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[No.798] 弐銭銅貨。一文菓子屋。 投稿者:   投稿日:2008/11/23(Sun) 10:03
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何時も御小遣いは一日壱銭でした。
五厘、と半銭も通用して居りました。

其れで近所の駄菓子屋に通いました。
偶に来客から弐銭銅貨を貰いました。

径が四糎もある其れは重量感が有りました。
弐銭銅貨を使う時は度胸が必要だった記憶。

             変蝠林(1917-)


[No.799] Re: 弐銭銅貨。一文菓子屋。 投稿者:   投稿日:2008/11/25(Tue) 08:39
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変蝠林さん、大正生まれの皆様

> 何時も御小遣いは一日壱銭でした。
> 五厘、と半銭も通用して居りました。
>
> 其れで近所の駄菓子屋に通いました。
> 偶に来客から弐銭銅貨を貰いました。
>
> 径が四糎もある其れは重量感が有りました。
> 弐銭銅貨を使う時は度胸が必要だった記憶。

 ええっ。弐銭銅貨というのがあったのですね。

 2000年に「二千円札」というのが出ましたが
 (その後余り目にすることはありませんが)
 それまで、私はお金はの単位は「1」「5」しかなかったものとばかり思っていました。

 また、当時というのは、大正末期から昭和初期のことでしょうか。

 当時の駄菓子屋さんは、どんなものを売っていたのですか。


[No.800] Re: 弐銭銅貨。一文菓子屋。 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/11/25(Tue) 10:20
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> また、当時というのは、大正末期から昭和初期のことでしょうか。
>
> 当時の駄菓子屋さんは、どんなものを売っていたのですか。

 大正十五年の入学ですが昭和何年まででしょうかね。
 昭和五年の卒業までには相当の変化がありましたね。
 六年生の頃には、少年倶楽部が50銭でしたからね。

 お駄賃を貰ったのは二年生くらい迄ではと思います。
 駄菓子屋では先ず、おでん、ところてん、ラムネ?

 尤も、お小使い一銭はガッコウに行くまでの話です。
 めくりなんてのがあって、宝籤買いは今でも惰性で。

 特記:

 肺病病みの親戚に見舞いに行く時、敷島を吸わされ。
 当時、煙草と煙草盆は普通家庭の必需でありました。

                  変蝠林(1917-)