元に置かれた。

穴あきセロを見てから
賢治は
セロ弾きのゴーシュの話の中で
野ねずみ親子が訪ねてきて、セロの音で子ねずみの血のまわりをよくするという治療を母ねずみから提案され
セロの穴から子ねずみがセロの中に潜り込む場面を考えたのではないかと推察される。

賢治は亡くなり、穴あきセロも賢治の遺品とともに花巻の空襲で焼失してしまう。
しかし、藤原嘉藤治が大事に使っていた高価なセロは藤原嘉藤治の死後に返され
それは宮沢賢治記念館に展示されてある。
  情けは人のためならず。


[No.16474] Re: 梅津時比古:「セロ弾きのゴーシュ」の音楽論 投稿者:   投稿日:2011/01/30(Sun) 08:13
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> オーケストラ団員のセロ弾きのゴーシュは下手で
> 練習の時も、指揮者からたびたび叱責される。
> ゴーシュの演奏はみなから遅れたと叱られ
> 音程が合わないと叱られる。
> しかし、「これはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした」と説明される。

「あの人はテクニックはあるけれども音楽がない」
「日本の音楽教育はテクニック偏重で音楽を追放してしまった」
わかりやすく言えば、正確に弾いていたとしても感動が少ない、そういう音楽が日本人の演奏だということだろう。
  この本では、珍しい音楽性の表現に成功した三人の日本人女流ピアノ演奏家を紹介し、彼女らはいずれも、ナチスから事実上日本に亡命してきたベルリン音楽大学のピアノ科主任教授のレオニード・クロイツァーの弟子であったことを述べている。

ゴーシュの場合は演奏が正確でないのがとがめられるが、一生懸命練習をしているうちに動物たちのアドバイスで、テクニックも音楽性も身につけてしまったようである。もしかしたら、音楽性を発揮することに成功して、いつのまにか正確性もついてきたのかもしれない。

ゴーシュの演奏の成功は
三毛猫や野ねずみとの交流を通して、文字通り体得したものであって
決して楽長から教わったものでなければ、楽団員から示唆されたものでもない。
ゴーシュは、楽器の身体性も、テクニックにおける二元性の克服も、動物たちに教わってきたのである。

ゴーシュの(アンコールの)最後の凄まじい演奏は、身体性を通して提示され、聴衆や楽団員も自らの身体性をもって関与し、その演奏を聴いていた。
それ故に聴衆や楽団員らは、(火事にでもあったあとのように)、つまり身体にダメージを受けたかのような、一種の放心状態に包まれたのである。