不虻さん > 昭和26年、やっと我が家を建築したとき、最も嬉しかったのは我が家に 風呂を作ったことでした。 > 井戸水を薪で湧かしましたが、近所の人も喜んで入りに来ました。
温泉旅館の御曹子が銭湯怖いとは想外ですね。 私の場合は結婚して 先輩に借家を譲って貰った昭和十七年から、台所裏より拾数歩の銭湯 通いが始まった次第です。 神戸六甲道駅東方の踏み切りを渡った柳と言う処の戸建長屋でした。
応召して内蒙古の兵営では、新兵さん入湯は一番最後、温かい泥の海 でした。 暗号兵は四度の討伐行に全部従軍、一回半月程は当然お風呂どころではない。
凱旋して静岡に着いたら、焼野原の予想に反し郊外の田圃の中の二階長屋に借家が待ってました。 先ずは風呂と入らされたのが懐かしのドラム缶風呂。注意されたが出たら背中にタールが。
名古屋転勤、合宿所入り直後に県営住宅に申込んだら見事当選し、御器所に建った二階四戸建て数棟の団地?から又銭湯通いが。 所がトイレは水洗、一案して乙仲にドラム半裁を頼んだら即入手、台所の瓦斯湯沸器からゴム管を伸ばして良い湯だなが続きました。
後日談は何れ又。 ところで石鹸、シャボンって言ってませんでした?
変蝠林(1917-)
|