[掲示板へもどる]
一括表示

[No.14683] 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8 投稿者:   投稿日:2011/06/08(Wed) 11:22
[関連記事

紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8
画像サイズ: 510×383 (45kB)
読者の方には行きつ戻りつでたいへん申し訳ないが、今きた川沿いの道にあった旅館、「近久旅館」は店構えから見て、そう古いとは思えないが、あの地震の被害を受けているので、これも記録しておきたい。


[No.14684] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8 投稿者:   投稿日:2011/06/08(Wed) 11:23
[関連記事

Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8
画像サイズ: 342×510 (34kB)
  もうすこし、近づいてみると、やはりやられている。


[No.14685] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8 投稿者:   投稿日:2011/06/08(Wed) 11:47
[関連記事

Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8
画像サイズ: 510×383 (52kB)
もう一軒あった。これは並木仲之助商店と云って、どうやら古そうだ。説明板によると明治34年(西暦1901年)の創業で、はじめは、日用品雑貨を商っていたが、現在では和紙とお香に商売替えをしたらしい。

 なるほど、軒につるされた提灯に「和紙」「薫香」などとある。


[No.14686] Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8 投稿者:   投稿日:2011/06/08(Wed) 12:10
[関連記事

Re: 紋次郎記者、再び激震地へ(佐原編)〜8
画像サイズ: 510×383 (48kB)
ここで先ほどの忠敬橋に戻るわけだが、さてここからJR佐原駅への道をとってもいいのだが、もう少し先まで行ってみたい。だんだん夕暮は迫って来るのだが…。

 前回は麻生屋と云う名の佃煮屋まだだったが、この先にもふるい家、由緒のある家や建物はあるようだ。まず中村屋乾物店がある。前述の中村屋商店は安政2年の建築だが、こちらはチトあたらしく明治の25年だ。ただ、こちらのスゴイのは防火壁で、当時異例の45センチ厚の壁を採用したことである。従って完成には2年の歳月を要したとか。

 写真で見ても分かるように、この頑丈な中村屋も、屋根瓦は何枚か落ちたらしい。