変蝠林さん 御無沙汰しています。
> 此処で沈黙して居ては、却って無責任を免れ得ません。
貴兄に次ぐような大正人でありながら、なかなか書き込みも出来ず、 申し訳ありません。 仰るとおり、終戦直後の東京の凄まじい生活など、もう今の若い人には 想像もつかないでしょう。
私は昭和20年9月20日に復員、暫く郷里で呆然と日を送っていまし たが、12月に虎ノ門にある勤め先に復帰しました。目黒区月光町で焼け 残った友人の家に泊めて貰い、そこから通いました。
先ずは乗り物。窓硝子が割れてしまって寒風が容赦なく吹き込む省線 (今のJAのこと)で目黒から新橋までぎゅうぎゅう詰めで。
新橋駅周辺は食べ物屋の闇市。烏賊の丸煮などぷんぷん良い臭いを させているが、一匹十円、またラッキーストライクやキャメルなどの アメリカ煙草が一個30円、しかし月給150円ではとても手が出ない。
毎晩、勤めから戻ると、先ず虱取り。下着から4匹見つけ出して ゾッとする。
渋谷駅など、浮浪の戦災孤児が倒れている。物憂げに身体のどの部分も 動かさず、ただ空虚な瞳がじっと地面を見つめている。
電車、街、勤め先、凡てが阿鼻叫喚である。怒声、悲鳴、叫喚、耳に 入って来るのは惟。倦怠、不潔、社会の不公平、雑踏、怒気、焦燥、卑屈 不倫、怠惰…………目に入り、身に感ずるこれであった。
そして遂に私は疥癬に罹り、空しく郷里へ帰りました。
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