大正の部屋  ー温故知新ー 
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[No.1295] ヒマツブシ(俺の戦争 其の2) 投稿者:BUP  投稿日:2010/09/09(Thu) 16:05
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ヒマツブシ(俺の戦争 其の2)
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ご無沙汰を致しました。
台風一過、やっと涼しくなって来たようですので、ヒマツブシでもやらせてください。
今日は木曜日で、コナミのプールも定休日なんです。
さて、帝国海軍は昭和17年(1942年)6月のミッドウエイ海戦で主力空母4隻とその艦載機を一挙に失い、それに代り豪北(豪州の北の意味)の島々に滑走路一本の航空基地を設営、作戦の継続を余儀なくされました。
其の南海の占領地間の航空輸送のため、速成した人員を各基地にバラ撒くことになりましたが、俺も、其の一人でした。
第二南遣艦隊の根拠地セレベス島のマカッサルに空路、到着したのが昭和17年8月のことであります。
それからの俺の行状の一部が、前回の書き込みでアリマス。(前置きが長くてゴメン)

俺の任務は、当基地を通過する輸送機との対空通信、人員は俺一人、他に誰も居ないのです。
此の街から約20キロ離れたマンダイと言う村落に滑走路一本の航空基地が在ります。
艦上攻撃機が2機ほどで、対潜哨戒をやってましたが、当部隊とは無関係。
基地の片隅に椰子の葉っぱで屋根を漉き雨露を凌ぐ掘っ立て小屋に対空通信用の「空4号無線電信機」を置き、アンテナを張り、6210KC(KHZ)の短波で、俺の仕事が始まりました。
任務は、隣の基地、北はメナド(今の地名はマナド)、南は爪哇島のスラバヤ、西はボルネオ島のバリックパパン、東はケンダリー、アンボン。
(スラバヤには俺が赴任する予定だった南西方面艦隊の司令部が在ります、ケンダリーは、第23航空戦隊の基地、此処から豪州のダーウイン、ポートモレスビー爆撃の1式陸攻が発進しておりました、バリックパパンは油田・製油所が在り重要拠点でした)
上記各地から飛んで来る陸上輸送機、大型飛行艇、連絡機、その他、航空機との通信連絡、敵機の行動の情報、基地周辺の気象情報、到着予定、その他の連絡事項の暗号通信が俺の任務でありました。
其の全てを、17歳になる直前の俺にやらせたのですから、帝国海軍の考え方が、今もって俺には・・・ワカリマセン。
例えば、着陸15分くらい前に、滑走路付近の風向風速の問い合わせが暗号で入ります。
其れに依り滑走路への進入方向が変わるからです。
何時もは、俺が、戦闘指揮所の吹流しを見て、北の風、5メートルとかを暗号で知らせるのですが、ある時、面倒くさいので、其の辺りに居た兵隊に、風向を訊いたら、そいつは勘違いして吹流しが南方向に流れているので、南の風って言ったので、そのまま打電したら、反対方向なので、危うくオーバーランするところでした。
素人にやらせて、確認しなかった俺の失敗でした。
初期の航空暗号はカタカナ、簡単で、憶えてしまうんですよ、天候を訊いて来れば、上空を見ながら、晴れ、雲量3、雲高 二千米、なんて頭の中で暗号を組み立てて打電してました。
(その後は「空暗号」3数字を乱数表で変換して送るようになりましたが)
出発基地を離陸して、当基地に着陸するまで、当基地を離陸して目的地に着陸すれば任務終了です。
任務終了すれば、後は用は御座いませんので、マカッサル市街地の「宿舎」に帰ります。
其の用と言うのが、アマリ無いのです、一週間に、二、三度しか御座いませんので、アトはヒマ、宿舎でゴロゴロして遊んでました。

「伏見博英海軍大尉ケンダリー発マサッカル行きの飛行機に搭乗中、昭和18年8月21日に撃墜されて戦死」(数少ない皇族の戦死者の一人で、検索で沢山出てきます)迄は・・・。
其の零式輸送機には俺の親友が乗ってました。
其の当時の、俺のコールサインはカタカナの「ヤンラ」、離陸して間もなく、正常に離陸マカッサルに向かうと連絡があり、ノンビリと受信機の前に座ってました。
突然「ヤンラ ヤンラ ・・・」と呼ぶモールス符号が聴こえて、後は何の連絡もなく通信が途絶しました。
その時、敵機B-24に遭遇したのです。
到着予定時間になっても、着陸して来る気配はなく、日が暮れました。
翌日になり、撃墜されたとの連絡が、陸上捜索部隊より入りました。
根拠地隊の司令部より参謀が、俺の仕事場に来て、怒鳴り散らして帰りました。
俺の運命は、此処に極まり、間もなく、南西方面艦隊、航空輸送部への移動の命令を受けました。
敵機がウヨウヨ飛んでいる、珊瑚海、ニューギニアへの飛ぶ、ボロ輸送機の搭乗員にされてしまいました。(邪魔だから早く死ねとの命令と受け止めました)
輸送経路図の画像を載せました。
こんな仕事を終戦までやらされていたのです。

本当は、マカッサルでの楽しかった”戦場のクリスマス”のオハナシでも書こうと思いましたが、暑さが急に緩んで涼しい風が吹き込んできましたので、こんなつまらないハナシになってしまいました。
次は、彼女と一緒に防空壕に入ったお話でも・・・。
突然、話題が変わり申し訳け御座いませんがぁ、オランダ語で、 Ik hou van jou.(イック ハウ ファン ヤウ)の意味、此の年になるまで知らなかったのです。
此の”イック ハウ ファン ヤウ”って言葉が俺の脳の片隅に65年間くらい眠ってましたが、先日、フト思いだして Google で検索したんです。
あの時知ってればなぁ〜・・・、運命が変わっていたカモネ。
長いヒマツブシで失礼を致しました。 


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