マルチメディア館 

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  • [No.14663] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜5 投稿者:   投稿日:2011/06/03(Fri) 22:44
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    画像サイズ: 520×390 (49kB)
    この建物も、向こう側から見ればほぼ完全な佇まいにも見えるのだが、袖蔵の痛みはさきに説明した通り。また、もやってある船にも人影がない。

     週日と云うこともあろうが、この一帯に、どこか活気がないのは否定のしようがない。また、外来者には中をうかがうすべがないが、内部の痛みもケッコウあるのではないか。


    [No.14662] Re: 会津 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/03(Fri) 09:35
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    画像サイズ: 806×436 (34kB)
    > > 松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。
    >
    > > 容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ
    > > その際、宸翰と御製を賜ったのだが
    > > 彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。

    これらの資料は
    会津の福島県博物館に展示されてあります。

    そういうわけで
    孝明天皇の死があまりにもタイミングよく起こったので
    会津の人たちは、天皇は毒殺されたと今も思っています。


    [No.14661] Re: 会津 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/03(Fri) 09:31
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    画像サイズ: 1196×1080 (97kB)
    > 松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。

    > 容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ
    > その際、宸翰と御製を賜ったのだが
    > 彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。

    男は黙って
    死んでいったわけです。


    [No.14660] 会津 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/03(Fri) 09:29
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    画像サイズ: 965×799 (75kB)
    いま福島県は存亡の危機にあると言っても
    言い過ぎではないでしょう。

    会津若松も原子力発電所から離れているとはいえ
    修学旅行からも観光客からも
    避けられているようです。

    これも一種の風評被害。

    松平容保(まつだいら かたもり)は、会津藩最後の藩主で
    悲劇の藩主だった。

    松平容保は時の孝明天皇の信頼があつかった。
    しかし
    孝明天皇は突然病死してしまった。
    公武合体の維持を望む孝明天皇の考えに批判的なものたちは喜んだであろう。

    ここから
    松平容保と会津藩の悲劇がはじまった。

    松平容保の死の前日には明治天皇から牛乳を賜った。
    容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められ
    その際、宸翰と御製を賜ったのだが
    彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。

    会津の関係者は時とタイミングをみはからって
    これを発表した。


    [No.14659] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜5 投稿者:   投稿日:2011/06/03(Fri) 00:20
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    画像サイズ: 510×383 (59kB)
     創業200年の「正上」。内部右はここには写っていないが、むかしの店のままだ。丁度この日は看板にもあるように、同所で面白い企画展をやっていた。昔から佐原は映画と相性がいいらしく、カンヌ映画祭グランプリの「うなぎ」や松坂慶子主演の「死の棘」宮尾登美子原作の「蔵」「櫂」「春燈」などはみなここでロケが行われたそうで、店内の壁一面に名優たちの写真がとこと狭しと張り巡らしてあった。客は落ち着いて買い物どころではなく、往年の名画のいろいろなシーンにくぎ付けになっていた。


    [No.14658] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜5 投稿者:   投稿日:2011/06/02(Thu) 23:25
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    画像サイズ: 520×390 (65kB)
      こんな風情のある入り口を通って、中へ足を運ぶと…、


    [No.14657] 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜5 投稿者:   投稿日:2011/06/02(Thu) 23:16
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    画像サイズ: 390×520 (47kB)
    この日はよっぽど、運が良かったらしく、店の入り口でこんな看板を発見した。


    [No.14655] 自己責任で 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/02(Thu) 07:03
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    画像サイズ: 799×535 (95kB)
    ドイツではよく見かける看板。

    要するに滑って危険だから
    注意するように。
    自己責任で歩けということ。

    こういう看板を出しておけば
    市民が凍った道を歩いて転倒して怪我をしようと
    氷が割れて池でおぼれようと
    自己責任で
    裁判になっても
    当局は責任を問われません。

    日本なら
    学校のプールの金網のすきまから
    小さい子どもが中に入って事故になったとき
    管理責任が問題になるところですが
    ドイツでは警告看板一枚が管理者の立場を守ることになるのです。


    [No.14654] Re: 昔むかしの写真ですみません 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/02(Thu) 06:56
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    画像サイズ: 1062×723 (72kB)
    フランクフルトに着いたのは
    夜の九時。

    実は大学の先生が迎えに来てくれるというのを
    遅くて悪いからと
    断って
    フランクフルトに泊まり
    翌朝に列車で行くことにしたのです。

    しかし
    夏のドイツは白夜に近く
    午後九時でもまだ夕焼け頃。
    その日のうちに目的の町まで着けたのですが
    そんなことは日本にいてはわからないこと。

    駅の写真です。


    [No.14653] 昔むかしの写真ですみません 投稿者:男爵  投稿日:2011/06/02(Thu) 06:52
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    画像サイズ: 1124×682 (82kB)
    はじめて外国に行く。
    その緊張なのか
    数日前から歯が痛み出しました。

    歯の治療はずっと継続していて
    医師から一年間保証されていたのに。

    しかし
    飛行機に乗ったら
    歯の痛みは消えてしまいました。


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